BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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欠陥ZAKKI

適度に忙しいと自分のようなものでも社会に適応できているようでうれしいなあ。「そんなんでテンテコ舞じゃ」って友達にも言われたのだけどね。で、空き時間に図書館に行ったでごわす。3時間、雑誌をひたすらコピーする。何のために?資料のために。

本日は「まつり」全号をざっと調べ、コピーの嵐。うーん。いいですねー、手垢のついてない本ってのは。気持ちよくなる。使えるんだか使えないんだか定かではない、しかし興味深いタイトルが踊る。すげえな祭りファン。
つげ関連では、「鳥追い」について調べようと思って、「日本民俗学」のバックナンバーにあたる。こちらは【総目次があった】ので、調べるのが楽。69号に「鳥追い歌の変遷」というビンゴな論文が収録されていた!が、なぜか69号が見当たらない。やる気なさそうな、だるそうな司書に聞くと、「貸し出し中です」なんだと!「嘘だよ!絶対欠号だろ!調べてみろや!いったいどんな人間がこんなもん借りるんだよばか!」そのときの司書の嫌な笑みったら。

現代の眼】を数冊、「現代のエスプリ」からは「鈴木牧之の『遺書』ノート」、あと「ユリイカ」。

帰り際、地元の古本屋に寄る。中野重治、井伏鱒二、ロブグリエを講談社文芸文庫で買って1500円。高ッ。『文藝』の【】特集号、『國文学』の「映像の世界」特集号、つげ忠男・片山健のイラストが載っている『終末から』、『早稲田文学』特集111年の評論を210円で。

早稲田文学】のフリーペーパー「WB」を貰って帰る。・・・・と、いま『耳をすませば』を見ていたら、主人公の雫が、空想の中で吐かれるべき台詞「ちがう、おまえなんかじゃない!」を図書館で絶叫していた。周りで本を読んでいた人たちが驚いて顔を上げ、雫は赤面していた。

で、デジャヴュだ。おれ、このシーン見たことあるよ。ただ、男だったな。年ももっと上か。あ、周りの人たちは顔を上げなかったし、本人は赤面してなかったな。強烈な匂いがして、その後追い出されてたなあ・・・
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雑感・マンガは面白かったのか?(その1)

高田馬場つげ義春研究会Web会誌『週末から』の、おそらく第一期終刊号となる第9号が、いよいよ3月15日に掲載される予定です。「最後」とかけてみました。本当は「ついには最後」とかけてみたかったんですが、生きてるか分からんdeath死ね。諦めました。

現在、ネットでは【たけくまメモ】を中心に「萌え」論が盛り上がっておりますが、残念ながら、今回の『週末から』に「萌え」論的要素は一切ありません。というか、論的要素すらあるんだかないんだよ。つい先日「いい加減『つげ義春以後論』を書け」というありえないありがたいメールを頂いたばかりなんですけど、その人の期待には応えられそうもないので、先に謝っておきましょう。ごめんなさい。いつもどおり、旅行記が中心の温い感じになると思います。昨今のマンガ論ブームと遠く隔たったところで閉鎖的に楽しんでいる馬場つげ研の、それでも今後の発展の礎となるべく、ほとんど一人でぐだぐだ書いています。


さて、【夏目房之介のブログ】のブログを読んでいたら、次のような記述がありました。

やっぱりマンガ面白いっす。率直にそう思うですよ。だって、少し前からだと『BJによろしく』『ハガレン』『DEATH NOTE』『のらみみ』『シグルイ』『もやしもん』・・・浦沢直樹にかわぐちかいじ、よしながふみに三宅乱丈、そいで『黒沢』『バガボンド』でしょ。例が青年マンガに偏ってんのは、世代的に勘弁してもらうとして、マンガ、全然つまんなくないじゃん。何で「つまんない、つまんない」ってみんないってんだろう。若い読者は別にそんなふうに思ってないんじゃないのかな。だとしたら「つまんない」って、もし批評家の言葉だったら彼らに失礼だと、僕なんか思うんだよねー。

こういう書き方をされると、オヤオヤこの人は何を考えているのかな・・・・と思うわけで、正直、「正気かよ」と疑ってしまいました。さらにコメント欄では、私が辛うじて共感できた昨今のマンガ研究者・竹内オサムを『テヅカ・イズ・デッド』の伊藤剛が批判しているわけです。

伊藤氏が「とりあえず叩きつけただけの」「論旨ぐちゃぐちゃ」だと言う竹内オサムの文章は短く、まあ議論に向かっていない部分があったので、私も満足できませんでしたが、「マンガは、かつてなく豊かである」と述べる若手研究者・宮本大人に対して「ぼくなどは本気なのかと疑ってしまう」と率直に見解を述べるスタンスは(論理的かは置くとして)常識的であるように思いました。

そう言い切る理由が私と竹内氏とで異なるだろうから(私は宮本論文に「「かつてなく豊か」でこの程度の対社会影響力、対人間影響力しかもたねえのか?それならなんでアンタわざわざ研究してんだ?」などと突っ込んだりしてました)、満足できないのですが、萌え系であったり、ある意味「マンガをめぐる言説が追いつけなくなった」とされる作品群に、どうしても賞賛の言葉を与えることができずにいる私には、「依然面白い」派言説より、よっぽど共感できたのです。

そりゃそうだ、「面白くない」と思ってんだから「面白い」派より「つまらない」派の方がしっくりくるだろう、そういう真っ当な反論も予想されますけど、やっぱり、「つげ義春以後」ってものを期待する人間としては、ここらで言っておきたいのです。


「マンガは面白かったのか?」
(このように無責任に簡略化すると論争の火種をばら蒔くもしくはスルーされることになりますから皆さんは注意してくださいネ)

あるいは、極一部の例外が面白かっただけではないのか?
今まさにマンガは面白くなっていこうとしているのか?


本当にこの手の見解に対する反論マニュアルが用意されてそうなぐらいステレオタイプなことを言いましたが、私はわりと暴論を恐れないタイプの素人ですからね、言っちゃいますと、たとえば『黒沢』が「面白い」っていうときの「面白い」ってのは、本当に「面白い」んでしょうか。私の基準からすると「面白くない」んですよ。「すげー面白い」って言いながら単行本を何冊か買って、すぐブックオフだとか、ブックオフに行くのも面倒だから廃棄されたりしちゃう「面白さ」なんだと思う。

そうじゃないって人もいっぱいいるでしょうから、どうにも弱いんですが、ただ自信を持って言えるのは、『黒沢』には、それに代わる選択肢がいくらでもあるということ、(瑣末な部分はともかく)マンガ表現のパラダイム変換を促す下地作りに何の影響も与えないということです。

おそらく読んだ人間にまったく影響を与えないということはないでしょう、もしかしたら人生を変えられちゃう人もいるかもしれません。しかし、その影響は他の作品からも受けることのできるものなのです。そして「なぜマンガなのか」という根本的な問いへの視座は用意されていませんから、表現の深化とは無縁だと思うのです。

そういう作品、そういう表現が「娯楽」の最良のあり方だと思うのならば、もう仕方がない。ザッツ・オールです。「ひとつになれないからキスをするんだよ」と326も言ってましたよ。

現実世界では、そういう人ともそういうスタンスを理解した上で付き合っていかなければどうしようもないわけですが、でも、私は「マンガ好き」を自称する人がこういうスタンスを貫くことに抵抗を感じます。だって、マンガが本当に好きならば、マンガという表現形態そのものの可能性に期待を抱くと思うのですよ。

『BJによろしく』、面白いですね。実に面白い。私も単行本買ってます。しかし、これってマンガじゃなくていい最たる例です。『ハガレン』、笑えるし、泣けるし。読ませますよね。単行本全部持ってます。しかし、これってアニメでいいですよね。

テーマ至上主義だって誤解を避けるためにこういう書き方をしましたが、内容に限って言えば、どちらも「取るに足らない」と一刀両断できる作品だと思いますよ。もちろん『黒沢』もそうですが、もっと考え抜かれた作品、きちんと機微が描かれた作品、登場人物が魅力的な作品、マンガに限定しなければいくらでもあります。そして、それらが他メディアに移植可能な作風を現実に採っている以上、マンガに限定される必要は全くない。

真の意味でマンガという表現形態の可能性を追求せず、内容も他ジャンルに劣るようなものを、あろうことか「マンガ好き」が褒めるのは、やっぱりおかしいですよ。

思うに、マンガってやっぱり舐められてますよ。比較的新興の文化だから甘やかされているんでしょうかね。だって『NANA』ですよ?本気で『NANA』が「傑作」だとか「名作」だとか思ってる人はおらんでしょう。恐れずに「陳腐だ」と言いましょうよ。作品解釈はつまるところ、作品価値ですよ。まあ、「傑作」だと言っている人もいないかもしれない、なにせマンガの評価は「すごい!」ですからね(皮肉)

論のためのマンガではない、マンガのための論なのだ。マンガのための表現ではない、表現のためのマンガなのだ。そう思う。まとまらないので続きはまたどこかで。

「なつ漫キング」店主逮捕

こちら】。「アップルBOXクリエート」ですよ。驚き。

江川達也は「本当に駄目」だと思う

かつて全く同じことを書いた気もするが、『やぐちひとり』にゲスト出演している【江川達也】を見て、再度「本当にこの人は駄目なんだなア」と思ったので、繰り返す。いま江川は、劇団ひとり・矢口とともに「セクシー飛行機」の速描きに挑戦しているところだ。

曲芸でもあるまいし、速く描くことに何の意味があるのか知らないが(マンガの本質とは完全に別物だからである・・・慎重な書き方だなあ)、紹介を受けて「世界一速いんじゃないかな」と自賛、満面の笑みを浮かべている。ご自慢の速筆のおかげで現在アシスタントなし、何本もの週刊連載を独りでこなしているらしい。

しかも、ただ描くのが速いだけではなく、ネタが思い浮かばないこともないんだとか。そりゃそうでしょう、最近の作品、あんなものにネタなんて必要ないわけですからね。必要なのは資料のみだが(資料については、かなり編集者が収集・整理を手伝っていると思われる)、せっかくの資料も徹底的に上辺だけが使われている。

『家畜人ヤプー』について、何処かで誰かが「絵にする想像力がすごい」と褒めていたが、発言主の何某さんは正気なんだろうか。マンガが「絵にする想像力」だけで成り立たないのは言うまでもないが、それにしてもあの絵!あれを「いい」だなんて。常識の範疇から一歩も出ようとしない極めて退屈な、描き続けても永遠に質が上がらないように思わせる非建設的な、安全圏故に弛緩しきった、開き直りの見苦しさに満ちた、頼りのエロスさえ微塵もなくなった、最近の江川の絵ほど読者の心をうたないものも珍しいではないか。

「数々の名作をものにされて」と劇団ひとりが持ち上げると、「かなり没なモノもありましたけどね」。おお、意外と冷静な自己分析だ。

田端文士村現在

田端には、陶芸家板谷波山を中心にかつて美術家たちが集い、その後芥川竜之介を中心に作家たちが集まって、「芸術文士村」の様相を呈していた―――時期もあった。予め断っておくと、当時の面影を残すのは、僅かに遊歩の出発地となるJR田端駅と地形ぐらいのものであり、街全体として受ける印象におよそ「芸術」的要素はない。

文豪たちの名が踊る観光パンフレットを見ると、あたかもファン垂涎の聖地のように思えるが、東京の、しかも山手沿線の「都市」に昭和初期が保存されているはずもなく、邸宅跡地には石碑すらない。この点では若者の街・渋谷にも劣る有様であるが(「まんだらけ」の上には竹久夢二住居跡の石碑がある)、いや、よくパンフレットを見れば丁寧に記されているではないか。

ポプラ倶楽部(田端保育園)

なるほど、恐ろしく絵の達者な人間が育ちそうである。

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写真右は、駅を出てすぐ脇にある不動坂。芥川が友人の恒藤恭へ宛てた手紙には「厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ それが柳町の坂位長くつて路幅があの半分位しかない だから雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ」とある。難渋な坂の急傾斜は依然変わらないが、芥川時代はもちろんコンクリ階段ではなかった。

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北口駅前にある田端文士村記念館。田端に居を構えた芸術家にまつわる様々の品を展示してあるのだが、立派な外観に比べて中は狭く、収蔵品の多くが複製であることに落胆の色を隠せなかった。点数は壁に写真入で掲げられた田端人の数より大分少なかったし、文士村の「王様」芥川竜之介についてでさえ(だからこそ?)、有名な河童の絵は複製、句を記した短冊は複製、直筆原稿は複製、挙句の果てに処女作品集『羅生門』も復刻版と、ある意味徹底されていた。

それでも、室井犀星が乙女の如き丸文字に驚き、田河水泡の力作「のらくろ」色紙の扱いに驚き、下島勲による題字が印象的な「驢馬」創刊号に驚いた。そういえば、先日、新聞広告で文学同人誌の復刻発売を知ったが、一冊何万(!)という驚愕の値がつけられていた。万が一にかけて、帰り際古本屋に寄ったが、勿論「驢馬」は見つからなかった。

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写真左は、文士グループ「道閑会」の会合場所、天然自笑軒跡である。道閑会の中心人物は、田端文士のパトロンだった鹿島建設重役の鹿島龍蔵であり、彼の住居も田端にあった。写真右が今回の目玉である下島勲の楽天堂医院。楽天堂医院は自笑軒跡の斜向かいに位置し、その完璧な保存状態は、外壁はおろか窓ガラスまで当時と全く同じであり、「時間が流れていないのか!」と感嘆させるほどであった。

下島勲といえば、芥川の臨終を看取った主治医として有名だが、『井月句集』を編纂執筆した研究家としてつげファンにはお馴染みの人物である(言うまでもなく『井月句集』は『蒸発』の参考文献)。伊那に生まれた下島は、幼少時、実際に井月を見知っていたこともあり、散逸していた句の数々を初めて大々的に収拾した。芥川の賞賛も手伝って、本の出版後、井月は再評価され、その名は全国に広まった。

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下島は医者ながら文学に精通し、多くの文士たちと交流した。自らも「空谷山人」と号して句を楽しみ、素人ながら書家としてもなかなか名があった。芥川の書斎「澄江堂」の文字を書いたのは下島であり、これが評判を呼んで、いくつかの全集の題字も手がけるようになった。確かに「驢馬」の題字を見るに下島の書は味わいのあるものであったが、しかし、どう考えてもあれはレイアウト勝ち、つまり室井犀星の発想が素晴らしかったのだと思う。文壇における強大な芥川効果を感じずにはいられない。

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田河水泡、小林秀雄住居跡。そうだった、田河水泡の妹、高見沢潤子(作家)は小林秀雄の妻だった。ここも当時そっくりそのままである。

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左は平塚らいてう、右は中野重治邸跡。中野重治は『つげ義春漫画術』にも登場した小説家で、「驢馬」の同人である。二軒ともほとんど変わっていない。

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まさか洗濯物まで同じとは。驚くほかない竹久夢二邸跡。

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冗談はともかく、田端文士村は昭和20年代、空襲によって灰塵に帰した。近くの公園にあった説明文によれば、そのため現在は「当時を偲ぶよすがさえ残っていない」のだが、奇跡的に今も残っているものがあった。旧芥川邸の通用門である。

「芥川の邸跡は三軒に分割された。玄関のあたりを大河内家、台所の部分を武田家、残りを蠣崎家が占めている。そして、現在も使われている三十メートルほどもある万年塀は、芥川時代のものであり、ことに武田家の使用している門は、芥川家の台所へ行く通用門をそのまま使用し、そこに備えられてあるポストも、現主人の武田良一さんが、芥川を記念して往時のままに保存しているものだという。」(『田端文士村』近藤富枝、中公文庫)

家の持ち主は三軒とも変わっており、万年塀も見当たらなかった。『田端文士村』が改訂された2003年12月20日の時点ではまだあったのだろうか、写真が古いままだから内容改訂は行われず、塀はとうの昔に失われたものと思われる。残された通用門は今にも崩れそうであった。ポストは近代的なものに代えられていた。

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ちなみに「よすが」として残されていたのが室井犀星の庭石。そんなこと言われても・・・・。

他にも瀧井孝作、萩原朔太郎、土屋文明、内藤春治、野口雨情、浜田庄司、堀辰雄、村山塊多、菊池寛、サトウハチローなど、著名文化人の邸宅跡をまわったが、これ以上ビルだのコンビニだのを紹介する必要はないだろう。もともとは「山手線バトン」用に文章を書いていて、「興味のない駅」に田端を挙げたのが文士巡りの発端だった。駅前だけ見て興味がないと書くのは性急過ぎる、通りを一本入れば案外面白い町並みが広がっているかもしれない。しかし、今回改めて巡ってみて、やはり縁遠い町であることが分かった。

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田端八幡神社

メモ:「創」マンガ関連記事

1981年12月
特集 かつて編集者たちは黒子だった─出版界の仕掛人=編集者の素顔
「少年マガジン」から「ホットドッグ・プレス」へ 若者にメッセージを送り続ける男・内田勝
「少年ジャンプ」から「ヤングジャンプ」へ ゼロからマンガ王国を築いた中野祐介
知られざるもう1つの仕掛人たち 鎬を削る少女マンガ家育成教室

1982年5月
翳りがみえた少年コミック誌『少年ジャンプ』『少年マガジン』『少年サンデー』『少年チャンピオン』『少年キング』他

1983年2・3月
ブームとなるか“古典コミックス”講談社・徳間書店・辰巳出版の新コミック路線

続きを読む »


僕の小規模な買物

edreport】のライブを観に吉祥寺に行ったので、ついでにブックオフに寄る。吉祥寺ブックオフにて、百円でどこまで買えたかを記録。


野坂昭如『エロ事師たち』
読みたかった。文春文庫の『文壇』は二百円也。

牛島秀彦『消えた春』
特攻に散った名古屋軍投手・石丸進一の従兄弟である筆者が書く、ノンフィクション。『巨人軍に葬られた男たち』が意外と面白かったので、野球ノンフィクションにはまりそうな予感。

若一光司『自殺者の時代』
20世紀の著名人144名の自殺へ至るエピソードを羅列的に紹介。

奥野建男『太宰治』
太宰論の古典、文庫版。

福田清人編『森鴎外 人と作品11』
清水書院の新書版伝記シリーズ。ずらっと文豪の数だけ出版されている。芥川と井伏の二冊を持っているが、今までも何冊か100円で見たことがあったので、これを機にコンプリートを狙う。カバーには「文学を愛好する一般の方々のハンディな教養書として、また、学生・生徒の現代文理解の鍵として、再びかえらない尊い青春の日に、本書を愛読されることをおすすめします。」・・・きょっ、教養くせえ。「再びかえらない尊い青春の日」に伝記読んでる場合じゃないような。

廣松渉、吉田宏哲『仏教と事的世界観』
エピステーメ叢書100円って、ちょっと幸福な気分じゃないですか?

水村美苗『続・明暗』
夏目漱石の遺作『明暗』の続編を、「本格小説」の水村美苗が書くとなると。まずは『明暗』を読まないといけないw

『伊藤潤二恐怖マンガcollection6 双一の呪いの日記』
集めてるんだけど、なかなか百円では見つからない。安定して面白い。

山田直樹『創価学会とは何か』
ウハッ

文藝春秋編『孤高の鬼たち 素顔の作家』
文豪のエピソードを作家や関係者が書く。水上勉が宇野浩二の口述筆記していたなんて知らなかった。

『ユリイカ臨時増刊 村上春樹の世界』
佐々木マキが表紙について文章を寄せている。なんと1989年から23刷している!100円はどう考えても拾いものでしょう。


まあ、百円で買い集めながらも、久米田康治『さよなら絶望先生1』に二百五十円払ってるから本末転倒なんですけどね・・・・・。講談社文芸文庫3冊で金弐千円也、ですわ

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