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視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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グランド・フィナーレ

本シリーズ「『我輩葬送曲』セレクション」は、ブログ『我輩葬送曲』2005年分を私金ゐが著者ユゴーとともに加筆・修正・再構成したものです。【昨年末】、ユゴーが新たに【我輩交響曲】を開設し、「今月からそろそろ本腰を入れて更新し始める」ということなので、セレクションは今回で目出度く終了となります。

しかし、『葬送曲』でユゴーが書き溜めた文章は途方もない量があり(ユゴーは「俺は量ではバルザックに負けてないよ」と豪語していました、この人間喜劇めが)、選別したとはいえ、とても一回でその全てを紹介できるはずがありません。しかも、ユゴーは再掲にあたって毎回ほぼ書き直すかのように大幅な加筆をしていますので(ユゴー曰く「俺は手直しの程度では鈴木翁二に負けてないよ」このなんとなくポストさんめが)、この調子では世紀をまたいでしまいます。

よって、断腸の思いで、ここにダイジェスト版を掲載します。『我輩葬送曲』セレクション・ダイジェスト。



北野、昔のクリスマスは楽しかったよね

職業欄は文化人、モリタツヨイショ!

『ペンギンの憂鬱』は結局タイトル

村上龍は「中途半端」じゃない

中上健次は犬

『楡家の人びと』について三島由紀夫は「この小説の出現によって、日本文学は真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正統性を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる」と書いているが、まったくそのとおりだと思う

『東京タワー』について福田和也は「ナンシー関なき後最強のコラムニスト、文章家と目されている筆者が打ち立てた金字塔。読みやすく、溢れるユーモアを提供しながら、人間性のもっとも深い淵をのぞかせ、五感を震わせながら本質に直面させる。現在の日本文化の、もっとも高い達成というべきです」と書いているが、まったくちがうと思う

猿にはなりたくない?

そ、壮大だ

たくさん遊んで、留年がかかってすこーし泣いて

金ゐが『リバーズ・エッジ』のキーワードを「平坦」「戦場」「僕らが生き延びること」の3つにわけて説明していた、天才的だ

夜に それとも昼に またうすらあかりに?

友人が松本大洋『ピンポン』が「20世紀マンガの最大の駄作」だと言っていたと書いたが、あれ持論

デュラスが不在

素敵なピアスをPARCOで見つけたよジュエリー




特別企画「ユゴー、ブログを振り返る」最終回
20代は生きているだけでいいんだ

――というわけで今回でセレクションは終了となりますが
カトゥーン

――『我輩葬送曲』は2004年12月7日にスタートし、それから2005年9月まで、一年弱の間熱心に更新されました。いま、活動全体を振り返ってどうですか
カトゥーン

――「我輩の葬送曲。物悲しいメロディー。」というサブタイトルはどうやって決定したんですか?
カトゥーン

――どうかされましたか?
いや面白いかなと思って

――「我輩の葬送曲。物悲しいメロディー。」というサブタイトルはどうやって決定したんですか?
カトゥーン

――面白くはないですよ。
いや面白いかなと思って。
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詩シリーズ1 尾形亀之助

(※この文章はブログ『我輩葬送曲』2005年3月分に著者ユゴーが加筆・修正・再構成したものです。)


 昨日の晩、会員の平が『現代詩手帖』の通算100号だか何だかの記念号を持って遊びに来た(もちろんもう片方の手にバドワイザーの瓶6本組があったのは言うまでもない)。通産100号の特集は「いま詩は誰に届いているのか」だった。平はこういった前提確認が大嫌いな男なので、この弱腰を一緒に嘲笑しようと、酒の肴に持参したようだ。

 現代詩のおかれた苦境は容易に理解できた。周りを見渡しても、現代詩(に限定しなくてもよいが)を愛好している人間などまず一人もいないし、会話に登場することさえない。通常人であるはずの私も、普通に生きてきて唯一現代詩と<自然に>触れ合った機会といえば、大ヒットした谷川俊太郎の「朝のリレー」ぐらいだった。確かに私の周囲には「朝のリレー」から何かを感じ取り、あるいは感涙した人間が多数いた。しかし、では、彼らのうち何人が余韻が冷めた後においても詩を愛読したかというと、まったくのゼロであった。芥川賞のモーニング娘。化と騒がれた何年か前の文学と全く同じように、見事なまでに彼らは詩というジャンルを通過していった。

 まさか谷川俊太郎だけが詩人であるはずはないが、この国にはコピーライターといえば糸井重里しかいないように、カムチャッカの若者は皆一様にきりんの夢を見なければならず、所詮ブームはブームでしかなかった。谷川俊太郎の詩はジャンルとしての「詩」を消費するための生贄であり、あくまで偶然として受け入れられただけであった。

 21世紀現在、詩とは乙女が書くもので、世間から辛うじて認知されているのは「ポエム」に過ぎない。しかも、この「ポエム」は「詩」という単語の英訳ではなくて、夢見がちとメルヘンのあいのこ、すなわち適応能力の未成熟を意味する蔑称であることくらい、小学生でも知っている。根っからのビンスキーである私にさえ、この『現代詩手帖』の前提確認が、足元を固める総括的特集には見えなかった。平は「かなりテンパってるな」と笑ったが、全く同感だった。

 それにしても、なぜ記念号で不安感を丸出しにしなければならないほどに、詩は追い詰められたのか。その理由を知りたくて、縁もゆかりもない詩の世界に浸かってみようと思った。直接のきっかけは『私の現代詩入門』(辻征夫、詩の森文庫)である。以下、ネタはたいていこの本から拾っている。


風邪きみです

誰もゐない応接間をそつとのぞくのです
ちかごろ 唯の一人も訪ねて来るものもない
栄養不良の部屋を

そつと 部屋にけどられないやうにして
壁のすきから息をひそめてのぞくのです

風邪がはやります
私も風邪をひいたやうです



 尾形亀之助の処女詩集『色ガラスの街』より。文体といい、感性といい、まさしく少女趣味だが、そこに影を落とすことで、哀しみを際立たせている。この無題の詩は、少女趣味と生活者のリアリズム、二つが絶妙に均衡した作品である。以下の経歴(現代詩文庫1005『尾形亀之助詩集』思潮社より)をみると、尾形の生き様そのものだったように思える。

【年譜】
明治33年(1900年)生まれ 生家は莫大な資産家
大正10年(1921年)森タケと結婚。生家からの仕送りで生活をまかなう。
大正11年(1922年)第一詩集『色ガラスの街』起稿。絵画の個展開く。
大正13年(1925年)第一詩集『色ガラスの街』刊行。このころから絵筆を捨て,詩に専念。
昭和元年(1926年)第二詩集『雨になる朝』起稿。
昭和 3年(1928年)妻タケと離婚。芳本優と同棲,のち結婚。
昭和 4年(1929年)第二詩集『雨になる朝』刊行
昭和 5年(1930年)この春頃より,餓死自殺を口にする。第三詩集『障子のある家』を刊行。
昭和11年(1936年)生家の財政難悪化。仙台市役所に臨時雇として勤めはじめる。
昭和16年(1941年)妻優,三度目の家出。喘息,痔病,尿道結搾症,腎臓炎に悩まされる。生家ますます逼迫。
昭和17年(1942年)12月,喘息と長年の無頼な生活からくる全身衰弱のため,誰にもみとられず永眠。42歳


 『色ガラスの街』より、もう一つ。
 

私の愛してゐる少女は
今日も一人で散歩に出かけます

彼女は賑やかな街を通りぬけて
原に出かけます
そして彼女はきまつて
短く刈りこんだ土手の草の上に座つて
花を摘んでゐるのです

私は彼女が土手の草の上に座つて
花を摘んでゐることを想ひます
そして彼女が水のやうな風に吹かれて
立ち上がるのを待つてゐるのです


              
 尾形の詩は、言葉から情景が透けて見えるようで、美しい。しかも情景を透かして見せる技法がいやらしくない。この作品もかなり鼻に付くタイプのロマンティックにもかかわらず、その美しさが独善的でない。凄い。


「梅雨の中」
   
雨の日は早くから部屋に電燈がついて
うす暗くなつた立樹の上に白けた空が窓のやうに残つた
 
電燈を見てゐると電燈の中にも雨が降つてゐる
 
とき折り梅の実が落ちる
 
何故私はぼんやりしてゐるのか
外が暗くなりきると夜になつてしまつた
そして 一日中傘をさしてゐたやうな気もちになつてゐた



 昭和3年の作品。尾形について「死ぬ前までの10年間はさぞ長かったろうと思う」という文章をどこかで読んだ。鈴木志郎康は「この世の中で、自分をまるごと自分自身だけに即して生かして行くためには、無為貫徹する以外にはなく、自分自身に即して生きるということが人間の真実なのだということを、亀之助は考え実行したのであろう。」と述べているが、私も昨日ちょうどそう思ったところである。すごい偶然もあるものだ。さらに一つ。


「夜がさみしい」

眠れないので夜が更ける
私は電灯をつけたまゝ
仰向けになつて寝床に入つてゐる
電車の音が遠くから聞こえてくると
急に夜が糸のやうに細長くなって
その端に電車がゆはへついてゐる



 詩集『雨になる朝』より。尾形はこの詩集の後記に「この集をこと新らしく批評などせずに、これはこのまゝそつと眠らせて置いてほしい。」と書いている。クールすぎて思わず「じゃあ出すなよ」と突っ込みたくなるが、それは野暮というものでしょう。目新しいものでないはずの「急に夜が糸のやうに細長くなって」という表現が強い力を持ち、なぜか情景から目を離せない。




特別企画「ユゴー、ブログを振り返る」第三回
あの頃俺は“詩春期”だった

――今回はかなり書き足しましたね
そうね。足さざるを得なかったよね。俺は詩というジャンルそのものの力を試したかったんだ。だから敢えて暴言とも取れる過剰な書き出しを加えて、俺が詩を取り上げた真意をはっきりと伝えておく必要があった。

――完全に失敗しているように見えますが
仮にそうだとすると、俺はとんだ恥をさらしたことになるね。あと、確実に敵を作ったね。

――なぜ急に詩にはまりだしたんでしょうか
あまりにも縁がない世界で、逆に興味をそそられたっていう天邪鬼な理由はあるな。俺はいつもそうなんだ。どこかの本――タイトルは忘れたけど多分ドイツの哲学書かな――で読んだんだが、マイナー時代のカーリングを先取りして、地面に石を置いて、その前をほうきで掃きつづけるっていう悪い冗談があった。そんなパイオニアスピリッツがこの頃溢れていたよね。

――それ多分「稲中」ですよね
それと、この時期、インフルエンザにかかって、葛根湯を飲んでいたんだが、それも理由の一つだよ。葛根湯って、あんまり西洋医学的じゃないというか(笑)、効力が過小評価されているよね。でも、俺はあの「上品」とは縁遠い粉薬のおかげで、即座に回復したんだ。「世間から軽んじられているものでも、実際は分からないんだ」ってことを身をもって知った。それは希望であり、同時に恐怖でもあった。

――この場合、著作権って大丈夫なんですか?
まあリスペクトだから。言ってもリスペクトだから。

――「詩シリーズ」はこの後も続きますが、「なぜ詩は追い詰められたのか」という問いに対する答えは出たんでしょうか
馬鹿言っちゃあいけない。今まさに俺が詩を追い詰めてるところなんだからよ(爆笑)

――ありがとうございました
すいませんでした

順調に順調にダメな方へ

(※この文章はブログ『我輩葬送曲』2005年2月分に著者ユゴーが加筆・修正・再構成したものです。文章に意味不明な箇所がありますが、著者の意向によりそのままにしてあります。)


 会う人会う人に卑屈な態度で「みてよーみてよー」としつこく頼んだ。携帯メールも一杯送った。誰からも返信は来なかったし、僕に遊びの誘いが来ることもなくなったが、アクセスは一時的にアップした。
 
 そんな涙ぐましい努力のおかげか、『我輩葬送曲』を毎日読んでくれている知人ができた。で、知り合いと顔も知らない人双方に発信していく今後、どういう文章を載せていくべきなのか。ブログの方向性について迷っている。

 ネタ系は恥ずかしいじゃない。つまらないと痛いじゃない。身辺雑記も、暇なのがばれてしまうじゃない。「○月×日のブログに『素敵な女性と飲んだ』って書いてあったけど、お前あの日俺たちといたじゃん」とか言われるじゃない_| ̄|○
 
 一切の雑念を排して書くのだ。つげ義春を理解すべく日々邁進するのだ。私は決してあきらめない。

 というわけで、あきらめない事をあきらめない事をあきらめないぞ、と思いました。関係ないけど、今高田渡の「蓮」を聞いています。ぐっときますね。イェイ。

 以下、最近読んだ本のまとめ。


 森功『黒い看護婦』について。福岡で起きた看護婦4人組による保険金連続殺人を題材にしたノンフィクション。扱っている事件は「これでつまらなかったらライター辞めちまえ」というぐらい面白いネタなのだが(だから私も新刊ハードカバーを購入した)、どうも今ひとつだった。つまらなかったわけではないが、はっきり言ってネタ負けしていると思った。

 事件の内容を大雑把にまとめると、主犯の元看護婦・吉田純子は3人の看護婦仲間から金を巻き上げ、彼女らを言い含めて下僕にしてしまう。身の回りの世話からレズ行為までを強要し、2人の夫に保険金をかけて殺害させる。結局、吉田の横暴に耐え切れなくなった共犯者1人が通報し、4人は逮捕された。

 ありきたりな手口に面白いように騙されていく女たちの心理に興味を抱かざるを得ない事件だが、『黒い看護婦』を読んでもこの謎は全く解けないと言ってよい。「なぜ3人はこれほどまでに弱みにつけこまれたのか」という考察において、結局のところ、吉田純子には「人間の弱みを瞬時にかぎ分ける才能」があったから、としか書いていないのである。これではほとんど同語反復である。機微に至る描写・推測はなく、事件のリアリティ、実在する人間としての四人の姿を感じ取ることはできなかった。 

 何しろこれだけの「大ネタ」なのだから、出来事の羅列に意味が無いとは言わないし、無駄なものを省いたことで、かえってリアリティーが増すケースもないわけではないと思う。しかし、重要なのは考察と確証の繰り返しであり、どちらかが欠けたらそれまでなのである。

 この本を読んで、「ノンフィクション=石を石のまま描くこと」ではないと、改めて強く認識させられた。「ノン」と主張することで、むしろフィクションよりも真実から遠ざかってしまうのかもしれない。言うまでもなく、事実は真実ではない。字が違うではないか。 


 山本直樹『あさってDANCE』について。機微が略されても傑作たりうるということは、数多の文芸作品によって完全に実証済みの事実だと思うが、クールだからという「都会的な理由」から機微を排除した『あさってDANCE』も、やはり傑作であると思う。

 『あさってDANCE』を成功に導いたのは「日常」「非日常」間の絶妙なやりとりであり、「日常」対「非日常」という「ゴジラ対メガバンク」ばりに使い古された表現であっても、その行き来に何とも言えぬ感じ(「sふぁsldpjヵ感」)が加わると、十二分に珠玉の要素として作品を後押しするのがわかる。
 
 「・・・・いきなり何かの主人公になったような気分だった。」という作品冒頭は「非日常」である。そこからデフォルトされた(「非日常」の中の)「日常」を描き、やがては「希望=あさってDANCE=非日常」を手に入れるべく話は進んでいく。しかし、「非日常」と「日常」とのフィードバックの果てに、主人公は疲弊し、希望を「日常」化するのを放棄して田舎に帰ってしまう。ここでの主人公の姿は「日常」の我々に他ならない。 

 そして最終話で唐突に、今まで手に入れようとして手に入れられなかったものが戻ってくる。ここで、主人公は「非日常」なるものを「日常」に置き換えているのだが、この姿がいささか「非日常」的であるのが面白い。ラストシーンで「子供=これからのどっしりとした日常」が「じいさんのリンカネーション=非日常の始まりだったもの」と混在しているのを見て、読者は作品の「日常」すなわち「締め」を感じとるべきなのだ。(「sふぁsldpjヵ感」については後日)


 そうそう、この文章を書き終わらないうちに、もう「蓮」に聞き飽きました。



特別企画「ユゴー、ブログを振り返る」第二回
翻訳調が俺の文章には合ってるんだ

――この時期はノンフィクションに凝っていたようですが
なんだって?

――ノンフィクションを集中的に読んでいたとか
ああ、「fiction of non」のことか。確かに2005年のはじめに、俺はそういったジャンルの大量の本に手を出した。そのうちの大半は愚にも付かない駄作だったが、何冊かには大いに興味を持ったよ。For example,『光クラブ事件』なんかがそうだ。天才東大生の闇金融屋がにっちもさっちも行かなくなって自殺した、しかも交流があった三島由紀夫と同じ日に。話題性、劇性から、「アプレ・ゲール(戦後)犯罪」だとか言われてるけど、犯罪に戦前も戦後もないよね。

――それが感想ですか
いやそんなことない。うん。でもこの本で、「戦争の闇」が確証されていたのか、「戦後」が描けていたのか、については大いに疑問を感じたよね。俺は『青の時代』を全文暗記していたぐらいだから、別に目新しくもなかったし、こいつの生き方や理論に共感できちまったから、笑い飛ばすこともできなかった。ベネッセが「光クラブ」を出したら大笑いだけどね(爆笑)

――もういいですか
午後十一時四八分五五秒呑む。午後十一時四九分 ジ・エン

――この頃名曲喫茶『クラシック』が閉店しました。ユゴーさんは2月22日のエントリーにて、「悲しくも中野クラシック閉店の話は本当のようです。3年位前からちょくちょく通ったり、待ち合わせ場所にしていたのでショックでした。最後にいったのはいつだろうかと考えますと1月5日であったと記憶しています。大体いつもお客さんがぽつぽついてどこかうらぶれた感じが気に入ってました。」と書いていますね
そうね。今だから言うけど、『クラシック』には「ちょくちょく」どころか、毎日通っていたんだ。たまたまロスに行っていて、1ヶ月ほど日本を空けてたら、その間に「閉店した」って言うじゃないか。驚いて店員の「mixi」を見たよ。でもね、ここ10年の『クラシック』は酷かった。カップルやサブカル好きな大学生が大量に来て騒いでさ、古参には悲しい光景だったな。

――本稿に登場する高田渡については、タナダユキ監督のドキュメンタリー映画『タカダワタル的』についても言及しています。

「4月に逝去した高田渡晩年のドキュメンタリー『タカダワタル的』を吉祥寺のバウスシアターで見てきました。以前、高田渡はラジオ番組で『自分は若い頃極貧の生活の中にいて、そこで貧乏な人に対する同情とかではなくて一緒に生活することで見えてくる駄目なところ含めてずっと見てきた。それが私の歌のベースにまずある。私は明治演歌の流れをくむ、大衆に根付いたフォークを歌い続けてきた』と語っていました。

今の若者の路上パフォーマーは「受ける」ことが主体になっていて「主張する」という姿勢が見えないとも言ってたので、映画を見る前はどことなく厳しさや凄みのある人物を思い描いていましたが、いやー、全然違いましたね。人当たりがいいとかそういうことではなくて、本当に生活者なのです。安い居酒屋や自宅で酒飲んで管巻いて寝てしまうし、ライブで歌は間違えてしまうし、(おそらく)大体いつも同じ歌を歌っているっぽいし、ギターは決してうまくないし・・。

 「大衆に根付いたフォークを歌う人」を体現しているのです。晩年の自宅もかなり貧乏さがでています。だからこそ、歌の歌詞にあれだけの説得を込められるし、ライブで曲をやり直しても気まずいどころか逆に魅力的に感じられるのでしょう。高田渡が「主張する」ということをどう捉えていたかが伝わってきます。

  どうも どうも いやどうも
  いつぞやいろいろこのたびはまた
  まぁまぁひとつまぁひとつ
  そんなわけでなにぶんよろしく
  なにのほうはいずれなにして
  そのせつゆっくり いやどうも (『ごあいさつ』より)」


今回の記事では「聞き飽きた」なんて生意気なこと書いているけど、本当は大好きでね。今年の4月、訃報を聞いて愕然としたよ。28日のお別れ会に行ったけど、井上揚水、中川五郎、なぎら健壱、坂崎幸之助、小室等、鈴木慶一、千葉和臣、笑福亭鶴瓶、柄本明、加川良、エンケン、中川イサト、中川五郎、大杉漣。錚々たるメンバーだった。愛されてたんだね。

――中川五郎さんが二回出ましたが
うるせえな、コピペだよコピー&ペースト。行ってねえよ

――その日は何をしてたんですか
ガチャポンの蓋閉めるバイトだよ。一個5銭だよ馬鹿野郎

――ところで、先ほどから「fiction of non」と仰ってますが、これは?
あちらさんではそう呼ぶらしい。尊敬する親父が教えてくれたんだ。親父は証券マンでね。ブラックマンデーまでは羽振りが良くて、何回も向こうに行ってた。今でも10月19日になるとたくさんの(a lot of)線香を炊くよ。「悪夢のような月曜日に死んだ株と、火曜日以降に俺が殺るはずだった女たちに」ってね(爆笑)

――「fiction of non」なんて言いませんよ。僕、去年までアメリカで暮らしてたから分かるんです
そう・・・・

ユゴーの極楽浄土的師走

(※この文章はブログ『我輩葬送曲』2004年12月分に著者ユゴーが加筆・修正・再構成したものです)


 どっどど、どどうど、どどどどど。おいおい、待てったら。おい、聞こえてんのかよ。待てって、おい、・・おい!・・・・・・・なんだ夢か。

 みなさんこんにちは。お久しぶりです、ユゴーです。更新が滞っているって?いやいや、そんなことないですよ。ただ、そのなんですか、皇室問題とかがね。自分皇族なんでチョッとね。帯をギュッとね。マスゴミがうるさくて外に出られない間、たくさんの映画を観、たくさんの本を読みました。我が極楽浄土には、まさに文化の蓮が咲いていましたよ、金満、金満。
 さて、早速、最近読んだ本や映画の感想を書いていくとします。


 まずは映画「IN THIS WOULD」。アフガニスタンの難民の話です。金獅子賞か何かもらってました。制作者はこの映画について、「ドキュメンタリーかフィクションかと聞かれればフィクションだと答えるが、ここにあった話は実際にアフガニスタン難民の人から聞いたものである」なんて思わせぶりに語っていましたが、作品としては酷いものでした。どいひーとしか言いようのない出来でした。よくよく考えてみたらこの言葉も、「人から聞いた話だから本当かどうかわかんなーい。確かめたかったら戦火のアフガンにレッツ・フライ」と言ってるように聞こえなくもない。
 で、最近ドキュメンタリーを観るたびに、いつも森達也の偉大さを思ってしまいます。場面に役割をあたえてしまえばしまうほどリアリティーから遠ざかってしまう。至極金言だと思います。

 続いて映画「ドック・ヴィル」。ニコール・キッドマン(マンなのに女・爆)主演。ロケ中は俳優たちを閉じこめて撮影したため、ニコールさんちのキッドマンが発狂しそうになるなど、色々トラブルがあった作品だそうです。
 「村」を撮りたかったからこそ、あえて実際の家を使用せずに、白墨で描いた場所を家に見立てているんだな。閉鎖空間という特殊な状況を描くために、俳優たちを実際に閉じこめて撮ったんだな。などなど、監督のやりたいことがとてもよく分かる作品でした。狙いが分かりやすい作品は個人的に好きです。だって分かっちゃうんだもの。得たものは特に無かった

 さらに映画「かくも長き不在」。ご存知、1961年のパルムドールを獲った名作。いやあ、秀逸の一言に尽きますね。ぶっちゃけ、前半は冗長な感じがしたけれど、ラストまで観ると、その冗長にも意味があると思いました。アルベール・ラングロア・・・・さっ。これにつきます。こういう見せ方は映画ならではなんじゃないでしょうか。


 活字本は、「あじゃぱん」を読み終わりました。いやはや、福田和也大先生が絶賛なさっているので、市井としては「異議なーし!」といきたいところですが、ぶっちゃけますと、「そこまでかな」っていうのが第一印象です。読了感だけはかなりあったんですけど・・・。
 福田和也は知識があふれ出している系が好きなんでしょうね。たしかに「あじゃぱん」からは、知識があふれ出しています。悲しくも戦後日本に詳しくないので(では一体何に詳しいのかと聞かれたら皇室典範と公安関係と答えます)、見落としたパロディが多数あって、そこに凄さがあるのかもしれないのでうらうららですが。

 間髪をいれずに「ゴーストバスターズ」を読み始め、いま200ページぐらいのところです。友人の読書家が「これならいくらでも書き続けられるじゃないか」と呆れ顔で言っていましたが、納得です。
 「ガンマンがアメリカを横断してゴーストを倒しにいく話」を前提に進んでいくんですけど、脈絡なくBA?SHO(芭蕉)が出てきて俳句を詠みだすやら、突如「銀河鉄道888」の世界に突入するやら、脱線したい放題でした。このエピソードを入れる意味は本当にあるのか?と疑ってしまうくらい関係なさそうなエピソードのオンパレード。一貫したイメージなど私は持てませんでした(この辺を論点として楽しむほど楽しくはなかったのですね)。高橋源一郎も知識があふれ出ているタイプなのですが、これは文字通りあふれ出てしまったように思います。適量に、適量に。


 どうでもいいですけど、『週刊文春』を読んでいたら、安野モヨコの一週間が載っていました。リアルに一週間のスケジュールが書かれていて、身も蓋もない感じでした。こういったリアリズムにはあまりふれたくないです。自分ばかり地獄から抜け出そうとする・・・ユゴーの無慈悲な心が・・・その心相当の罰を受けて・・・




特別企画「ユゴー、ブログを振り返る」第一回
2004年の師走は本当に大変だったよね

――ブログを読むと、相当文化的な生活をおくられていたようですが
うん。かなり映画や本を読んだよね。『20世紀の芸術』なんて概説本を買ってきて、必死に教養を詰め込んでたのもこの時期だ。そういえば、この勉強が終わった後に、息子を連れて近所の美術館に行ったんだ。「パパが色々教えてやるぞ。パパには教養があるからな!」って自慢げに言ったら息子は目を輝かせてね。

――それは張り切りましたね
でも、美術館にあったのは19世紀以前のものばかりで、全く僕の知識は通用しなかったんだよ。作家名ひとつ分からない。信じられるかい?結局そこには、20世紀の芸術がひとつもなかったんだよ。僕らは20世紀、そして21世紀しか生きてないのに、縁もゆかりもない中世の芸術ばかりが鎮座していやがる。

――行く美術館を間違えたんじゃないですか
とにかく、あんまり腹が立ったもんだから「ファッキン美術館!」と吐き捨てて、嫌がる息子を引っ張って家に帰っちまった。息子はそこの美術品にかなり興味を示していたんだけどね、僕の知識はそこでは活かせないから、仕方なかったんだよ。格言に言う『自分以外の人間はゴミだ』、だよ。でもね、その夜、僕は息子に言われちまったんだ。「お父さん、教養って強要のこと?」ってね(笑)一本とられた代わりに、息子のアバラを一本とってやったけどね(笑)

――死んだ方がましですね
うん・・・・

M&A

まいった、まいった。
馬場つげ研初のM&Aが起こってしまった。

「しまった」と残念そうなのは、これが拡大のための合併・買収ではないからだ。むしろ真逆の縮小に向けたM&Aであった。


25日の深夜、会員ユゴーから突然、「ブログ『我輩葬送曲』を単体で更新していく自信がなくなった。『馬場毎日』が吸収してくれないか」との申し入れがあった。ブログ『我輩葬送曲』は、前身サイト『木曜会』時代から続く、馬場つげ研最古参コンテンツのひとつであった。スタート当初から更新頻度は概ね低かったが、特にブログに移行してからの11ヶ月は、多くて月4回の雑記が載るばかりで、とても満足できる状態ではなかった。

しかし、それにしても2年間続いた企画を、自らの怠慢を見てみぬ振りして、あろうことか人様に「パス」するとは開いた口がふさがらない。例えば「明日新宿駅の何口だっけ」「関口」、このぐらい酷い。某楽天と某TBSの騒動に気をとられていて、馬場つげ研内部に対する配慮が足りなかった自分にも怒り心頭であった。

もともと、文章力アップとアンテナ林立(博学志向)を目指し、会員有志にブログを始めさせたのである。人間、目的達成までは多少の無理は買ってでもすべきであろう。ブログ放置は引き返せるが、消去してしまえば、もう戻れない。他のブログにこの無責任な流れが広がって、馬場つげ研が崩壊することを恐れ、私は吸収合併を拒否した。

「お前はそんなに書けるようになったのか。だったら本でも書いてみろ!」
じゃあそうする
「お前はそんなに物知りになったのか。だったら図鑑でも書いてみろ!」
じゃあそうする
「お前はそんなに偉くなったのか。読者を無視した、あまりに無礼な行為ではないか!」
そんなものいない



そんなものいない。

おお、ジーザス。


というわけで、ユゴー『我輩葬送曲』は2005年10月26日をもって終了します。今後、セレクトしたものが『BLOG馬場毎日sawayaka』の一カテゴリーとして再掲されます。なお、近日中にユゴー+金ゐの『ねとらじ』、「談断団!『つげ義春以後』は今どうなっておるのか」(仮)がスタート予定。

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