BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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罵声人語さわやか’06 春

¶ 三宅島に天皇皇后両陛下訪問のニュース。アナウンサー氏曰く「三宅にしか住めないと、老人たちの多くが帰島」。「宮家にしか・・・ぐはッ」

¶ 引き続きテレビを見ていたら、伊右衛門茶のCMが。悪い予感。「映画化するんじゃなかろうな」

¶ 「本棚拝見」というのはもう云十年、云百年?の歴史を持つ雑誌の特集記事。ふと思う、そろそろ「お気に入り(ブックマーク)拝見」に取って代わられるのでは。

¶ 昨日、馬場つげ研の会員が一年ぶりに勢ぞろい。日暮里で飲む。最近沈滞気味のサイト、いよいよ終わりに向かって走り出すか?と思いきや、なぜか四コマ漫画をやろう、ということになった。各ブログも、名前と場所を変えて続行が決定。再び活気が戻ってきた!と思いきや。

¶ 会員から桜玉吉を借りて読む。何かとつげ義春と関連付けて語られることの多い玉吉作品。以前「防衛」を読んだことがあったが、そのときは「どこがつげ義春だ!」と憤慨して途中で投げ出してしまったので、今回はじっくりと。しかし、計8冊を読み終えた今も、どこがつげ義春なのか見当もつかない。桜玉吉がダウナー系であろうとも、私個人の日常を作品にしようとも、ギャグ漫画だからその分を差し引いたとしても、さらにはつげ義春が巻末四コマに登場しようとも、まったくの別物としか言いようがない。つげの「大袈裟な苦悩」が戯画化(おっとマズイか?この書き方)されているところがまた妙味を添えていると思うらしいが、それ自体、開き直りでしかない。桜玉吉が作品において私小説のスタイルをとったところで、それを相対化ととるのでは、表現のそもそもの意味をはきちがえている。

¶ ・・・と、ここまで書いて、やはりこの手の作品が一番語るのに困る。私にはつくづく「苦手」なのだと思う。何かしら防衛本能が働いている。しかし、この防衛本能は何に対しての防衛なのかというと、世間体であったり、それに類似したものでしかない。ネットにおいて責任とは何か。それは放談である。と思いきや。と思いきや。と思いきや。

¶ こんどうあきの「はこにわ虫」を購入。・・・・あれ?

¶ 『週末から9』、3月15日。
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罵声人語さわやか’06 

¶ あけましておめでとうございます。今年も【高田馬場つげ義春研究会】と『馬場毎日』をよろしくお願いします。

私金ゐは31日から今日の朝まで東京を離れていたため、年越し・三が日を全世界100万の『馬場毎日』ファンとともに過ごすことができませんでした。年賀状や年賀メールをお寄せくださった250万もの熱心な閲覧者様、未だ返信ができず、申し訳ありません。馬場つげ研に【年賀状もどき】を掲載しておきましたが、読んでいただけたでしょうか。急いで書いたので、【私の超達筆】をお見せできなかったことが悔やまれます。何のパロディだったのかについては、もはや説明不要でしょう。

¶ 「正月らしい正月もなしに作品と取り組んでいたつげさんが、どうやら仕事から解放されたのは、一月十二日だった。」「一年半ぶりの仕事から解放されたつげさん。早くも心は旅の空に―。」

正月とつげ義春、正月とつげ義春、何か無いかなと考えていたら、真っ先に浮かんだのがこの記事だった。これは、『サンデー毎日』増刊「これが劇画だ」(1970年2月6日)掲載の「つげ義春のある日」である(カットは未収録?)。この日のつげ義春は京都旅行出発の直前であり、ここで言う「京都旅行」が【京都ブラブラ日記】に描かれた旅であることは言うまでもない。

ところで、「正月らしい正月もなしに」一月十二日まで取り組んでいた「作品」とは何なのだろうか。近辺の「作品」といえば「蟹」が思い当たるが、「蟹」は『現代コミック』70年1月8日号に発表されたものだから、間違いなく12日以前。では翌2月に発表された『やなぎ屋主人』かと言うと、『漫画術』にはこんなくだりがあるのだ。

権藤 「『やなぎ屋主人』とどっちを先に描いていました?(中略)『やなぎ屋主人』の方が早かったんじゃないですか?(中略)「ガロ」二月号ということは、十二月の初めには原稿が上がっていないとまずいんです。」

つげ 「『蟹』の方があとかもしれないね。」


「やなぎ屋主人」でもないとすれば、70年4月『アサヒグラフ』に掲載された絵「熊肉と左義長」だろうか。しかし、これは2月の北陸旅行の後でなければおかしい。70年5月『ガロ臨時増刊号池上遼一特集』の「純情で、義理人情にあつく」だろうか。……あれはページ三分の一の談話だしなあ。

「一年半ぶりの仕事」というと、つげが1年半何もしていなかったように思えるが、つげは69年、水木しげるのアシスタントを務めている。つまり、これは「自分の仕事」という意味で、68年8月の『もっきり屋の少女』から一年半ぶりの「仕事」は、やはり「やなぎ屋主人」でなければおかしい(青林工藝舎『ねじ式』に収録されている「作品解説」において、「やなぎ屋主人」のみが「70年1月脱稿」と付記されているのは、この記事とこうした見解に基づいてのことだと思われる)。

「やなぎ屋主人」は前・後編の二回に分けて『ガロ』に掲載されているが、その分けられ方に表現上の特別な意図が無いことは既に述べたとおりである。原稿を上げるのが遅れたために二回に分かれたのか、編集部の売り上げに関する判断があったのか。

¶ それはともかく、「つげ義春のある日」で注目すべきは、水木しげるとの「引っ越し相談」で、つげ義春が自動車について話している箇所である。

水木 「町中がいやなら、どっか、遠くに住んで、自動車買えばいいじゃないですか」
つげ 「駐車が大変ですからね。それに免許証が切れちゃってるので、取直さなきゃならないし……」
水木 「スポーツカーを買いなさい。ホンダのは小さくていいんじゃないですか。」
つげ 「ええ。ぼくはカローラぐらいで、と思っているんですけど」


なんとつげ義春は免許を取得していたのだった!!!!

1月14日・15日と京都をまわったつげは、その足で奈良に向かい、二泊している。このとき観光した浄瑠璃寺・長岳寺・壺坂寺・柳生街道・八木の古い町並については、昨年末窓烏が巡礼した。近々写真をアップする予定である。

¶ 昨年は終ぞ日の目を見ることの無かった企画がたくさんあった。たとえば、「著作権的な問題を潜り抜けて『アックス』巻末の菅野修近況を全部アップ!」。今後「菅野修ファンサイト」色を強くしていくのであれば、避けて通れない企画なのだが(年表に必要不可欠)、おそらく無理、まず無理だろう。【週刊誌の一行コメントをアップするのはネットでは普通】だが、それも確実に慣習に過ぎず、バックナンバーの扱いが決定的に異なる『アックス』が許すとは思えない。手を汚したくないから誰かアップしてください。

同じ企画でも、『月刊「ガロ」とつげ義春』なら出来そうな気がするのは何故だろう(笑)。冊数が多いからですか。「つげ論を展開したガロの読者欄と時空を隔てた論争を展開!もちろん、毎号載っているかのような広告の煽り文句変遷を研究!」なんて企画もあった。うーん、マニアックス。

¶ そういえば「呉智英の劇画列仙傳(一)」(昭和四十八年三月号)で大笑いした。呉智英の文章で大笑いしたのは初めてかもしれない、いつもニヤリだ。水木しげる「福の神」中の会話「お前にオランダのパンティ買ってやるゾ」「ホント!」について、呉は「これが、いかにおもしろく、かつ水木独自のものであるかは、作者を代えてみるとわかる」という。


つげ義春の場合
「オランダのパンティですよ。はいて下さい。」
「へやで」



ちょまwwww括弧で括れなwwwwwwwww

さらに、




安部慎一の場合
「金が入ったから、パンティかってやる」
「むだづかいしたら、いけんよ」




もはやオランダ製ですらないwwwwww


¶ みたいな「紹介」が限界か。とにかく、現在「つげパロディの系譜」「書誌学」が計10本、「つげ義春以後は今どうなっておるのか」3本が、スキャンして描きかけのまま止まっている。とりあえずは、それらを全部出してから、新しい企画なり何なりをやろうと思う。

2月には『週末から9』も出ます(確実)。金ゐ『つげ義春に会いに行く』は『池袋百点会』、ユゴー『ラストシーン考』第四回「分かりにくさと生理的感覚」、窓烏の『兵庫県つげ義春散策記』などが掲載予定。ついに『漫画主義』リストもネットにアップ?

『北冬名鑑』も1月中盤より再スタート。乞うご期待。

罵声人語さわやか11

¶ 「何か聞いてほしいんでしょ?」忘年会で4ヶ月ぶりに会った知人に突然そんなことを聞かれた。意味が分からず「は?」と聞き返す。「ブログだよブログ!」ああ、【そんなエントリー】を書いたばかりだった。しかし、その知人とはマニアな話をするでもなく、こまめに連絡を取り合うほど親密な仲ではなかったから、見てくれているとは思いもしなかった。嬉しさと同時に、若干の恥ずかしさが。そうです、私はブログを読んだ友人から真顔で「キチガイみたいだ」と言われた男です。とりあえず知人の質問を無視して、宴は夜更けまで続く。

¶ 高田馬場のBOOKOFFでDVDが大量に売られていた。キヨスクに置かれている500円の名作洋画のやつだ。値札には500円と書いてあった。もはやBOOKでもないしOFFでもない。委託販売!?……んなわけねーか。100円コーナーを丹念に物色、リュックをパンパンにして帰宅。

¶ 今年10月に出たばかりの【大久保亞夜子】『奇的 ボヤージュ』を購入。【芸大初の買取漫画ということで話題を呼んだ】短編連作?が一冊にまとめられたもので、やっぱり出版社は青林工藝舎。感想は後で詳しく書くが、こんなに「美大生っぽい」漫画も久しぶりではないか。とりあえず私の美大生イメージにはぴったり符合した。しかし、これは「難解」なのか……?

¶ 早稲田大学の図書館に初めて入った。驚いた。とてつもない蔵書数、快適な施設。さすが早稲田、普通の大学図書館なら絶対に入れないような本で溢れていた。北冬書房の本もきっちり。『漫画術』がヨレヨレになっている図書館というのも珍しいだろう。なぜこんなに素晴らしい図書館がありながら、キャンパスに学生の姿が散見されるのか、理解に苦しむ。私なら間違いなく4年ないし8年間図書館に籠る。古書価格万単位の!大正時代の!初版本を!割れる心配せずに!コピーできる!すげえ。すげえよ。テンションがあがりまくって3000円分もコピーしてしまった。いやー図書館ってホントにいいもんですね

¶ 久米田康治『勝手に改造』25巻に「漫画におけるベタは赤でもある」というネタがあった。そういえば、つげ義春全主要作品に無理矢理触れた評論集『つげ義春の魅力』にも「つげマンガと色彩」と題した『紅い花』の短い考察が載っていたなあ。

¶ 新年オフ会は1月7日あたりか。もしかしたら年内かも。22日からの巡礼は延期。新年に。

罵声人語さわやか10

¶ 最近、色々アップしてアップアップですわ。師走は忙しいものだと初めて気付いた2005年の暮れ、有名動画サイト【誰が為に鈴は鳴る】から画像を拾ってきて(すいません)、ページトップのbackgroundを飾る。

¶ 恵那春夫の言うところの「第?期」後半から「第?期」前半のつげ忠男作品を読み返している。何と言うべきか、今のところ何とも私には言えないのだが、語る言葉が熟すのを漫然と待つことが罪悪であるようにさえ感じられる。いや、大袈裟でなく、読み手をそんな感じに焦らせる作品なのである。

……つくづく、つげ忠男という人は凄い作家だなあと思う。<不幸にも>軽佻浮薄に慣れ親しんできた私だが、あの斜線に取り囲まれたら「それでいいのだ」とは口が裂けても言えない。どうしても「それでいいのか」になる。「暗い」としか形容できない読後感が、読者の生き様まで厳しく追求する。

もっとも、外野の私よりもずっと追求に苦しめられているのは、つげ忠男自身なのだろう。実際に作品評にも苦しめられただろうし(とはいっても、『夜行』に掲載された二本の酷評しか思い出せないが。「本当に「ダラシナクナッテシマッタ」のですか?」と問いただす宮岡蓮二『つげ忠男氏への手紙』、「つげ忠男はもう画かなくてもいい」と書き始める恵那春夫『つげ忠男論 その「甘さ」について』)、長いキャリアには奮闘の証がはっきりと見える。

年月を重ねるうちにすっかり駄目になった作家などいくらでもいる。彼らは記憶の中に埋もれ、忘れられていったが、つげ忠男はそうはなっていない。これはマイナー故の強みなのだろうか。いや、本物の証であろう。一読あれ。

¶ 【北冬名鑑】製作にあたり、梶井純『現代漫画の発掘』を読みかえした。【水木しげる】について触れたくだり(P30-32)は、やはり、まったくその通りだと思った。

「主観的には、水木にはいまもなお、非命の兵士たちへ寄せる、かつてと同じ心情があるにちがいない。しかし、いまの水木は外なる視座によって意識的に戦争の悲劇を描こうと試みたようにみえる。みずからがそこで意識できる、ということの余裕が、いま表現者としての水木の位置を決定的に変えてしまった。(中略)
生きる、あるいは生活することが「必死」ではなくなったそのときこそ、かれの「戦中・戦後」もまた終わったのだろう。」


水木しげる本人がキャラクター化したせいか、多作すぎて追えないせいか、今まできちんと作品<批判>を展開する評論家がいなかったように思う。あるいは私の耳に入ってこなかっただけかもしれないが、友人に水木原理主義者が多かったことも手伝って、私の中には「水木しげるは批判しない」という暗黙のルールができていた。『放送禁止歌』じゃないが、自然と出来上がった「ミズキ・タブー」は意外と強力で、若干批判的な記述が目立つ足立倫行の評伝『妖怪と歩く』でさえ、「こんなこと書いて大丈夫なのか?」と不安になったりした。

しかし、私が物心つくころには既に【鬼太郎シリーズ】は全て終了しており、猫娘もねずみ男も、完全にアニメのキャラクターであった。その時代の水木を「水木ロード」の入り口とした人間にとっては、「水木しげる」は漫画家というよりもキャラクター・デザイナーである。私は鬼太郎アニメが好きではなかったし、遡って読んだKC版鬼太郎は呆れるほど退屈で、途中で投げ出してしまった。

冷静に考えれば、絵ひとつとっても改悪としか思えないようなリライトが面白いわけがない。本人が描いているかどうかも怪しい作品に作家性が発揮されるわけがない。そういえば、私が特に感銘を受けたつげ忠男作品は、彼の「もはや戦後ではない」時代のものではなくて、まさに「戦中・戦後」にあたる作品だった。……改めて読むと、ここで梶井は特別難しいことを言っているわけではない。だが、この文章は1973年9月のものである。この後に水木が傑作をものにすることはなかったから、慧眼であるし、悲しくもある。


¶ つげ義春『蒸発』に描かれた漂泊の俳人・井上井月(いのうえせいげつ)について、考察を深めるために簡単な評伝を書こうと思い立った。仮タイトルは「井月へ 評伝・井上井月」、ブログで15回ぐらいの分量になるか。

と思い立ったまではいいとして、評伝の書き方がわからない。手元にある『井上井月伝説』(江宮隆之、2001、河出書房新社)、これぞまさしく評伝なのだと思うが、エピソードは過不足なく、この本があれば十分のような気もする。収録されている句の数が少ないのが残念だが、『井月全集』『井上井月全句集』が伊那毎日新聞社から刊行されている。これらはとうに絶版であるが、需要も少ないのだから、どうしても知りたい人はどうにかしてそれを手に入れるものなのだろう。


「井上井月の絶筆公開?30年間非公開」

漂泊の俳人井上井月(1822?87)の絶筆とされ、およそ30年間にわたり非公開だった「何処やらに 鶴の声聞く 霞かな」の軸が27日夜、高遠町の河南中央公民館で開いた第1回河南学級(町公民館河南分館主催、長野日報社後援)で一般公開された。(中略)

絶筆は、霞松が臨終の床で井月に筆を持たせて書かせたとされる。霞松がそれを記した添え書きとともに河南地区の旧家が所有。伊那市、長谷村との合併を控え、改めて井月について考える機会に?と分館側に申し出て、今回限りという条件で公開した。

句はB4判ほどの大きさの唐紙(とうし)に書かれている。春日さんは「霞松が酒を勧めて書かせ、井月がそれに応じた。臨場感があり、伊那谷の宝」と絶賛。また「辞世の句はほかにあるが、これを辞世と言ってもいい」と述べ、井月の死に様がうかがえる?とした。

春日さんはこうした二人を「肝胆相照らす仲」と呼び、「23歳も年が離れていたが、井月は霞松に絶対の信頼を置いていた」と説明。その理由について、戊辰戦争で捕らえられて高遠藩に預けられた霞松と、自らについて語らなかった井月とが同じ武士の出身だったためでは?と推測した。
(【長野日報2005年7月29日】、改行:金ゐ)


「霞松」とは井月の弟子、六波羅霞松のこと。春日さんは遺墨集「井月真蹟集」(80、伊那毎日新聞社)の著者で、井月研究家。他に井上井月に関する本は、春日愚良子『井上井月』(92、蝸牛俳句文庫)『何処やらに』(ほおずき書籍)、清水昭三『俳人・石牙井月の客死』(新読書社)、宮脇昌三『井月の俳境』(踏青社)。

罵声人語さわやか9

◆早稲田祭レポは後日。

◆厄年の友人が災難続きだという。工場で働く彼は先月、自動車事故で全損したばかり。今度は機械に挟まれて危うく指を切り落とすところだった(実話ですよ)。「俺、厄年なのかな?」厄年早見表をどうぞ

◆『幻燈』を求めて中野に行く。が、タコシェにはまだ入荷していなかった。昨日の池袋ジュンク堂に続き、またもや無駄足を踏んでしまったと後悔するが(何しろ金がないのだ)、店内に竹熊健太郎がいた。ブログの大成功で今や完全に「サブカルのドン」的地位を獲得した竹熊氏は、しかし外見は普通のおじさんだった。どうやらサイン会があったらしい。狭い店内はファンと思われる年齢不詳の男たちでごった返し、ムワッとしていた。おおーと思った。

◆知人と食事。「ブログの『私信』って私に言ってるの?」11月4日のエントリーを書いた夜、こういった質問が身内から何件も寄せられた。ある会員などはいきなり電話口で陳謝し、「これ気持ちだから」と言って1万円をくれた。言い過ぎた。飯をおごってくれた。「自分に言いきかせているんでしょ?」とメールしてきた者もいた。別にどのように解釈されても構わないのだが、これには考えさせられた。しかし、「私信」は決して「言い過ぎ」ではないと思う。若輩の身、僭越ながら礼儀を語る。

◆新宿の本屋で竹内オサム『マンガ表現学入門』、伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を今更新刊で購入した。大出費であった。『マンガ表現学入門』にはつげ作品も少し登場。さらに近くの古本屋にて、様々な漫画家の発言を集めた『マンガ批評大系第4巻 マンガ家は語る』を300円で発見、小躍りする。再掲ではあるが、つげ資料の超一級品「ぼくの漫画作法」が収録されている。「ねじ式」のくだり、いま改めて読み返すと、いかにも煙に巻いているようで面白い。

◆昨日、テレビ番組『SMASTATION5』でスマップの香取眞吾と北野武が対談していた。

香取「僕の演技見たことありますか?」
北野「NHKの見た」
香取「どうでした?」
北野「いや・・・俺は・・・下手なのは役者のせいじゃないと思うんだよね

激笑。しかし、香取の演技はともかくとして、北野の「役者は監督の道具」論はどこまでマジなのだろうか。北野自身が監督の思惑など軽く超えてしまう役者なのに。そんなカリスマはもう生まれない、ということだろうか。

◆いまテレビをつけたら『座頭市』がやっていた。途中で挿入される音楽と演技を重ね合わせたシーンにはやはり違和感しか覚えず、作品の邪魔ばかりするタップを憎らしく思った。北野の演技は相変わらず素晴らしかった。演技力は勝新に勝るとも劣らない、むしろ私は北野のほうが好きだが、どちらが魅力的な「市」かと聞かれたら、迷ってしまう。北野映画は往々にして役者の演技を殺してしまい、いい役者が出ているだけにとても残念だ(これも道具論ゆえ?)。『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』じゃないが、どうせなら「浅野忠信vs北野武」を見たかった(「AVP」ならぬ「AVK」)。

◆なんてエイリアンのことに触れてみたら、ギーガーの画集が欲しくなってきた。ヴァネッサが戦うエイリアンは、ギーガーのエイリアンとは別物のようです。よかった。


【参考リンク】エイリアンの生態

罵声人語さわやか8

『東京エイティーズ』にも登場していた馬場の名物喫茶「白ゆり」がつぶれてしまって以来、馬場つげ研は活動拠点を探している。馬場にはもう、いい店が見当たらなくて、仕方なく「ニューヨーカーズカフェ」で話すことに。これは厳しい。つげトークを遠慮してしまう。自然に古川益三トークに流れていけた中野でも『クラシック』が潰れ、馬場からも追い出されたら、次は池袋ですか?・・・決着。次回から名曲喫茶「ライオン」集合。

◆ずっと悩んできたのだが、昨日のエントリではっきりした。やっぱりブログのデジカメ写真がよくない。絶望的によくない。何故だろう。どうしてこれほど酷い写真ばかりが出来上がるのだろうか。『つげ会い』をやりすぎて、写真は「記録用」と割り切る態度が身についてしまったからだろうか。どうやら私にはカメラの才能が致命的に無いらしい。うーむ。デジカメの性能に転嫁したい。


◆私一生忘れない。何をだっけ。

◆故・パワフル爺ちゃん

◆あれ・・・・声が聞こえないよ


◆ブログの右列に載せていた「THICK BOOK」のコーナーを削除。あまり本を読んでいないのがばれる、プルーストを投げ出したのがばれる、そういった理由から削除。結局今年読んだ「分厚い」本は、マンの「魔の山」の他に、阿部和重「シンセミア」ぐらいになりそう。「シンセミア」、「神町を行く」は遠すぎて無理だとしても、「事故現場の渋谷を行く」とかなら出来そうだと思う。そして受けそうだとも思う。しかし、周りで読んでる奴は一人もいないなあ。ホンッとにいないなあ。大江健三郎が自分の名前を冠した賞を創るなんて「みっともない真似」を<敢えて>したのも頷けるほど、純文学って生活と隔たってしまったのだなあ。そんなことを考える。

◆松本大洋フリークと会い、久しぶりに熱弁を振るう。松本の絵は天才的だ、究極だ、そう激賞するフリークに猛反論。「絵の巧さ」なんざ描かない(描けない)人間が説いても説得力のかけらもありはしないのだが、やはりそれでは「つげ義春以後」が泣く。菅野修が泣く。そう思って松本大洋の絵と菅野修の絵との間にある決定的な違いを語るが、「いやあ松本大洋は、描こうと思えば絶対に菅野修の絵を描けるよ」。私が泣く。

◆話は『夕凪の街 桜の国』のこうの史代に飛んで、「あれはどう思った?」『夕凪?』についてあれこれ語るとき、原爆問題が絡んできて非常に面倒くさい。よって「『点景としての原爆』が徹底的に描かれてこそのフィクションだと思うよ」とだけ答えておいた。


◆「すぐ!そこ!」「Thanks」

「キャサリン、あなたがりんごを八つ持っていて、私が二つちょうだいと言ったら、あなたは幾つりんごを持っていますか?」「八つです」

◆じゃーんけーん目ン玉・・・・・ごめんね


◆現在、大々的に本の整理を行っている。以前のエントリでも書いたが、倉庫と部屋の本棚に併せて4000冊ほどある蔵書を4分の1にしようと思い、無常にも選別を行っている。趣味がBOOKOFFの100円コーナーで大量に買い込むことなので、値段の高いものはとりあえず全て「残し」となり、「捨て」は100円の山からということになる。100円で買ったものならば躊躇せずに捨てられると思ったのだが、「いつか資料として使う日が」という思いが根強くあり、もう一度読み返してから決断を下すから、時間がかかってしょうがない。

今週の「捨て」は、漫画では小池一夫原作の「パパラッチ」(廉価版の分厚い奴2冊、まあ3回読めば十分かと)、矢口高雄「奥の細道」(活字のいい本を見つけたため)、岩明均の「ヘウレーカ」(これは悩んだが、ここを残すと4分の1にならない)、石坂啓「キスより簡単」4巻(面白くなかったため)、筒井康隆・山崎さやか「NANASE」1巻(続刊を立ち読みしたため)。

活字本ではビートたけし「浅草キッド」(文庫、全く本人が書いている気がしなかった)、小室哲也音楽対談集「withT」(文庫、十分楽しんだ)、田口ランディ「コンセント」(これを『天才』って言っちゃう文学部生はどうかと思う。倒錯というか盗作?)。

結局10冊行かなかったか・・・・。
次回、「金ゐ、池上遼一作品の対処に困る」

罵声人語さわやか7

◆昨日は『南青山会』の記念すべき第一回だったのだ。『南青山会』は、黒澤映画『まあだだよ』のなかで内田百とその教え子達が開く毎年恒例の行事「麻阿陀会(まあだかい)」にインスパイヤされた。この奇天烈な名は「まだ生きているかい?」という意味の軽い洒落で、毎回、会の始まりに老齢の百先生がビールを一気飲みして「まあだだよ」と答えるのが決まりになっていた。対する『南青山会』には名前に洒落っ気こそないが、「麻阿陀会」を強く意識して、まずは幹事Hが訓示『つげファンの未来』を語り、大ジョッキを一気飲みする。

◆続いて『蒸発旅日記』鑑賞会。既に劇場で観ていたメンバーもいたが、一同画面に真剣に見入る。85分の上映終了、特典映像のつげ義春登場シーンに歓声が起こった。「つげさん、意外とアグレッシブ

◆日本酒、ビール、焼酎、ワイン、ウヰスキー、カクテル、泡盛。先日、早稲田大学で行われた森達也作品上映会『森フェス』の話題を肴にピッチは上がる。江ノ島パンプキンが『放送禁止歌』を誉めると、メンバーの一人が大激怒。「お前はあんなのを誉めるからサブカルなんだよ。『A2』を見ろ。比べ物にならないじゃないか。」普段見られないミュージシャンが映っていて面白かった。「幻の名盤解放同盟?根本敬が意外といい男だった?それがどうした。それが作品と何か関係するのか?作品の見方だけは誤っちゃいけないんだよ。お前の話をさっきから聞いているとだな、『放送禁止歌』の感想はひとつもない。ひとつもだ。このサブカル野郎、そんな風に誉めるのは森達也に失礼だ

◆『蒸発旅日記』については、一同沈黙を通す。やはり「現時点で最も評価の高いつげ原作映画」というのが引っかかっているのだろうか。しかし、同席したつげファンの口から漏れた一言で状況は一変する。「秋桜子って気持ち悪くなかった?」喧々諤々の議論が始まる。過剰な色彩の強調については「『極彩色』と銘打った映画に傑作はない」、ストリップのシーンについては「カルトはエロに幻想を抱きすぎだ」等々、否定的な見解が場を支配する。やはり議論の中心になったのは『西部田村事件』『猫町紀行』二本の原作の挿話について。「時計とか水のシーンとか、(西)ベタベタ(村事件)だよ」とは、先のつげファンの言。

◆話はつげ巡礼に及び、急遽今夏の「瀬戸内巡礼報告会」が開かれた。既にメンバーの大半は前後不覚の泥酔状態。10月上旬に行った群馬・湯宿温泉巡礼話でも、「『どさん子』のラーメンセットが美味かった」「ああ、あれは美味かった、チェーン店を馬鹿にしちゃあいけないね」「そういえば黒岩八景って行ったんだっけ」「行ったっけ?名勝を見たなんて記憶はないなあ」「だから黒岩八景は駄目名勝だったって。ほら標識が消えかかっていてさあ」「あ、河豚が死んでた!」「それは秋田だよ」「カミキリムシが死んでた!」「それは伊豆」「カナブンが飛んできた!」「それは養老鉱泉だろ!てかなんで全部生き物なんだよ!」

◆「倒れるまで飲み朝は静か」。ユゴーの一句。四時を過ぎると寝だすものあり、未だつげ論を戦わせるものあり、寝た者を囲んで『通夜』ごっこに興じる三人組あり。『南青山会』は、慰安旅行さえ「貧困旅行」にならざるを得ない馬場つげ研の企画のうち、唯一の豪奢な飲み会だった。次の開催は『必殺するめ固め』の公開記念になるのだろうか。というよりも、この文章はいささか色が多すぎるな。『蒸発旅日記』モデルということで。お後がよろしいようで。

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