BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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さらば分校

長い夏が終わった。

結局甲子園には行けなかったけど、ポンちゃんは初めて二塁打を打った。キュー介は、ヒットは打てなかったけれど、飛びついてナイスキャッチ!ナイスガッツ!を見せてくれた。

他のみんなも頑張った。

今年は雨が多くて十分な練習ができなかった。でも、部員が持ち込んだマリオカートのおかげで、ある意味恐るべき量の走りこみができた。みんな、足は確実に遅くなったけど、ラップタイムはぐんぐん伸びた。

筋力トレーニングを後回しにしがちだったイノッチは、高橋名人の連打マシーンだけは率先して利用したよね。

サブローは声出しを嫌がったくせに、FC「ドラえもん」では大声を出してたな。

瑞夫と竹中は連係プレイが下手だった。でも、「タートルズ」では信じられないコンビネーションを見せた。

清水と亮輔と桑原。お前らについて一切言うことはない。


15失策は、私が野分分校にいた4年間で7番目にいい記録だった。今振り返ってみて、もう、後悔しかない。タイムマシンがほしい。






anzai.jpg

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ご愛読ありがとうございました
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最期のアクセス乞食あらわる

一年間、拙ブログに付き合っていただき、ありがとうございました。

9月までは毎日30人くらいしか閲覧者がいなかったのですが、10月に45人を超えると、11月には57人、12月には一気に78人に増えました。年が明けてからは、一月平均4134名、一日138名弱のアクセスがあり、正直ウハウハでしたよ、ええ。

瞬間最高風速は1月21日の262名!
アクセス乞食冥利に尽きる数字です。

いま、アクセス解析を見ながら書いているわけですが、やはり東京都在住の方が圧倒的ですね。全国に分布しているとはいえ、100倍近い開きがある。今後の課題としては、いかに地方ファンと交流していくかですね(←東京ファンとも交流できてない

サーチワードは【六日町シネマ】が圧倒的でした。他にも目を引くワードがあったので紹介します。

「幼稚園の手提げ袋の作り方」
「折り紙忍者ハットリ君のおり方」

何でそれでウチが引っかかるんでしょうかね。てか「折り紙忍者ハットリ君」てすげえ!

「佐々木礼 津田塾」
未だに根強いファンがいるようです。私も画像は大切に保管・・・

「不二家で働いてる」
確かにワードとしては書きましたが】。働いてないですよ!

「小室哲也のおじいさん 福島県」
いるんだ・・・

「本 書く 決してあきらめない」
がんばれ。

「就活 あなたの強み」
人にそういうことを聞けるところだ。

「キュッキュッ トン」
トン キュッキュッ

「醜態 合宿」
取り返しの付かないことをやったんでしょうか・・・

「天花 NHK どんなの?」
きいちゃったよ アンド検索わかってないよ

「藤澤恵麻 演技下手」
ひどいよ!

「林静一 息子」「林静一 名文句」
あまり名文句のイメージはなかったですが。息子さんがいらしたのか。


さて、いずれ、またブログをやる日が来ると思いますが、もう二度と毎日更新はやりませんw 私はおかげですっかり「ブログ脳」になってしまいましたし、サイトよりもアクセスが多くなっため、馬場つげ研は金ゐの未熟な「私」で汚されてしまいました。今後5年、いや10年かけて2005年から2006年の「私」を取り除き、「私」で勝負できるようになったとき、改めて主観全開モードに移ろうと思います。宅八郎でさえ最初はアニメ番組情報の無署名ライターをやっていたこと、肝に銘じます。

【追記】メールで映画『無能の人』ロケ地について質問された方、いつ掲載できるか分かりませんが、本家の方に必ずアップします。お急ぎでしたら、写真だけでも送ります。

Movies2005

今年度(2005/4/16-2006/3/31)は、「『キル・ザ・クソ映画』で何処まで行けるか。」をテーマに、158本の映画を見てきました。本数はとてもシネフィルに及びませんでしたが、旧作から新作、巨匠から新人監督までと幅広く、映画観を広げてくれたラインナップでした。

スタートは1月18日、韓国ホラーの『箪笥』。50本目は7月14日の『ロード・オブ・ザ・リング』、100本目は10月31日の【菊花の香り】、111本目は11月18日の『八月の狂詩曲』、150本目は3月10日の『NANA』、ラスト・158本目は3月31日の『ヒトラー最期の12日間』でした。

・・・なんだかロクな映画を観ていないような気もしますが、最後の最後で【星野真理を再発見できた】のはよかった。大収穫でしょう。本当によかった。収穫は他にもありますが、思いつくままに以下列挙すると、


黒澤明監督作品を観終えた
大林監督の存在に気付かされた
dfシリーズは意外と手が伸びなかった
山下監督に実は期待していた
山本浩史がほとんどブレイクした
ウォン・カーウォイに躊躇した
やはり裕次郎は格好よかった
『電車男』をいい加減消費しつくした
宮崎あおいと決別できた
長澤まさみは手足が長かった
美波に会えた


うーん。時間の無駄だったのかなあw
そうそう、なんで本数が伸びなかったのか思い出した。
『天花』と『北の国から』のせいだ!


04月/12本
05月/29本
06月/07本
07月/11本
08月/08本
09月/14本 
10月/19本 
11月/14本 
12月/16本
01月/08本
02月/05本
03月/13本


神話解体のための「芸術」

¶ 今話題の夏目房之介について、批判めいた文章を考えていた。が、うまくまとまらず、書き上げられそうもないので没にした。没が続くのもオツだろう。いやはや、まったくオツカレじゃない。

・・・私の夏目批判の核は、その眼、審美眼に対する疑問と(これについては既に書いた)、価値判断を避けようとする彼の「客観性」にあるのだが、どうしても夏目個人というより、現在のマンガ論全体に対する不満になってしまう。去年からマンガ論をドバッと読み返していたが、マンガ論全体を相手取るには、再度精読の必要がある。今ここで急いで書くと、大火傷を負いそうだ。大火傷しようと別にかまわないのだが、どうせ火傷するのなら、有益な火傷をしたい。ネット時代の「責任」とは放談の精神である、なんて偉そうに書いたこともあったけれど、それは全人格をかけての放談でなければならない。ただ、少しだけ書いておきたいこともあるので、書いておこうと思う。繰り返しになるだろうが、固まった持論なんだと思って読んでいただきたい。

¶ つげ義春のキャリアの後半は幸福であったと思うが、つげ義春論の現在は不幸である。この現状認識と、それが現在のマンガ論の方法的限界を示しているという考えに変わりは無い。竹内オサムが「ヘタをすると、かつての白土三平やつげ義春の二の舞となるのがおちだろう」(「いま分析批評の確立を」『ふゅーじょんぷろだくと』1982年3月号)と言うとき、その「かつて」と現在とを比較して、私は首を傾げざるを得ないし、「幼年への回帰と不安にむすびついた自己表現的体質、旅や夢のなかでのもう一人の自分の発見、それが人々の深層をゆすぶっていたのだと思う」と言いながらも、「つげ義春の作品が衝撃的だったのは、やはり六〇年代という時代のなかでのことだった」(『戦後マンガ50年史』)と結論付ける流れを見ると、これが当世代表的な論調であるだけに、異議を唱えたい気持ちが強くなる。

¶ 安保の時代、『ガロ』の時代、漫画家も読者も批評家も、今とはかなり異なる状況にあったことは想像に難くない。しかし、状況反映論はとうに破られたはずのマンガ論において、依然つげ作品を強烈に規定しようとするこういった「時代性」は、呪縛のような反動的「文学」意識と絡み合って、つげ作品にまさに「神話化」のプロセスを辿らせてきたのではないだろうか。さらっと言いのけられた「体質」や「発見」とは何ぞや。そこから作品の本質が始まるのではないのか。文学嫌い、芸術嫌いは個人の選択であるだろう。しかし、それが作品との間に障壁を作るのであれば、当の至上主義と何も違わない。神話解体を謳いながら、今まさに新たな神話が創出される状況。それは、マンガ産業の構造、マンガ論の出版形態、執筆者の興味の対象など、様々な要因に左右されることであろうが、それらを差し引いても否定しがたいほどに顕著である。

¶ 例えば、先日古本屋で手に入れた、吉弘幸介の『マンガの現代史』という本がある。新書だから、概史だから、「つげつげ」言っていられない事情は分かる。しかし、吉弘は、つげの『ねじ式』をめぐって勃発した、天沢退二郎と『漫画主義』同人らによる「マンガ芸術論争」を紹介しながら、その直後に「読者によってさまざまな読み方が可能なマンガ表現の試みが、この作品にはあった」と書くのである。その読みの決着点を何に求めるか、という論争を今まさに紹介しているにもかかわらず、おそらく「文学的」方法でしか決着できないという理由で、価値判断を放棄し、結果としてつげ義春の表現を「神話」へと棚上げしているのである。

¶ ・・・夏目が使う「「内面の必然性」のようなナニ」「何つーか鮮烈な「実存」」(『新版 貧困旅行記』解説)という言葉については看過するとしよう。なんだ、逆説的だけど、「ターム先にありき」の典型じゃあないかと言いたくて仕方ないが、文体も個人の選択だから、揚げ足を取らずに黙っていよう。しかし、それが巧妙な「神話化」への手助けとして働くとき、私は黙っていられないのである。

夏目がつげを取り上げた最も新しい著作(おそらく)に『マンガ学への挑戦』がある。「マンガ家と批評家 すれ違う作家と批評」という一節が設けられ、つげと権藤晋の対談集『つげ義春漫画術』が「マンガ家と批評言語のスレ違い方を見事に示して」いる様を見るのであるが、その直前に次のように書いている。

「つげの衝撃が、マンガ家やマンガ青年への、クリエイターズ・クリエイターとしての直接的な創作上の影響力(略)だけでなく、じつは批評的な言説の過熱に拍車をかけたものでもあったことが見て取れる」。

既にマンガ史においては常識のようになっている記述だが、「直接的な創作上の影響力」を認めながらも、それを覆い隠すかのように「批評的な言説の過熱」をクローズアップし、「けれど、多くの「難解」で一人よがりな批評言語に取り巻かれたために、かえってつげ義春は作品が描けなくなっていったのではないかという憶測も生んだ」と結ぶ巧妙さは、内容以前に問題があるように思う(ちなみに、ここで「憶測」と夏目が書いたのは、つげが評論による過剰な意味付けによって「潰された」という神話が、神話に過ぎなかったことが既に証明されているからである。つげは、後退したという熱気のなかでも、なお「多くの「難解」で一人よがりな批評言語に取り巻かれ」つつ、幾度の中断を経て、80年代半ばまで創作を続けた)。

¶ どこかで文学コンプレックスを認めていた(と思う)夏目は、つげを巡っての「マンガ批評言語草創期の混乱が、のちのちマンガ批評における「文学」、「芸術」拒絶症状をもたらしたともいえる」と、一応反省らしきことを書いてはいるが、ここで、なぜ「マンガ批評言語草創期」が(明確にそうあろうとしなかったにもかかわらず)「文学」「芸術」的であったのかについて自問することなく(マンガをマンガとして語ろうとした、それが可能になった第一世代が『漫画主義』だったと思う)、つげに「本トーク」を持ちかける『漫画主義』同人の態度を批判のニュアンスを交えて紹介する。

そこでは、「権藤は主題としては近いところにいっていながら(略)かんじんのところでスレ違ってしまうのである」と繰り返されながらも、どのように「スレ違っている」のかについての根本的な説明はまったく為されない。『沼』における少女の「エロス的な匂い」を「主題近くにあることは感じられる」としながらも、「感情のやり取りを直接感じないように描かれている」ことから、「主題そのものではないのも分かる」と分析する夏目は、結局「主題そのもの」に迫ることをせず、自らにも宿命的に植えつけられた「スレ違い」を解消しようしないのである。これを方法論的限界といわずして、ナニがナニなのだろうか。

¶ 代表的著作『手塚治虫の冒険』でも夏目は同様の態度をとっている。つげや林静一を「隠喩的画像表現」と名付け、「読み取りかたを方向付けるのではなく、画像の解釈範囲を広げ、いかようにも読めそうなイメージの豊かさに重点をおいた画像化」と片付けて立ち止まらない。夏目は、つげの代表作『ねじ式』を例に挙げ、「そこでは狐のお面は何かを寓意しているわけではなく、ただ土俗的なイメージの怖さや豊かさを示すだけなのだ」という。

私が『手塚治虫の冒険』を読んだのは、マンガ評論に興味を持ったかなり最初の時期であるが、まさに「で?」と思い、欲求不満になったことを覚えている。誤解を恐れずに言うならば、私には、夏目が何も読もうとしていないように映った。いや、繰り返しになるが、これは夏目だけではない、現在の「分析的」マンガ論の大きな流れであるのだろう。重要なのは読者の眼前に実体を持ってある作品、つまり作品の思想そのものと、それをどのように表現しえたかが議論されるべきはずであるのに、パターナイズの段階では鮮やかな手法を見せた評論家たちが、さあこれからというときになって途端に沈黙してしまうことに、私は落胆したのである。

「文学」を拒絶する夏目に「隠喩的」という語を与え、それが何の、どのような「隠喩」なのかを一切語らせず、「土俗的なイメージの怖さや豊かさ」が、どういったもので、それが何故「狐のお面」として描かれるのかという作品後背への想像力を阻むマンガ論には、明らかに問題があるし、仮に、マンガにおいては、思想という「文学」的アプローチを必要とする要素が蓄積されないのだと言うのであれば、私はその時点で躊躇なくマンガを捨てるだろう。そして、「土俗的なイメージの怖さや豊かさ」が、それを生み出す「隠喩」が、「いかようにも読めそうなイメージの豊かさに重点をおいた画像化」が、いったい何のために在って、何の価値を持つのかについて踏み込んでいかなければ、漫画が表現として深化していくことはありえないのではないだろうか。

¶ 最後に、蒸し返したい疑問がひとつだけある。夏目は「思想」に立ち入ることを忌避したために、「マンガは面白い」という前提確認へと進んだのではないだろうか。この一週間、よくよく考えてみたのだが、『赤色エレジー』と『最強伝説黒沢』は私の中でどうしても両立しなかったのである。

下書項3 カーナビ都市伝説

先日、茨城に住む後輩を車で送っていったとき、信号待ちでカーナビを見ながら、突然「そういえばカーナビの都市伝説って聞かないな」と思った。後輩も聞いたことがないという。

「中古車を買ったらさ、カーナビの登録ポイントに前の人のが残っててさ、そこに行ってみると墓地だったとか、どう?」
「え?意味わかんないんすけど」
「だから、ほら、カーナビって行きたい地点を登録して、それを記録しとけんじゃん」
「自分免許持ってないんで」
「じゃあほら、中古でカセット買ったらさ、前の人の入れてた曲が消し忘れで入ってたりすることあんじゃん」
「え、先輩カセット中古で買うんすか?貧乏ですねえ」
「そういう時代があったんだよ。まあじゃああれだ、ゲーム。ロープレでいいよ、ドラクエ。ドラクエ中古で買ったら、前の人のデータが残ってたりすることあんじゃん」
「ありますかね?」
「うるせえよ!あんだよ!それで、・・・カーナビにも中古だとそういうデータが残ってたりしたりとかすんのかもしれねえじゃん、わかんねえけど」
「堀江メールか!」
「うるせえよ!つまんねえ時事ネタほど癪に障るもんはねえんだよ!」
「でも、そんなこと実際にあるんですかね」
「俺がベトナム人から中古でパソコン買ったときもしっかり履歴に歴代ガンダムシリーズが刻まれてたよ。なんだよアークエンジェルって!別に残ってなくてもいいよ、自分が登録した覚えのない地点があって、それが幽霊の仕業なんだよ」
「あー」
「で、その登録地点には旗とかクリップとかそういうもんが目印に立っていて、ナビの画面にな。その付近に近づくと、『目的地周辺です』って云うんだよ。でもな、そう言った後も案内が続いてさ、ハッとしてブレーキ踏んだら、崖から落ちる所だったの。事故でガードレールが外れたままになっていたんだよ」
「うんうん」
「『うんうん』ってため口じゃねえか。タテ社会なめんな!オマエどこ中だよ!?学歴を・・・」
「でましたね、先輩の持ちネタ『日本で一番学歴主義なのはヤンキー』。こないだの合コンで使ったんですけどダダ滑りでしたよ、説明長いし」
「ふーんそういうこと言っちゃうんだ」
「えへへ」
「お前死ねや。ホント死ねや」
「今僕が死んじゃったら都市伝説になっちゃうじゃないですか」
「なんでだよ」
「だって今僕んちに向かってるんでしょ、はっはー」
「・・・」
「オマエ今日帰ったら『ヤング島耕作』読み直せ。勉強しろ礼儀を。あれは若い人に人気らしいから」
「あんなもん読んでる人いないっすよ」
「うるせーよ、最高裁がそう言ってんだよ。あんな世の中後追いマンガがマンガ帝国日本で読み継がれるわけねえだろ!読者のほとんどが水島慎二『ドカベン』ファンだよ!」
「『ドカベン』は『野球狂』とコラボしたり、新球団作ったり色々やってますよ。先輩最近読んでないでしょ」
「『あぶさん』見てたらだいたいわかんだよ!じゃあ中根千枝でも読んどけ!ボケ!」
「えへへ」
「で、気付いたらナビの声がその事故で亡くなった人に変わってるんだよ!・・・・どう?」
「いいんじゃないすか」
「なんだよ反応薄いな」
「それから?」
「それから・・・うーん、なんだよ人にばっか喋らせねえで、オマエもなんかねえのかよ、膨らませるネタ」
「そうだなあ。青山墓地には『その他の注意』のビックリマーク標識があるらしいんですけど、一説によると『幽霊注意』って意味らしいですよ」
「アホかオマエ。そんなもんいまどきの小学生だって知ってるわ。てか15年前の小学生だって、50年前の小学生だって知ってるわ。しかも標識が立ってても駄目なんだよ、その先!その先が重要なの!」
「きしくも墓地だったり、事故現場だったりするわけですよねえ」
「『くしくも』な。そうそう、でも合戦は駄目ね。俺『戦場だった』系で怖かったこと一度もないから」
「実はキトラ古墳だったんですよ」
「なんでだよ!」
「恐怖!徐々に消えていく壁画!」
「うるさいよ!」
「どこらへんなんすか?」
「何が」
「その目的地。場所によって話変わってきますよ。それが六本木ヒルズだったらかなりセレブですよ」
「で、出てくんのがホリエモンなんだろ?」
「いや、」
「ああー!いいいいもういい!なんか今やばいこと言おうとしてたからもういいわ。」


ここで文章は途切れている。恐怖だ。

怒るひとを傍らから見るひと

隣席の、五十代後半だろうか、サラリーマンらしき男性が激怒した。風貌は穏やかそのものだったので(事実、今の今まで静かにコーヒーを飲んでいたのだ)、突然大声を張り上げたときは驚いた。

赤ん坊は、この世に生れ落ちた人間の、すべての悲しみを代弁して力の限り泣くのだと、何処かの詩人だかが書いていた。彼はこの世のすべての怒りを代弁するように、と言うと大袈裟だが、この狭い喫茶店に収まりきらない怒りを見事に爆発させていた。顔を真っ赤にして、机をダン、と叩くと、対面に座るオバさんに罵声を浴びせた。

店内には私のほかに3、4組の客しかいなかったが、みなギョッとして男性の方を見た。烈火の如くとはまさにこのことなんだろうなァ、オバさんは今にも泣き出しそうな顔をしている。野次馬心で聞き耳を立てると、どうやらオバさんの何気ない一言が男性を激情させたようだ。

「『わからないことがわかってよかった』とは何だ!『わからないことがわかってよかった』とは何だ!こんな屈辱は初めてだ!」

『わからないことがわかってよかった』とは、青春映画や小説でよく大団円に掲げられるものであるけれど、なるほど、現実世界はそのように美しく終われないもののようだ。ちゃんちゃん、である。

タイトル画像変えました2

2005年7月31日のエントリー】に続いて。

6.ゴーギャンは何処
babamalogo06.jpg

7.雪深く民家
babamalogo08.jpg

8.喜左衛門井戸
babamalogo09.jpg

9.捨身飼虎図
babamalogo07.jpg

10.ぼくの青空
babamalogo10.jpg

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  • 一緒に生きていくつげ。(2005/11/11)
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  • エブリデイ・ワクワク!(2005/4/16)

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    金ゐ國許 金ゐ國許
    Kanei Kunimoto

    Age,35
    口癖:「恋しくて」
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    東京は下町・谷中に生まれ、幼少の頃からヒップホップと雅楽漬けの毎日を送る。8歳のと

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