BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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つげパロディーの系譜5 『さん式』 

「さん式」 蛭子能収

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 「さん式」は『平凡パンチ』(掲載年月不明、情報求む!)に掲載された。タイトルから分かるように、つげ義春の代表作「ねじ式」のパロディである。「さん式」は「三色」と書き、【麻雀の役なんだそうだが】、私は麻雀をやらないのでよく知らない。では「三色」を知らないとこの作品を楽しめないかというと、もともと「式」しかあっていないパロディである。全くそんなことはない。
tp-ebisu04.jpg73年8月号。水木しげる、永島慎二、勝又進、坂口尚、さらにガロ三羽烏が揃って執筆。蛭子とともに「増村博」も入選している 蛭子が漫画家であることがトリビアだった時代は、いつ頃までだったのだろうか。進学塾「Z会」のイラストが全国新聞のテレビ欄に定期的に掲載されるようになってから、はっきり終わったように思うが、現在も彼のキャラクター並みにその作品が周知されるには至っていない。
 蛭子はれっきとした「ガロ系」漫画家である。『ガロ』1973年8月号に掲載された短編「パチンコ」でデビューし、【80年代を通じて同誌に数多くの作品を発表】した。処女作品集『地獄に落ちた教師ども』(81)をはじめ、10冊以上もの作品集を青林堂から出している。蛭子は80年代
『ガロ』でブレークした粗い描線とナンセンスに満ちたストーリーを特徴とする「ヘタウマ」路線の代表的な作家であった。

 「ねじ式」が発表されたのは1968年だが、蛭子がデビューした当時も、特に『ガロ』においては大きな影響力を持ち続けていた。最も有名な「ねじ式」パロディである赤瀬川源平の「おざ式」が発表されたのは僅か2ヶ月前のことであり、デビューした8月号には、発売されたばかりの『つげ義春作品集』の広告が裏表紙に掲載されたほか、二つのパロディが載っている。
 一つは当時の編集長・南伸坊による「おざ式」のパロディである。嵐山光三郎の人気コーナー「嵐山の人生相談」の挿絵には、お座敷に墜落した黒塗り飛行機の横に「おざ式」くんが座っている。「まさかこんなに問題になるとは思わなかった」というト書きが添えられているが、南伸坊自身、作中に何度も登場している(ちなみに先に触れた豪華本『つげ義春作品集』の装丁も南によるもの。『装丁』(フレーベル館、2001年)参照)。
tp-ebisu05.jpg73年6月号。永島、勝又、坂口、林静一「あめりか生まれのせーるろいど」、仲佳子「たこつぼ」(「実は」「一匹生存しているのです」は影響下?)

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コマごとに絵柄も描き分けてパロディしている
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「ぼくはなんて時期おくれのパロディをかいてしまったのだろう」とあるが・・・
 もう一つは「読者サロン」に寄せられた「おざ式」に関する「予告投書」である。この投書の署名は「天澤退痔瘻(匿名希望)」というふざけたものだが、的確なパロディによって「短評」というべき質を持ったものであった。
 天澤は「おざ式」が77年10月号から編集部によって予告され続けたという経緯を「最近の漫画及び漫画家が課せられている原稿〆切のまさに核心的な受難者・にない手であることを、その過程において示した」と書き、「読者と編集者と作者の三元論的探求がついにたどりついた「おざ式」は、「予告」の根源的逆倒性・逆行主題のまさにエラ先にひっかかっている」という。
 投書に満ちた若々しいアンチ精神の意味の無さは、「おざ式」のスタイルを楽しむことはできるが、そこに作品としての実験的価値を見出すことは出来ないという自明の理の(だからこそつげの近辺から「酷いマンガ」と評された:出典忘却)些か自虐的な確認であり、数多のパロディ作品とは決定的に役割を異にする「ねじ式」の「無意味」を評価するものであった。

 赤瀬川の硬質かつ上質な絵にはつげ・水木ラインに通じる巧さがあって、深読みを誘導する<文学的>魅力を秘めていたが、パロディという反映的な性質はそうした自由奔放な読みの可能性を自ら封じ込め、本来「ねじ式」に仕掛けられた「意味性からの脱却」を機能させなかった。さらに「ねじ式」における過剰な意味の露出とその配列から意図的に逸れてみせたことで、「おざ式」は、つげパロディーにおいては特徴的であったけれども、作品として・パロディとしての実際性を完全に失った。
 しかし、蛭子の「さん式」においては、「おざ式」における絵的な類似さえもなく、他のつげパロディと同じく「思いついたからやってみた」という程度の印象しか受けない。

 蛭子は各所でつげの影響を認めている。

「それまでの旅物とか温泉物は、それ程好きっていう訳ではなくて、『ねじ式』を読んで一変しましたねえ。」
(蛭子能収インタビュー『蛭子能収コレクション ギャンブル編』マガジン・ファイブ)

「映画の世界では、芸術映画ってたくさんありましたけど、漫画の世界では、そんなことありえないって思ってたんですよ。漫画は、普通のストーリーで進んでいくものだって。でも、つげ義春さんの『ねじ式』 っていうのを読んで、ビックリしたんですよ。漫画でもこんな芸術っぽいものが出来るんだ、受け入れられるんだって。強い影響を受けましたね。」
DISCAS INTERVIEW 『TSUTAYA DISCAS』)

 「さん式」を見る限り、パロディは「リスペクト」というよりもほとんど「戯れ」に近いが、扉まできちんとパロディするところなど、ファンのつぼも外していない。蛭子はやはりつげファンであることがわかる。
 しかし、「さん式」は、蛭子作品の中でも特に「つげ的」でない。他の作品では「ねじ式」の「無意味」を自分のものにしようとしているにもかかわらず(その結果が「つげ的」であるとは言わない)、よりによってつげパロディにおいて、もっとも「つげ的」と隔たるのはなぜだろうか。

 無理矢理詰め込んだから、パロディという慣れないスタイルを採ったから、つげの絵柄と合わなかったから、などの技術的な問題も確かに見逃せない理由として挙げられようが、この作品の失敗によって、明確に、蛭子が「意味」というものを何よりも重視していたことがわかるのである。

 蛭子はインタビューでさらに佐々木マキに触れ、「こういう表現でも漫画を描けるんだなあ、っていう。《すごいなあ!》って思いました。」(『蛭子能収コレクション ギャンブル編』)と述べている。ここでも「ねじ式」のときと同じように、表現スタイルそのものよりも「何でもあり」という作家態度の奔放さに共感している。
 これは、マニアから「人でなし」と言われる蛭子のキャラクターを考えればごく自然な感想だと思うが、しかし、蛭子が「つげ義春以後」たりえなかったのは、つげや佐々木の表現スタイルを「何でもあり」と誤解したからではない。蛭子には意味性を脱却して表現における奔放を手に入れようとする方法論が、そもそもなかったのである。

 確かに初期の作品においては、つげへの意識を感じ取ることができなくもない。背景の不条理、ストーリーの不条理、人物の不条理。これらの徹底した断絶が乱暴な描線と相まって立派に作品の体をなすところに、「つげ義春以後」への可能性を見た人もいるのではないだろうか。

 実は連想ゲームのようにイメージの繋がりによって全体が構成され、断絶そのものには作品を超えて訴えかける普遍的な力、すなわち表現の効果が備わっていなかったことを、私は事後的に確認した。しかし、「駄作」と正面切って呼ばれることが漫画家・蛭子最大の芸となる90年代まで(シュールやナンセンスというカテゴリーの隠れ蓑に助けられたとはいえ)どうにかそのことを隠蔽しえたのは、描線が他でもない表現の効果として機能したからであった。
 蛭子の絵は、郷愁や「存在論的不安」を呼び起こす「文学的」な情感も湛えていなければ、「空虚の時代」を強調する無価値に等価な粗さもなかった。では、マンガ史の文脈におけるアンチとして機能したのか?
 ……おそらくそのようなことはなかったと思う。フォロワーが決して多くないうえに、同時期の『ガロ』作家と比べても大人しい印象を受ける蛭子の絵が、それのみで評価されることは考えにくい。しかも、漫画としての特殊性を身につける前の、いわば「作家性の第一段階」にとどまった絵は、多様なマンガの歴史においては「そのようなこともあった」と通過されてしまっただろう(イラストレーターとして成功したのはまた別の問題である。赤瀬川源平も『漫画主義』の表紙でつげをパロディしている)。

(この項つづく)
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レス:つりたくにこと『つげ義春以後』

誉められたときは一切疑わずに受けとり、批判されたときは全力でやり返す。金ゐ國許です。

私が千葉へ行っている間に、掲示板にて「つげパロディーの系譜四『それから』」に関する以下のような書き込みをいただきました。掲示板はログを保管していないので、消える前に転載しておきます。

「馬場毎日」の論考は、これまでに発表されたどの「つりたくにこ論」よりも高い水準にあるように思えました。ひとつひとつの指摘が、とても的を射ているように受け止めました。
ただ、作者が、「つげ義春以後」についてそれほど自覚的であったとは思えないのです。作者は、本来、SFマンガから出発しています。小松左京をはじめとする、当時、勃興しはじめたSF小説に多大な影響を受け、「どんでん返し」の妙味に惹かれたのだと思います。つげ義春の「李さん一家」にこだわったのも、いわばSF的な展開としての「どんでん返し」を感じたからではないか、と。それと、つりた作品が「難解」に向うのは、つげ作品の影響というよりも、池上遼一、佐々木マキ、林静一ら後続の作家が次々と問題作を発表していったからにほかならないでしょう。
また、つりた作品を好んだ「政治少女」たちは、『ガロ』作品だからという理由で、深読み=勘違いしていたにすぎないと思います。「ねじ式」を「反戦マンガ」と評したマンガ家たちもいるような時代ですから、彼女たちを責める気はしませんが。
(改行金ゐ)


「馬場毎日」の論考は、これまでに発表されたどの「つりたくにこ論」よりも高い水準にあるように思えました。ひとつひとつの指摘が、とても的を射ているように受け止めました。

お褒めの言葉をいただいて大変嬉しかったのですが(ええ勿論「社交辞令」だなんて露いささかも思いませんでしたとも)、読んでいて危機感のようなものを抱かずにはいられませんでした。かつて『ガロ』黄金時代を支えた漫画家たちが、時の流れの中に埋没しつつあり、近い将来、完全に消えてしまうのではないか、という危惧です。

かなり失礼かつ余計なお世話ではありますが、つりたくにこしかり、この頃の『ガロ』系作品は、たとえばQJシリーズで人気が(奇跡的に)再燃した作品のような「ザ・カルト」的傾向を持たないため、彼ら/彼女らが全く知らないマニア層へ広く浸透することは非常に難しいと思われます。今見るととても「正常」かつ「正統」な「マイナー作品」が、50年後100年後に、きちんと読み継がれているのでしょうか。

そんなときにこそ有効なのが評論や論争による作品価値の決着と研究による漫画史への位置付けだと私は思うのですが、私の小文程度を誉めざるを得ない背景には(だから社交辞令とは思わなかったと言ったでしょう)、やはり当時の『ガロ』系作品への言及がほぼゼロに近い現状と、未来への不安があるんだと思います。

馬場つげ研がリンクしているアベシンのファンサイトを紹介したとき、「あれほどの作家のサイトが一つしかないというところに、現在の漫画事情の貧困が窺えます」と書きました。それでもアベシンは復刻や新刊が出版されているので、一応は「よし」と言えるのかもしれませんが、現在、書店で入手可能なつりた作品はありません。

幸い『つりたくにこ記念文書館』『「つりたくにこ」とその周辺』なるファンサイトがあります。資本による後ろ盾が無い以上、在野精神で盛り上げていくしかないのですから、ぜひファンの方には評論を発表するなどして頑張って欲しいと思います。


【蛇足:ちなみに私がググって見つけたブログには、「つりたのシニカルな目線というのは、当時の社会にはあっていたかもしれないが、私のように完全に世代を異にする者には只管に羞恥を煽るものがあり、まともに読めない。趣の異なる暑苦しさがある。その苦悩にドライを装う視線が重なるのである、耐えられない?!」と、辛辣な言葉が並んでいた。

あまりにも無邪気な世代論は置くとしても(他人のことを言えないので)、同じく夭逝の『ガロ』作家・楠勝平と比較しての発言には疑問を持った。話は逸れるが、言及しておきたい。

「つりたはシニカル・ドライを装いつつ常に「自我」と密着した作品を描いており(その上難解にしよう、という作為が感じられる)、楠も病身故にそこへ執着は見せるものの、漫画としてはきちんと距離を保ち、しかも何処までも真剣で甘えと隙がない。」と著者は言う。

しかし、自我と作品との「距離」は、それだけで作品の優劣に関わるような決定的な要素ではなく、作家の表現上の選択にすぎない。伸縮自在な「距離」の存在が表現に奥行きを与え、その長短こそ各人の個性である。
また、著者は全く取り合わないが、つりた作品に実験精神が根付いていたことは間違いないことであり、それが絵柄や内容の外見的な「難解」に結果としてはとどまるものだったとしても、少なくとも楠と同様、「何処までも真剣で甘え」がなかったように思う。「隙」という点でも、つりたも楠も己の表現姿勢においては無かったと言えるし(仔細に見れば発見できないことはないだろうが)、表現の達成度を考えれば、どちらにもあったと言える。

所詮、漫画体験を「恥ずかしい話」と語る作者の言であるが。】


ただ、作者が、「つげ義春以後」についてそれほど自覚的であったとは思えないのです。

「ただ」が来たときに、私の表情は上人したわけですが(笑)。上人?いや、踊り念仏ですが。

真面目に答えますと、今の段階では、私にはつりたくにこが『つげ義春以後』に対してどの程度自覚的であったのか、断言することはできません。「おそらくつげの影響を受けて、漠然と『つげ義春以後』をイメージしただろう」と考えていますが、具体的な証拠を挙げることはできませんし、そうした欲求もあまり強くは無いので、証拠を挙げるのは「つげ義春に強い影響を受けた女流漫画家」と言い切る『「つりたくにこ」とその周辺』さんに任せたいと思います。

断言をとりたてて目指さない理由は「つりたくにこは『つげ義春以後』に迫り得なかった」と私の中では結論が出ているからです。『つげ義春以後』を「新しい表現」に入れ替えてもらってもかまいません。そして、つりたと同様、まだまだ言及が不足しており、かつ『つげ義春以後』に迫り得たと考えている菅野修ほかの様々な作家に言及していく方が先だと思っているからです。

現時点で断言できない理由を申しますと、まず資料がないことがあります。これは私の手元にということです。つりたの「つげ観」を端的に表す資料がありましたら、教えてください。

次に、『つげ義春以後』とは「いつ以後」なのか、という重要な問題に回答できていないからです。87年の『別離』以後という括りにいささか無理があるのは理解できるとしても、では、初めて『つげ義春以後』を打ち出した『夜行』創刊(72年)以後なのか、キャリアのターニングポイントとも言うべき『沼』(66年)なのか、はたまた『ねじ式』(68年)なのか。

元々「何年何月」というようにかっちり決まる問題でないのは承知の上ですが、ある程度定めておかなければ、今回のつりた作品のように時間的に極めて近い場合、『つげ義春以後』との関係性の判断が微妙になってしまうのも事実です。

私は『つげ義春以後』を「構造の崩壊過程」と見ておりますので、つげ作品の「構造」化が極まった『ねじ式』を区切りに使うことが多いのですが、そうすると例えば「池上作品はどうなるんだ」という問題が出てきます。

つげ義春「以後」ですから、つげ義春を前提に、それを超えた最初の表現者から始めればいいのかもしれませんが、それでは、超えてはいなくとも『つげ義春以後』の影響下にあり、格闘した作家たちの功績を見逃すことになります。『つげ義春以後』は表現形態として技法・思想的に理解されなければならないのと同時に、漫画史の確かな人的系譜、一水脈として記述されるべきであると思うからこそ、そこにはいっそう厳密さが必要とされるのです。


つげ義春の「李さん一家」にこだわったのも、いわばSF的な展開としての「どんでん返し」を感じたからではないか、と。

「李さん一家」のオチを気に入ってのパロディであることは間違いないと思われますが、仰るとおり、確かに、仮につりた作品が『つげ義春以後』を迫り得たのならば、「李さん一家」を「牧歌プラス意外性」とは見なかったはずであり、そうした意味でもパロディした時点でつりたくにこがつげの表現の深層部を見抜いていたと考えるのは不自然です。


つりた作品が「難解」に向うのは、つげ作品の影響というよりも、池上遼一、佐々木マキ、林静一ら後続の作家が次々と問題作を発表していったからにほかならないでしょう。

もはや言い方の問題になってきますが、池上遼一、佐々木マキ、林静一らの作品にはつげ作品の影響はなかったのでしょうか。確実にあったと思います。そして、つりたが彼らの作品に対峙したとき、つげの手法なりを無視することはできないはずです。ただ、繰り返しますと、私は池上遼一や佐々木マキや林静一のように、つりたの作品が『つげ義春以後』に迫れたとは思いませんでした。


つりた作品を好んだ「政治少女」たちは、『ガロ』作品だからという理由で、深読み=勘違いしていたにすぎないと思います。

私が言いたかったのは、つりたくにこがおそらく当時(現在も)『つげ義春以後』を予感させる作家であり、その予感はつげと共通する支持基盤を持ったことからも強まっているのではないか、ということです。ですから、基本的につげを全面的に支持しつつもつりたを完全に肯定することはありえないと思っています。

つげパロディーの系譜4『それから』

「(続・李さん一家)それから」 つぎ宛春(あてはる)

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目次には「つりたくにこ」と表記されている
1967年9月号の『ガロ』に発表された短編。「つぎ宛春」とは60年代後半から80年代前半にかけて『ガロ』で活躍した夭逝の女流漫画家「つりたくにこ」のことで、タイトルからも分かるように本作は傑作「李さん一家」のパロディになっている。本家と比べると絵の巧さに格段の開きがあるものの、タイトルのみの扉ページもそのままという凝り様で、つげへの深い心酔が窺える。粗筋は以下の通り。

放浪癖がでてボロ屋をとび出してから3ヶ月。李さん一家は一階へと移り住み、二階は名前も知らない女の子に占拠されていた。女の子は高級ステレオで大音量のジャズを楽しみ、ぼくは廊下で寝起きする。ある日食中毒で女の子が死んでいるのを発見すると、悪臭とハエを処理するため、李さんは死体を裏庭の土中深くに埋めた。その日から僕は二階でゆっくり眠ることができたのです・・・・
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元ネタであるつげの作品が発表されたのは67年6月号の『ガロ』。驚くことに、つりたがパロディを発表する僅か三ヶ月前のことである。この事実だけでもつげからの影響を結論付けてしまいたくなるが、ついでに記せば、つりたは1968年7月から一ヶ月間、つげと共に水木プロで働いている。
「永遠への飛翔 つりたくにこ編」(斧田小、『アックス』第5号収録)に書かれているように、この時期の二人は特別深い間柄ではなかったようだが、この後、つりたの作風はまさに「つげ的」とも言える「難解」なものへと変化していく。

つげに憧れ、つげファンでもある「政治少女」たちに愛され、次第に抽象度を高めていった「天才少女」の未来に、多くの読者が『つげ義春以後』を見たことは想像に難くない。少なくとも本作が、つりたがつげに連なるべき作家だったと信じさせるのに十分なインパクトをもっていたことは確かであろう。

しかし、残された諸作品を見ると、つりたが『つげ義春以後』に迫り得たかどうかについては疑問が残る。むしろ両者は「難解」であるそのことにおいてのみ辛うじて共通し、私にとってのつりた作品は、ときに観念が先行した頭でっかちな存在で、青臭く映ることすらあった。

このことは『つげ義春以後』をはっきりと感じさせる菅野修の作品に見られるような「画による画のための表現」が見られなかったこと、すなわちつりたの絵が、観念を描くには技量的に足りないところがあったことに由来するのかもしれない。

技量的に足りないと言っても、つりたの絵には独特の味があって、それがいいと言うファンも多いはずだ。個性派揃いの『ガロ』作家陣の中でも十分「個性的」なその絵は、当時の読者の目にオシャレに映ったからこそ支持を集めたのだと思う。基本的に表情に乏しい人物造形も、配置の妙によって永島慎二的「嘘臭さ」(『漫画家残酷物語』シリーズなどの持つ非社会性)が薄められ、一層「文学的」であった。「文学的」すなわち「難解」に適していたと言えなくもない。

しかし、そうした描線も、作品の主題のためのいわば「小道具」的存在に留まり、描線と作品が呼応するような有機的な構造は終ぞ見られなかったように思う。抽象的な絵はどこまで行ってもモチーフの象徴にすぎず、不条理が抗わねばならない意味性からの脱却は為されなかった。

ここで私がことさら描線にこだわるのは、全体と部分の連関が「有無を言わさず」重要だからということだけではなくて、「漫画だから絵が重視される」という、当たり前の理由からでもある。

『つげ義春以後』という表現形態は、つげ義春が達成した表現の地平を超克する、少なくともその方向性を持たなければならないはずであり、それはつまり、つげが確立したと私が看做している「構造としての作品によるリアリティの提示」という手法に前提を置きながらも、さらに漫画というメディアをフル活用することでそれを超える方法を模索しているべき、ということである(超え方は色々あるだろう)。

いま、描線がそれ自体の価値を軽視してテーマの代替物に成り下がった結果、読者は作品内の象徴を追うだけの「絵解き」に従事することになる。まずはタイトルを見、セリフを追い、最後に絵を見る。そして絵においても、漫符などの記号表現の慣習法的理解に依存した(させられた)散文的な作品解釈に限定されることになる。ここにおいてベタや斜線などの細部は意味を持たなくなり、作品は物理的な広がりを失って要約される存在となる。

読者との間に「騙しと気付きの仕掛け」を築き上げたつげ作品は、漫画表現を目一杯使用して、要約を拒む構造を成り立たせていた。というより、要約されようがない「構造」の確立に成功していた。そして、我々が『つげ義春以後』というとき、そこで(進化するにせよ壊されるにせよ)前提となる構造の存在は揺るがず、その構造とは、つりた作品に見られる、作品内で自己完結する作品の「構造」とは全く異なるものなのである。


ところで、当時の『ガロ』は、毎号雑誌の半分以上を占める白土三平の長期連載「カムイ伝」を柱としつつ、脇を固める短編作家陣にも実力派が揃っていた。「創刊3周年記念特大号」と銘打たれたこの号においても、「カムイ伝」のほかに、水木しげる(連載「鬼太郎夜話」)、つげ義春(「海辺の叙景」)、滝田ゆう(「風法師」)、楠勝平(「茎」)、池上遼一(「地球儀」)、勝又進など、今では考えられない豪華メンバーが執筆しており、実に読み応えがある。

長井勝一『「ガロ」編集長』によれば、66年から売れ出した『ガロ』の部数は、この年の暮れに8万部(返品率7%)に達し、67年の春頃には小学館による買収話が出たという。

tp-turita03.jpgつりたによるつげパロディーには、他にも「(続・それから)李さん一族」がある。李さんの兄一家(6人の大家族)が引っ越してきたことで、ついに主人公はボロ屋から追い出されてしまい、雪空の下立ち尽くす。こんな内容の、わずか8ページの短編である。2001年に青林工藝社から限定千部で出版された『つりたくにこ未発表作品集 彼方へ』に収録された。

つげパロディーの系譜3『噂の女』

「噂の女」 勝又進(かつまた すすむ)

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1970年12月発行の『ガロ』臨時増刊号
「つりたくにこ特集」に収録されたあとがき的短編漫画。(勝又は池上遼一特集号でも同様の短編を発表している)

このほかにも四コマ作品につげパロディがあったように記憶しているが、現在調査中。つりたによるパロディーは次回紹介。

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矢印の先がつりたくにこ。

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うまい!

勝又はガロ黄金時代を支えた重要なメンバーの一人でありながら、あまり目立つ存在ではなかったようだ。特集が組まれたつげ兄弟、佐々木マキ、池上遼一などの異色短編作家たちと比べると、四コマ漫画はいかにも娯楽色が強く、非「難解」である。

現在も評価が確立したとは言い難い状況に変化はない。一般人が勝又の名を知らないのはわかるが(『遠野物語』の絵本のイラストレーターと言えば伝わるかもしれない)、漫画ファンの間でさえ認知度はそう高くないと思われる。少なくとも強く支持されているとは言えない。

tp-katu05.jpgしかし、膨大な四コマは今でも楽しめる力作であり、つげも賞賛した短編作品には傑作が含まれる。特に短編デビューとなった『かっぱ郎』(『ガロ』1969年10月臨時特集号「勝又進特集」収録)は水木しげる作品に迫る良作である。勝又のあの絵、あの間でしか成立し得ない、珠玉の名に相応しい作品だった。

青林堂から限定出版された『勝又進短編集』が現在オンデマンド出版されている(『かっぱ郎』は収録されていない・・・・ちなみに佐々木マキの解説も収録されていません)。

勝又作品のリストはこちら。ちなみに「柘植大介氏」とはつげ忠男さんの息子さんのこと。ということは掲載誌は1971年5月の「つげ忠男特集」です。リストは当会でも準備中です。

つげパロディーの系譜2 『Death Comi』

「Death Comi」 古谷兎丸(ふるやうさまる)

1996年1月発行の『COMIC CUE』Vol.2に掲載された四コマ連作。その中のひとつ、「助川助三の野望」では、タイトルからも解るように、つげ作品が目一杯登場、馴染み深いキャラが所狭しと詰め込まれている。

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上のコマだけでも、(左下から)「ねじ式」「ほんやら洞のべんさん」「ゲンセンカン主人」「山椒魚」「紅い花」「蒸発」「リアリズムの宿」「海辺の叙景」「やなぎ屋主人」「チーコ」「庶民御宿」「ある無名作家」、その数実に12作品。他にも「噂の武士」「石を売る」ペン画「桃源行『黒湯』」がパロディされている。

一見してわかるように、構図(配置)以外はほぼ原典どおりの描写である。「自称ニヒリスト」の友人も、小さいながら全くそのままに描かれている。ネタ的には、古谷節満開の「その後」(『ドラえもん』パロディ)の方が遥かに面白いが、いずれにせよ、やはり画の巧さは際立っている。『ガロ』出身作家としては、「リスペクト爆発!」といったところだろうか。

この号の『コミックキュー』では、各作家が過去作リメイクを手がける「カバー・バージョン特集」を組んでおり、目次にはパロディがずらり。例えば、松本大洋の『ドラえもん』、泉昌之『おそ松くん』、おおひなたごうの『魔太郎がくる!』・・・挙げていく必要が無い程度に売れたと思うので、省略する(レビューはこちらでも)。

ところで、ジョイントレビューが載っていたが、その中で「ロッキンオン」の編集長(当時)が『稲中』に0点をつけていた。これには心底驚いた。いかなる形であれ、「思想」的に『ロッキンオン』は『稲中』を取り込まねば立ち行かないはずである。案外無理してロッキンしているのかもしれないオン。そう思ってしまった。

古谷兎丸のインタビューはこちら。古谷作品にはつげパロディが多数ある。順次紹介予定。

つげパロディーの系譜1 『電脳なをさん』

「電脳なをさん」 唐沢なをき

『週刊アスキー』で現在も連載中のパソコン漫画。漫画・映画・ドラマなどのパロディを下地に、主にマッキントッシュの自虐ネタが描かれている。短編ながら10年以上の連載で、パロディ・ソースは広範にわたる(元ネタリスト参照)。毎回2ページで一作品をパロディするため、以下その一部を抜粋する。



vol.175「旅情旅愁漫画」 週刊アスキー99年11月3日
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言うまでもなく、元ネタは“旅モノ”の傑作『もっきり屋の少女』。チヨジの浴衣の模様までアップルとは、おそるべし。



vol.348「生産中止漫画」 週刊アスキー03年4月29日
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名作『チーコ』のパロディー。「生産中止」とは、妻が買ってくる文鳥ならぬ「i-mac」のこと。



vol.126「坊屋三郎漫画」 週刊アスキー03年4月29日
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コマをそのままトレースしたかのような他のパロディーと違って少々分かりづらいが、間違いなく『外のふくらみ』の「カラーで描いて白黒で出す」手法のパロディーだろう。それにしても原典の絵が素晴らしい。




膨大なパロディーの中に、なんと湊谷夢吉の代表作『魔都の群盲』があった。若い読者への配慮からか、珍しくサブタイトルでネタ元が明かされている。

vol.337「湊谷夢吉漫画」 週刊アスキー03年2月11日
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唐沢のパロディーは徹底的で、特につげ作品パロディーはほぼ全てのコマが原典からの引用で成り立っているほど。単行本はやや高価だが、「さすが『ガロ』系」、絶妙のネタセレクトは必見である。

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