BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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嘘です

怖いッ怖いよッ。饅頭が怖いッ
金ゐです。


なんだか最近ブログが荒れています。雑記というにはあまりにも乱雑な文章に、だいぶ辟易されている方も多いのではないかと思います。

嘘です。

みんなワクワクしながらこのブログを日々の糧に生きてるんだと思ってます。落ちが1パターンでもゲラゲラ笑い転げてくれるものと信じてます。



昨日、大塚駅のブックオフで口を大きく開けてジャンプコミックスを立ち読みしている中学生ぐらいの女の子を見ました。

あれは僕です。

違います。

これはペンです。

そうです。僕はまたハッとしたのです。漫画って、人をあんなに夢中にさせるもんなんだとまたまた思い出したのです。娯楽の意味がわかった気がしました。

嘘です。

女の子が手に持っている漫画がゴムゴム某だと解ると、その醜さに顔をしかめてその場を立ち去りました。それもそのはずです。私が買ったのはコミック・キューです。そんな程度の低い漫画とは一線を画しているのです。

嘘です。

ナナナンの良さは私には解りません。


『ビッグイシュー』は日に三冊ぐらいしか売れていないようです。


怖いッ怖いよッ。東京が怖いッ
文章は荒れてません。荒れているのは精神です。
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自責

漫棚通信ブログ版を読んでいたら、猛烈な自責の念に襲われた。

「漫棚ブログ」は、私が知る限りでは、Webで最も「いい感じ」のマンガ系ブログ。全ての記事がきちんと下調べして書かれているのがよく分かるし、深く広範な漫画知識には舌を巻く。そして、何より面白い。

あまりの充実した内容に、いつも「このシト/漫画関係者(業界人)だろう/そうに違いない/だって/そうじゃなきゃ/こんなに読み続けられないもの」と思って自分を誤魔化していたのだが、(業界人かどうかは別として)5月27日のエントリーに

「ウラBUBKA」の最終号、「本の雑誌」6月号の「懐かし少女漫画リターンズ!」、鈴木めぐみ「うれし恥ずかしなつかしの少女マンガ」、堀田純司「萌え萌えジャパン」を同時進行で読んでます。少女マンガ、エロマンガ、萌え方面に対する自分の知識は乏しいなあ。

というコメントを見つけた。ちょうど昨日、私は最初の二冊をスルーしたばかりなのである。古本屋で格安で見つけたというのに。

3・4年前だったら考えられないことである。馴染みのないジャンルだったとしても、「知識が乏しいなあ」と思って、ゴリゴリ開拓していったはずなのである。それはもう、果敢に。

松本零士の小倉時代が知りたくて九州へ飛んだ中学時代!
漫画特集を買い漁り、「ウンチクはジャンルを知る有効な手立て」と信じていた高校時代!

小倉競輪の紙コップに胸躍らなくなったのは、松本零士に興味を失ったからだと考えていたが、ひょっとしたら、私は漫画熱そのものを失ってしまったのではないか?つげ義春を終の棲家にしようと無意識に決め、隠遁生活に入っているのではないか?


危険だ!
知的に危険だ!

知識万歳!教養万歳!啓蒙万歳!




・・・さて、『天花』見なきゃ。

『ねじ式』原画?

サーフィンしていたら、以下の記述を発見。

「我が家のお宝・・・額に納まっているつげ義春の名作<ねじ式>の原稿。本物か、はてまた贋作か・・この真偽を問うのが恐い。」

画像はこちら

さすがに贋作もしくは複製原画でしょう?

あと、NHK『紅い花』の画像がありました。

ついでに映画『ねじ式』のページ。知ってるだろうけど。僕も知ってたけど。世界に広げよう、つげ義春の輪!

それだけです。

日々是決戦

今日、知り合いと、そのまた知り合いの女の子と渋谷のカフェで話した。その娘に僕は一目ぼれしてしまったので、「キミは僕がロングシュート決めたらどんな顔するんだろうね」と言ったら、腕時計を見ながら「あともう15分でこの街にさよならしなくちゃ」なんて言ってきた。

知ってた。かなり焦った。


底の浅い奴と思われたくなかったので、それからは変わり者アピールに終始した。精一杯した。3時間ぐらいした。ソダーバーグの話もしたし、ダダイズムなんかを草間弥生なんかと絡めて、まとめて批判なんかしてみたりした。こっくりさんもやった。魔方陣まで書いた。必死に普通じゃないことをアピールしつづけた。

でも、途中から常識的じゃなくなって、限度を超えて、「金ゐ家の食卓、寝ておきたら持ち家を消す裏技!寝タバコー」とか「いい写真の撮り方知ってる?レンズを地面に思い切り叩きつけるんだよー」とか、ほとんど虚言癖になっていたのでみんな呆れて帰ってしまった。


独りはいや。独りだけはいや。で、しかたなく駅に向かって歩きだすと、109のあたりで僕の肩に手が乗っかってきた。彼女かと思って振り返ると、ものすごくマッチョなYOメーンが3匹いた。「109どこですか」と意外と礼儀正しくYOメーンたちは尋ねてきたので「真後ろですよ」と教えてやった。

YOメーンのなかで一番背が高いHEYメーンは、僕が109を「まるきゅー」と発音すると、猿のように手を叩いて喜んだ。「まるきゅー」が「チョロQ」のようだと言って、涙を流して笑い続けた。可笑しくもなんともないし、まるで笑う道理が解らなかったが、ごつい相手の気分を害してはいけないので、僕も「えへへ・・・」と愛想笑いしといた。おかげで、右腕が複雑骨折しただけで済んだ。

救急車で運ばれる最中、僕はずっとあの娘のことを思い出して、笑っていた。笑顔が、海に似ていた。


今年の夏はあの娘とふたりで、MOBY見にフジロック行きます。

昭和は遠くになりにけり

『天花』で、主人公の祖父が「かげろうや」と句をついで詠んでいるのを聞き、ふと思い出した(何だか最近の私は思い出してばかりだ)。元の句は言うまでもなく、「降る雪や明治は遠くなりにけり」である。作者の名は中村草田男。くさたお、と読む。

草田男は虚子の流れを汲む守旧派の俳人である。加藤楸邨、石田波郷らと共に『人間探究派』と呼ばれ、俳句の近代化に大きな功績を残した。

人間の内面を詠むことを探求したから「人間探求派」。何だかよく分からない名称をつけられたものだが、とにかく、草田男は現代俳人の中で最も名の知れた人物のひとりである。現代俳句協会幹事長や俳人協会初代会長に就任しており、業界内でもドン的存在だったし(これは偉そうだったということではない)、冒頭の句が収められた第一句集『長子』は万国博覧会のタイムカプセル収納品に選ばれた。著名も著名、あまりに有名だ。

草田男と言えば「万緑」(旧字で「萬緑」)。「万緑の中吾子の歯生え初むる」は超が付く有名句で、小学校の教科書に載っているほどだが、この名を冠した草田男主宰の俳誌「万緑」は、やがて季語として定着する。これも有名すぎる挿話である。ちなみに「万緑」はまだ続いている。ホームページまであった。

人と柄の解説は無駄だからやらない。が、そういえば死の前日に洗礼を受けるなんて、『白鳥の死』的なことをやっていたりもする。あれはだれだったっけ。そうだ正宗白鳥だ。



本当に、私の中学時代は草田男とともにあったと言っても過言ではない。四六時中草田男の俳句とその情景を思い浮かべ、何かにつけて引用していた。

北海道に修学旅行に行ったときは「鴨渡る鍵も小さき旅カバン」と悦に入って繰り返した。行き先は網走だったのに、私は映画を見ていなかったので「網走番外地」の歌を知らなかった。だから代わりに「詩(うた)」というか「俳句(うた)」を口ずさんだのである。図書室当番になったときは「書を読むや冷たき鍵を文鎮に」と詠んだ。いずれも『長子』に収められている名句である。

「いつもポケットにショパン」ならぬ、いつもバッグにみすず書房の全集を忍ばせていたが、全19巻の中で「使用頻度」が一番高かったのは、やはりと言うか案の定と言うか、第4巻だった。もちろん他も素晴らしい内容だと思ったが、比喩ではなく、4巻は光を放っているように見えた。今目次を思い返してもぞくぞくする内容である。あまり正確には記憶していないので、ここに収録作品を列挙することはしないが、ぜひ何が収録されているのか、各人お調べになってもらいたい。

というのも、私は現在草田男の本を一冊も持っていないのである。


中学卒業後、私は草田男と距離を置き、お定まりのブリティッシュ・ロックにどっぷりと浸かっていた。冷静になって考えてみると、それは「反抗期」のようなものだったと思うが、エレキギターを手にして以来、本棚のみすず書房は数冊のスコアに姿を変えた。

草田男がいくら素晴らしい作品を残していようと、「ど」がつくマイナージャンルに落ち着いた俳句の世界で、何ができる、何が見つかると言うのか。その存在自体に疑問を持たないわけにはいかなかった(スコア数冊分にしかならなかったことは、いよいよ私の失意を強めることとなった)。

私は「マイナー」だという理由だけで、草田男を、そして俳句を見限った。いずれまた読み返すとは思わなかった。まだネットさえ普及していない時代に、「マイナー」はすなわち「弱さ」を意味していた。当時の私は「弱さ」よりも「強さ」に憧れた。そして、「単純な二元論」という、ありきたりな反論用の言葉さえ持っていなかった。


定型文句を振りかざすことにも飽き、いつしかロック熱も冷めた2002年、立ち寄った本屋で草田男に出会う。みすずの全集に未収録だった講演集『俳句と人生』が出版されていたのである。芭蕉の晩節をめぐる評論家・山本健吉との論争、いわゆる「軽み」論争について、依然草田男は語りつづけていた。私はその2年前に、講談社文芸文庫から『蕪村集』が出ていたことも知らなかった。

店頭で立ち読みしながら、私は高校時代の或る夏の日を思い出していた。暑い日であった。私はその日、文化祭で焼きそばか何かを作るために、野菜を大量に買い込んできたのであった。帰りがけに部室に寄った私は、部屋の積もれた古本の中に草田男の『大虚鳥』を見つけた。両手を塞ぐスーパーの袋を置き、本を手に取る。パラパラとめくっていると、かつて大いに熱中した、馴染み深い俳句の数々がそこにあった。すぐに廊下から友人の呼ぶ声がして、私はその本を閉じたが、その日一日中、なぜかかつて暗誦した句が頭から離れなかった。

祝日をはさんで、私は激怒する学友の前にいた。
野菜を部室に置き忘れていたのである。

「どうすんだよ?もう使えねえじゃねえかよ!」












「野菜、もう駄目?くさったお?」




くだらない? そう、思い出話はいつでもくだらないものさ。

「思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ」

引き際について考える1

「金ゐくんってえ、サイトだっけ?やってんでしょ?」

「むかし、やっていました。」

「やめちゃったの?」

「はい。ある日突然<鬱神さま>にとり憑かれて、ネット世界を生きていく気力を失ったのです」

「ウツガミサマ?なにそれキャハハ『もののけ姫』みたーいキモーイ

「ぼくが考え出したのではありませんよ」

「きゃははははは!キモーイ」







ぼくたちは生まれてすぐに、瀕死状態だった

でも、

死んだら晒される。晒されるのが怖い。

そう思ってここまで歩いてきたんだ

始めた以上、中途半端では格好悪くて終わるに終われない




なんて思ってる人はこちら


私は意地でも続けますよ

忙しくなって、更新できなくてもサイトは残す

だって『隠れ家』さんに笑われてしまうから

そういえば

やふーに「移転したからリンク移せやゴルァ」とメールしたら、
すぐに「考えとく」的な返事が来て、

しかも「もしかしたらこの際登録消しちゃうかもしれない」的なことをちらつかされたので、

「消せるなら消してみいやゴルァ!!」

内心ビクビクしていたんですが、どうやら大丈夫だったみたい。
きちんと移転されてました。

頂いた苦情に答える

「『ばく』の表紙、もっとテンポよくゴンゴンだせよ!」

こちらにも都合がございまして、一日ひとつづつで勘弁してください。表紙掲載のほかに「年譜」や「名鑑」も更新しております。そちらの方でお楽しみください。

「『書誌学』の続きどうなったんだよ!ちっとも始まらないじゃねえかよ」

どこまでやっていいものか分らなくなりまして(引用の問題)。当初は青林工藝社『ねじ式』収録の「収録作品解説」のような、インタビューや評論から言葉そのままに抜粋して記事にする企画にしようと思っていたのですが、それを素人がやるとさすがにクレ?ムがつきそうだと。『北冬名鑑』だって結構ビクビクものですよ。

「まだ『魔の山』読みおわんねえのかよ!」

もうすぐ上巻はどうにか。とにかくキリがないように思えるタイプの長さなのです、というよりも遅々として進まぬ理由を探しだしたらキリがないのです。

「『古書逆流紀行』はどうなったんだよ!」

そのうち書きます。

「『tys awards 2006』ホントにやんのかよ!ネタじゃあるまいな?」

そうですネタです。やります。若干趣旨は変わってくると思いますが。

「『何も知らない』はいつ始まんだよ!」

それは私に言われましても。

「こんなブログやってる前に何かちゃんとしたの出せよ!」

6月からは更新頻度を少し落としてでも、質を上げたいと思っています。最近は体育会系もしくは自己啓発セミナー講師ばりに「がんばれ」を連呼している(自分にも他人にも)毎日であります。言葉どおりがんばれるようにがんばりたいと思えるようにがんばりたい

ついに恐れていたことが!

あろうことか「万力のある家」とかぶってしまった!
大変だ!『週末から』を急いで書き直しだ!

それにしても、上野原の変わり具合は凄かったです(昔のことは知らないですけど)。酒饅頭もずいぶん値上がりしてました。周辺は巡礼スポットが密集しているのですが、交通量が多くて、とても落ち着いて回る気になりません(回りましたけど)。

「つげさんもこの春に家族と一緒に上野原を訪ねた」
私が今年初めて入手したつげニュースです(笑)


そうそう、今ブログを書いていて思ったんですけど、つげ先生がブログを始めたら面白いんですけどねえ。題して「つげ義春ブログ」。いや、つげ先生クラスになると凝らなくていいのですよ。
カテゴリーが凄いことになりそうだ。

「つげ義春日記」
「夢日記」
「絵コンテ」
「写真」
「フリートーク」

リンクのトップはもちろん「退屈男ブログ」。ホントにあったりして。

雑誌の休刊

本家の更新に際して、日本文芸社のホームページという、あまり馴染みのないサイトを見ていたら、「お知らせ」のページに「「懸賞生活」休刊のお知らせ」が載っていた。

今まで考えたこともなかったが、そうか、雑誌が休刊になると、パズルの解答が発表される場がなくなってしまうのか。今まではどうしていたんだろうか。気になって夜も眠れない人が出版社に電話をかけて、はいお終いだろうか。ネットさまさま、はつねさまさま・・・・・・・(!)

だな。

それにしても、解答の中に「ソツギョウシキ」だとか「ソウギ」だとか「バイバイ」だとか、因果な単語ばかり目に付いて、思わず失笑した。編集者・夜久弘が、廃刊号の編集後記で「“ばく”が食べた夢をこれから反芻してみます」と、悲しみいっぱいに書いていたのをなぜか思い出した。


「懸賞生活」という誌名は聞いたことがあった。確か電波少年の企画『人は懸賞だけで生きていけるか?』で、お笑い芸人の「なすび」が手にしていたのがこの雑誌だったような気がする(同じような雑誌がありすぎて、正しいかどうかわからないが)。

と、ここまで思い出して、「なすび」がその後どうなったのか知りたくなった。検索してみると、「電波少年的懸賞生活者[なすび]のその後?現在をふと知りたくなりました。」がヒット。そうそう、おじさんも君と同じなんだよ。他人の堕落を渇望しているんだよ。

毎日新聞のリンクを見てみると、

高校生死傷事故:
ウオークラリー暗転 靴やリュック散乱


のショッキングな見出し。続けて本文には


「希望に満ちて始まったばかりの高校生活が、わずか2カ月足らずで終止符を打たれた。」


とあった。なんかもう、暗い気分になる。
文字通り裸一貫でがんばっていた芸人が、「希望に満ちて始まったばかりの高校生活」を「わずか2カ月足らずで」「終止符を打」ってしまったのか。


・・・


もちろん毎日新聞の記事が更新されただけということは、見る前からわかっていました。ここにハッピーな記事が載っていたら、お祝いするつもりだったのです。でも、万が一アンラッキーな記事だったら、オレは二度とおまえを・・・(許せなくなる)
現在、なすびは芸人をやめ、劇団員としてがんばっているそうです。



記事を読み返してみて、さすがにこの精神状態はやばいなあ

つげ義春関連企画書

ええと、このエントリは9月も末に書かれた穴埋め原稿でして、9月末というと、もういい加減ネタを書き散らし尽くした感一杯なわけでして、しょっちゅう「あれ?これ書いたっけ」となっていたわけなのですが、ネタがかぶっているかどうか、あえて確認はしない方向で

で、ですね、くどいくらいが丁度いいと言うことで、またつげ企画ですよ。いやね、こんだけ企画立案しておくと、後々どこかとかぶるんじゃないかと。「パクッたろ」と言いがかりをつけられる格好の材料になるのではないかと、こう考えるのですよ。

つげ企画じゃないですけど、どこぞのメルマガなんてものは別にウチからインスパイヤ(9月の時点でははやっていたんですα)されたわけじゃないんでしょうが、先にやっていた、もといやると言っていたおかげで「真似された」ような優越感に浸ることができました。

あの素晴らしい感動をもう一度アゲイン。
妄想を爆発させていきたいわけですよ。

9月13日のエントリに書いた『つげ義春囲碁』なんてサイコーじゃないですか。駄洒落だけに、このブログで書いた瞬間、未来永劫作られないことが決定しましたよ。

そして、私が提案したブログの名前「退屈男」「平成漫画主義」は、我ながらそれに変えようかと思うほど、シンプルでいい出来です(ぉ。基本的に商標登録されていなければ、いかなる名称も使用することに問題はないわけで(たぶん)、今なら「つげ義春」というブログを立ち上げることだって可能です。

わたし?私はしませんよ。だって、それはただの無礼ですから。

何だか「つげ義春企画」シリーズは書かないほうがいいような気もうっすらしますが、気のせいでしょう。まさか私が書いただけで「つげ義春編・知られざる私小説家セレクション」が出なくなるなんてことは!

こうなったら「寿恵比楼」を買い取って『私設つげ義春美術館』を建ててしまおうかな!金は無いけどね!

ただ、こうした「抜け駆け」を目的とした邪悪な企画提案ではないのが、8月17日のエントリでも引用した「つげ義春マガジン」でした。これはつげ界の未来を心のそこから祈って提案しています。読みたいし。

でも基本「抜け駆け」。「言い掛かり」。「企画潰し」。


『天花』バニシュ・デス三

伝統あるNHK朝の連続ドラマ史にその名を刻んだ、語り継がれるべき大傑作『天花』。たとえ刻んだ名が「視聴率ワースト云位」「主演女優に苦情の電話殺到」といった汚れきったものだとしても、私がこのドラマから教わったことは、数え切れないほどある。この自分企画「『天花』バニシュ・デス」シリーズでは、感謝の気持ちを込めてそれらを綴ってきたのだが、実はそろそろ筆をおかねばならないと考えている。


まだ三回目なのに?

そう、わずか三回目にして私は自分の肉体に、ある生態的変化がおきているのに気付いてしまった。それはちょうど、リアルタイムで『天花』を見続けた高齢の閲覧者たちの身に起こった変化と同じものだろう。このままでは危険だ。そう思い、私は『天花』との離別を決意した。

「バニシュ・デス」とは、人気RPGゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズの裏技のひとつで、どんな強敵でも一撃で倒すことができる魔法の呪文のことである(呪文は魔法だが)。私は『天花』を文明に対する挑戦と受け止め、『天花』の後背で甘い汁を吸っている国家権力をも含めて「バニシュ・デス」するという、大変社会派な意気込みで企画名を付けた。


大袈裟?

だってそうじゃない(リンドバーク)。

税金によって運営されていると自ら積極的に認め、全国民の最も信頼できる情報源としての機能を期待される、我が国最大の公器たる国営放送が、延々一年間、月曜から土曜までの週6日、しかも朝の8時15分から30分までの900秒間という、一日の中でベスト5に確実に入る大変貴重な時間を、あろうことか素人の演技勉強に当ててしまったのである。これが「文明への挑戦」でなくして、いったい何なのだろうか。

『天花』の完全版DVD(全14巻)を毎日見続ける実験を通じて、私は確信した。『天花』は単なるホンワカドラマなどではない。れっきとした陰謀である。大掛かりな世論操作である。大衆の考える意欲を根絶やしにする、破壊力抜群のデイジーカッターなのだ。




しかし。
しかしである。


シリーズの中盤を過ぎたあたりで、私の考えに変化が現れた、天花だけに。・・・こんなことを言うまでに私は変わってしまったのである(ぉ

不自然な笑みと甲高くか細い声で閲覧者を挑発してきた藤澤恵麻が、どういうわけかこの頃、健気に見えてきたのである。「バニシュ・デス」するどころか、擁護も擁護、「この見事な駄目っぷりが清清しい」とさえ言い出す始末。

この変わり様は何なのだろうか?
私は可愛らしいアイドルに長いこと付き合うことで感情移入してしまい、骨抜きになっているだけなのだろうか?

低迷する視聴率の責任を一人で背負い、叩かれ続けてもなお一向に進歩らしい進歩も見せずに悲しげに微笑む彼女は、確かに健気だと言える。が、よくよく考えてみれば、健気どころか厚かましいはずであり、義憤に駆られてNHKに怒鳴り込んでもおかしくないのである。つまりこういうことだ。いつの間にか私は、藤澤恵麻に無意識下で投影された、「応援する自分」が健気に見えていたのであった!




竜之介は、静の猛烈なアプローチをまさに「無下に」断って(ほとんどシカトであった)、天花との愛を静かに深めていく。そして二人は夜の井の頭公園でキスをする・・・。

家に帰った天花は、保育園の初給料で買ったプレゼント(もちろん万年筆ですよ!)に手紙を添えて、両親の枕元に置く。翌朝、手紙を読むパジャマ姿の父と母。

「これからは言いたいことがあったら手紙を書きます」
「昨日竜之介さんとキスをしました。永遠の愛を誓いました。」







tenka31.jpg




・・・・やめよう。突っ込みに力が入らない。これだけ登場人物が多いのに、喫煙者が一人も出てこないような偏向ドラマの前に、私は無力だ。あらすじだけ書いて、筆を置こう。




医者にも「はい無理どだい無理」と言われ続けた竜之介の母・洋子だったが、天花が「うちのいなかではァ?枯れた桜にィ?がんばれって言い続けたらァ?い?き?か?え?った?のォ?」としつこく言われ続け、ついに生きる気力を取り戻す。

静は天花とお茶したときも「ロイヤルミルクティー」を注文したり、友達とオペラに行く約束をしたり、育ちのよさが人格にもたらす高邁なる精神をいかんなく発揮して天花にちくちく嫌がらせをするが(それに顎も心なし曲がっている)、竜之介にガン無視され続けた末、いきなり「いいひと。」にシフトチェンジして渡米。


「私、ロサンゼルスに行くの」
「ロサンゼルスってアメリカの?」
「他にあるの?」
「知らないよぉ」



知らないよぉ。


中盤辺りから明らかにカメラに動きが出て、効果音も派手になってきました。視聴率回復のためでしょうか。あと、保育園がつぶれそうになって、でもつぶれませんでした。住職は責任を取って修行しに山に行ってしまいました。園長先生もリタイアしました。同僚の保母・よしこ先生は、卒園生で保育園がつぶれそうになる一因を作った豪ちゃん(霊園経営を寺に持ちかけたのですが、相方に金もってトンずらされました)と結婚話まで出ましたが、うまくいってません。竜之介は坊主になるため再び修行に行き、天花との関係は「無し」に。でも多分すぐ元通りになりるでしょう。


全てのドラマの主人公がラストで死ねば、日本は良くなると思う。

うずまきと伊藤潤二と初音映莉子

更新頻度ががくっと落ちているのはなぜかというと、柄にもなく、忙しかったからです。嘘です。ずっとダラダラしてました_| ̄|○

会誌『週末から』の次号予告を見るとわかりますが、当会会員にはそもそも計画性という観念が欠落しているので、いつも不定期更新です。人生もです。学校教育も平気で6・3・4・6と来ています。
予告のうち、実現できていないものがほとんど。ということはまだまだ出る幕があると言うか社会学がどうのこうの。

そんな多忙の遠因になったのが、伊藤潤二原作のホラー映画DVD『うずまき』。劇場公開以来5年ぶりに見て、

そういえば初音映莉子っていたなあ、黒子と黒髪とほとんど棒読みなんだけど愛らしい演技に惹かれてだいぶファンだったなあ、でもいつのまにか彼女の姿をブラウン管で見かけなくなって、僕も年をとって、当時住んでいた大久保のアパートを出て、二児の父親になって、すっかり忘れてしまっていたけれど、ああ今どうしてんのかなあ。

というのが、今日のお話。

『うずまき』は98年から99年にかけて『スピリッツ』に連載され、2000年に初音映莉子主演で映画化されたホラー漫画。ジャパニーズホラーコミックスオブキングと呼ばれていたりいなかったりの伊藤潤二がその名を広く世に知らしめた作品である。という説明が気に食わなければ、名声を確立したヒット作。それでも満足しないなら、・・・俺はお前を殺さなければならない。

正直、あまり知らないのですね。「朝日ソノラマのドル箱」だということは知ってるんですが、リアルタイムで追っていたのは『うずまき』と『ギョ』のみで、熱中した記憶もない。

最近では「マロニエ」ってのが映画化されたようですが、そのホームページがあまりに見にくくて(「わかりにくい」サイト運営者の私が見ても!ですよ)、ファン倶楽部のサイトも考えられないぐらい情報量が少ないし、なんだかイライラしてきました。井上雄彦のサイトを見ろ!と言いたい。関係ないけど、夏目房之介が『夜話』で『富江』をとりあげてたな。

例によって内容はともかく、

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彼女ですよ。わが青春のアルカディアですよ。現在大ブレーク中の(らしい)石原さとみに変わるまで、永谷園『松茸の味お吸い物』のCMに出ていたんで知っている人も多いかと。CMギャラリーはこちら。大量オンエアされたのか、あまりテレビを見ない私が全部知ってますよ。

ヤフーには、ファンサイト「はつねさまさま120%」しか登録されていなかったので、入ってみると「5/19NEW!」の文字が。つい、「頻繁に更新されてんジャン、初音映莉子ってまだ活動してんジャン」と思いましたよ僕も。

いったい何年前の5月19日だよ!

リンクページから情報を探ろうとすると、ファンサイト全滅かよ!


辛うじて(?)所属先のホームページが生きてました。どうやら芸能活動を続けているようです。お、マジックマッシュルームと同じ事務所。

写真を見ると、長い黒髪をばっさり、以前よりもさらに美人になっていて驚き。現在は舞台をやっているとのこと。テレビにはあまり出てないみたいですね。というか、2004年何やってたんだ?

リンクが張ってあった本人のホームページ「スケッチブック」を見ると、


うわあ・・・・絵ぇ描いちゃってるよ・・・
何だかなあ・・・素人っぽいと言うか・・・何と言うか・・・
(※写真集でも絵は描いていた)

この写真の日付はわざといれてるんだよねえさすがに。



「23歳だよ。あたしの事16歳から知っている人もいるのよね。親戚じゃないのにフシギ?。」





涙が・・・

一周年記念日にしたい10のこと

「セ・・・」
「え?」




くどいようですが、5月27日は『高田馬場つげ義春研究会』独立一周年記念日です。厳密には2004年の2月1日に『つげ義春研究会』という小部屋がオープンしてるんですけど、ここでの厳密さには何の意味もないので、スルーします。

堪え性のない私にとって一年は長い長い時間。今まで一年間続けられたことなんてほとんどないですからねえ。私の場合、百科事典独力刊行ぐらいですか。あのときは大変だったなあ・・・。

コンテンツに踏み込んだ初の大型ネット本「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」が出版されて、やれウチのサイトが載っただの載ってないのでおおわらわですけど、

・・・そういえば「おおわらわ」なんですね。「おおあらわ」だと思ってました。知性しかない私としたことが、こりゃ恥づかしい。

おお‐わらわ【大童】
[名・形動] 1 《2が原義》一生懸命になること。夢中になってことをすること。また、そのさま。「記念式典の準備に―な役員たち」 2 髷まげの結びが解けて髪がばらばらになっていること。また、そのさま。童は髪を結ばなかったところから、大きな童の意でいい、多く、ざんばら髪で奮戦するさまに用いる。(プログレッシブ和英中辞典第3版 )




・・・・ですけど、先に言っときます。ウチは載ってないですよ。新しすぎますから。だから皆さん、著者「ばるぼら」さんや(手塚ファンですかね) 出版社の翔泳社に文句は言わないようにしてくださいね。「新しすぎる」、それだけの理由ですよ。論の外じゃないですよ。ごはんですよ。

冗談はさておき、「「『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書・つげ義春特集号」では是非「隠れ家」さんと1・2フィニッシュを飾りたいですね。確か前に「ヴァンセンカン主人」というお笑い芸人の方のつげ義春ファンサイト「つげ義春の足跡」がありましたよね。その他にもあったのかな?

また脱線した・・・おっと。話が逸れましたね
「つげ特集号」は冗談ですけど、年内にそんな感じの本が本屋に並んでるのは確実だと思います。何年か前に大ベストセラーになった『買ってはいけない』のときは「『買ってはいけない』は買ってはいけない」の2乗まででしたけど、もしかしたら3乗いくかもしれない。取り上げるネタはいくらでもありそうだし。
そういえば『磯野家の謎』も「おかわり」まででしたね。『バカの壁』は『死の壁』か。続けて『文化の壁』『音速の壁』『ベルリンの壁』『嘆きの壁』『カビ』お後がよろしいようで。『グイン・サーガ』は120冊出てますけどね。こち亀は・・・・もういいや、いい加減本題に入ろう。



【一周年記念日に起こすべき企画案10】
(9つは次の記念日にまわします)

?「つげ義春詳細旅マップ」完成
残っているのは本州は奈良・和歌山のみ(島根・山口は旅してないようです)、四国は愛媛のみ、後は九州7県の計ジャスト10県。ストックが切れた今、ちょっと無理ですネ

?書き物一本掲載
無理です。坊ちゃんさんが書いてくれるならまだしも。自分企画『何も知らない』の実行人は約束の意味も知らない。

?パロディ一本作成
嫌です。他の人が組んでくれるならまだしも。道化を演じる苦労をけっして金持ちは知ろうとはしない。

?「週末から」一周年特別号
本当はこれがやりたかったんだけどなあ。一ヶ月遅れます。

?「馬場毎日」怒涛の空き日更新
多分今後も毎日更新とは行かないでしょうから、その空いた曜日分を一挙掲載。現実的ではあるが、誰が嬉しがるかが問題だ(カレンダーだけでは?・・・カレン・ロバートは喜ぶかもしれないぞ。くだらない。

?動画配信
そのためにジオに帰ってきたと言っても過言ではない。ただ、ハウツーを体得するのや配信動画を作るのに、ちょっと時間が足りない。

?個人情報を賭けた「世紀末じゃんけん大会」中継
会員がじゃんけん、負ける毎にひとつづつ個人情報を漏洩。最終的には地球に優しい人間バリアフリーを目指す。電話番号1桁づつ、住所は「都道府県」「市区町村」「番地」と順々にバレていくとかね。エキサイティン!

?もう思いつかんわ!何か良い案ないの?「ええと、じゃあ自殺とか?」し・・・、生きろ
カウントダウン予告してみたり。ホントにいたみたいですけどね。リアル「地雷震」だ。カウントダウンはもう一度やりたい。カウントダウンと言えば、もうすぎちゃいましたが、今月は「白面夜叉」50周年ですよ。つげ義春本格デビュー50周年。ちなみに近いつげ義春記念日は

【今年】
8月『ガロ』登場40周年
9月『無能の人』スタート20周年
【来年】
2月『沼』40周年
4月初文庫化30周年
6月『限定版つげ義春選集』刊行25周年
10月初本格映像化NHK「紅い花」30周年
12月“初単行本”『噂の武士』40周年

こんなもんでしょうか。間違いなく来年の2月はカウントダウンでしょう。問題はその時まだ生きてるかどうかだな・・・(;´Д`)

?閉鎖
うわあ。でも、期間限定サイトは作ってみたいですね。というより馬場つげ研は実質期間限定だけどね。消しはしないだろうが。

?感謝の気持ちでARIGATO!全曲絶唱音声ファイル公開
これはやりかねない。



このブログが本にでもならない限り、?をやることになると思います。ということはやります。「つげ義春書誌学」か「つげパロディの系譜」を連続更新、ってことになりましょう。?は今までどおり、10日に一県ペースで掲載していきますので、夏ぐらいには完成します。

幸せのカテゴリー

それはロック。

おれはロック。

おまえタンバリン。

おまえキャッチャーな。

おまえ外野な。

おまえ玉拾っとけよ。

おまえ盛り下がるから打つなよ。

おまえもうキーパーでいいわ。

おまえ喋るなって。

おまえ早く帰れよ。

まだこの世にいたの?

キモーイマジキモいんだけど


(つД`)

つげ義春書誌学 前書き(その1)

 企画を立ち上げてはその都度頓挫させ、頼まれもしない無償の作業を繰り返し、ある時は高圧的に、またある時は平身低頭して駄弁を積み重ね、アクセス数の増減に一喜一憂し、必要以上に媚び諂って閲覧者の困惑と反発を誘い、果てに激しい自己嫌悪に陥って、劣等感に苛まれながらも、毎日の些事を慈しむように生きていこうと思う。

 親サイトである『高田馬場つげ義春研究会ホームページ』が誕生して1年が過ぎたが、ずっと言い忘れていた。これが当サイトの趣旨であった。そして、先日ついにスキャナを購入した。最後の基礎的ネット周辺機器を獲得したことにより、いまや全ての障害が取り払われた。折角不自由なく画像を取り込めるようになったのだから、前々からやりたかった、ふんだんに画像を使ったどうしようもなくトリビアな企画をやろう、題して「つげ義春書誌学」なのである。

 つげ義春の作品評を書くのに画像は必要ない。あるいは劇中の一コマを「名シーンである」という理由のみでWeb上にアップするのは人道に反する。画像が使えて、資料的価値があり、かつ人道に反しない企画。思い付いたのが、つげの単行本や特集号の周辺を記録する企画だった。
 といっても当事者でない私には製作秘話を明かすことは不可能なので、それらを逐一画像付のリストにし、コメントを沿えて小気味よく整理していけば、タメになるし人も呼べる。これぞ一石(を売る)二鳥(師)だと考えた。
 ここで「書誌学」が適当な語なのか、私は知らない。『デジタル大辞泉』によれば、

しょし‐がく 【書誌学】
図書を研究対象とする学問。図書の成立・発展や内容・分類などに関する一般的研究と、図書の起源・印刷・製本・形態などについての考証的研究とがある。

とあるから、あながち見当はずれではないと思っている。


 さて、馬場つげ研に掲載されている当会会員の連載『つげ義春ラストシーン考』において、そこで展開される“フロイト的読解”の前提は、「つげ義春はラストに宿る」という仮説だった。私は『ラストシーン考』について批判も擁護もしないでいるが、方法論的な誤謬の有無はともかくとして、この切り口は大変興味深いものだと思う。連載が真っ当に続けば必ずや見えてくるものがあると確信している。
 また、拙文・ロケ地巡礼記『つげ義春に会いに行く』は、誠実さをいささか欠いた文章ではあるが、「つげ義春は細部に宿る」という前提に立って、幾許かの考察を加えている。こちらも『ラストシーン考』と同様に、情報を整理する意味と偏執的な確信がある。

 しかし、これから始める『つげ義春書誌学』において、今のところそういった確信は全くない。というより、正直なところ、特集号や単行本につげ義春は宿っていないとさえ思っている。
 もちろんそれらにもつげ義春の一部が宿るには宿っていて、紐解くことで作品ないし作家像に対する理解が深まるのは間違いない。なにより、時代時代においてつげ義春が如何に読み解かれてきたのかを把握するには、必要不可欠な一歩であるだろう。
 しかし、「読まれ方」という着眼の時点で別の問題への横滑りを予感させるし、それはあくまで幇助としての一手段であり、作品そのものからみて副次的なもの――何に副次的かというと、見えてくるのはその時々の「著名人・つげ義春」の商品価値であったりする――に過ぎないのもまた明らかで、仮に特集号への拘泥に作品解釈における格別の意味を見出したとしても、それは俗に言う『清水読み』であり、まさしく「物は言い様」の次元である。

 このような認識に基づいた上で、にもかかわらず、私が単行本や特集号にこだわってみたいと考え、たかだか「リスト」にこうした言い訳めいた前書きを付すのには理由がある。
 前述したように、本稿の目的は整理であり、資料的価値であり、スキャナを使用したい我が欲求の昇華でもある。「つげ義春って単行本多すぎて何読めばいいのかわかんな?い」というお茶目な問いにズバッと答える社会的使命もある。しかし、こうした不純な動機以上に、私は『書誌学』において、「今なぜつげ義春なのか」ということを考えてみたいのである。

 つげが精力的に作品を発表した時代は彼方へと遠ざかり、「つげ義春以後」に連なるべき漫画表現の系譜は、現在の社会、さらには現在のマンガ界においてさえ周縁に追いやられていると言わざるを得ない。こうした状況は『ガロ』の頃から変わっていないのかもしれないが(いかに神格化されようとも『ガロ』はせいぜい公称で最高8万部の出版物である)、ということはその間時間だけが経過したのだろうか。
 漫画全般の売れ行きが頭打ちになったことで、大手がマニア商売に触手を伸ばし始め、漫画評論は隆盛を極めるご時世にもかかわらず、なぜつげ義春は未だに「マイナー」の域を出ないのだろうか。「つげ義春以後」はなぜ影響力を持たないままなのか。そして、そのような中で当会がその「マイナー」をより「マイナー」に掘り下げようとすることに意味があるのだろうか。大袈裟に言えば、『書誌学』は当会の宿命的なトリビア感に説明をつけるため、敢えてよりトリビアルに考察してみる、一種の荒治療である。

 先に、私にとってつげ義春の「読まれ方」はまた別の問題だと書いたが、以前つげ義春の評論リストを作った際、「つげ義春はいかに消費されてきたか?商品としての『70年代論』?」とぶち上げて、「読まれ方」の変遷から消費社会論を書こうと思ったことがある。我ながら面白くて重要な問題意識だと悦に入ったが、結局書き始めることはなかった。
 「手に余った」というのが本当のところだが、もとよりその気力も湧いてこなかったのでは仕方がない。
 つまり、私が知りたいのは「社会におけるつげ義春の位相」ではないのである。私は今「つげ義春に会いに行く」道中にあるはずで、むしろ興味は「つげ作品がいかに情況と向き合ってきたのか」という、つげ義春の側にある。
 表現が完全に自律的でも他律的でもありえない、ということはわかりきったことだが、では、一応の決着をどちらの側の近辺で行うか考えた場合、私は個々のつげ義春作品を選びたいのである。(つづく)

移転しました

ジオシティーに復帰しました。2004年8月12日からずっとfc2でしたから、これで馬場つげ研も名実ともにソフトバンクグループの一員ですよ。ヤッフー
消される心配がなくなったので、「htmlが無くなるまでサイトを存続させよう」という10年計画が現実味を帯びてきました。恥ずかしさで居た堪れなくならないように、頑張りたいと思います。なぜか途中までしかなかった「単行本リスト」もアップしておきました。どこか見れないところがありましたら、気軽にbbs等でご指摘ください。

まんだらけ札幌店

こちら
写真を見る限り、あまり目新しいものはないですね・・・と言えてしまうほど『まんだらけ』はつげ義春の品揃えがいい。

北冬系作家の単行本は確かにプレミアがついてはいますが、古本業界的には新しめということで、よく「『まんだらけ』に行ってください」と(見下した感じで?)言われます。

古書的には安いのでしょうが、神田辺りで「まり子の憧れ」30000円などを見ると、「あんたらがそういう態度やったらこっちにも考えがあるわ」と捨て台詞をはいて『まんだらけ』に行きます。まあ文庫世代ですしね。

僕たちはいつも間違える

ゆりかもめ車内での一幕。スーツ姿の二人組みの会話を盗み聞いた。おそらく就職活動帰りだと思われる。


「アホだよアホ。あんなんアホだよ」

「なんだよさっきからアホアホ言って」

「外の景色だよ。クレーンとか大きな建物がいっぱいあるじゃん。凄すぎてアホとしか言いようがないですわ」

「ああ海岸線ね。たしかに富山じゃ見られない光景だ」

「うわっ何あれ。あの三角形逆にしたやつ。アホなんだけど」

「セガのミュージアムだろ」

「雨がたまって困るだろうに。誰が設計したんだろう。しかしお前東京詳しいなあ」

「えへへ」

「あ、夕焼けが沈んでいくよ。きれいだなあ」

「ロマンチックだなあ」


 車にビュンビュン追い抜かれていく「ゆりかもめ」の低速走行が、今日ばかりは微笑ましいものに感じました。車内は、突っ込みたい人たちがうずうずして、妙に緊張していたけれど、なんだかホンワカした新橋までの20分。

 ちなみに、「三角形」は正しくは三角錐、「セガのミュージアム」じゃなくて「東京ビックサイト」、沈むのは「夕日」でした。

※gooブログから再掲

つげパロディーの系譜1 『電脳なをさん』

「電脳なをさん」 唐沢なをき

『週刊アスキー』で現在も連載中のパソコン漫画。漫画・映画・ドラマなどのパロディを下地に、主にマッキントッシュの自虐ネタが描かれている。短編ながら10年以上の連載で、パロディ・ソースは広範にわたる(元ネタリスト参照)。毎回2ページで一作品をパロディするため、以下その一部を抜粋する。



vol.175「旅情旅愁漫画」 週刊アスキー99年11月3日
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言うまでもなく、元ネタは“旅モノ”の傑作『もっきり屋の少女』。チヨジの浴衣の模様までアップルとは、おそるべし。



vol.348「生産中止漫画」 週刊アスキー03年4月29日
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名作『チーコ』のパロディー。「生産中止」とは、妻が買ってくる文鳥ならぬ「i-mac」のこと。



vol.126「坊屋三郎漫画」 週刊アスキー03年4月29日
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コマをそのままトレースしたかのような他のパロディーと違って少々分かりづらいが、間違いなく『外のふくらみ』の「カラーで描いて白黒で出す」手法のパロディーだろう。それにしても原典の絵が素晴らしい。




膨大なパロディーの中に、なんと湊谷夢吉の代表作『魔都の群盲』があった。若い読者への配慮からか、珍しくサブタイトルでネタ元が明かされている。

vol.337「湊谷夢吉漫画」 週刊アスキー03年2月11日
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唐沢のパロディーは徹底的で、特につげ作品パロディーはほぼ全てのコマが原典からの引用で成り立っているほど。単行本はやや高価だが、「さすが『ガロ』系」、絶妙のネタセレクトは必見である。

コミック教養講座 「晴れときどきミステリー」

北冬書房最新刊、秋野すすき作品集「晴れときどきミステリー」の書評がasahi.comにアップされました。

なんだこの書評。


使ってみたいことば一

使いたいけど、使えない。やっぱりぼくには使えない。
いつでもアイツはつかえない。

そんな言葉があります。例えば「キッチュ」。「キッチュ」な人間が「キッチュ」「キッチュ」と連発しているさまほど「キッチュ」なことはない。

って使ってるじゃねえか。
ということは私にとって「キッチュ」はそのような特別な言葉ではなかったようです。しかし、私にはまだまだ使ったことのない特別な言葉があります。

例えば、それは某・準公的な場で、早稲田大学文学部の男子生徒と話していたときに登場した言葉です。

彼は文学科というのでしょうか、授業で評論を読んじゃう学科の生徒でした。私大から文学「部」自体が消えかかっているこの時代に、あえて文学科に進むというのは、やはり相当なことです。実際、話した印象も「常軌を逸した本好き」といった感じで、私が読んだことある作品で彼が読んだことのないものなんてないのでは、と思うくらいの読書量でした。

とにかく驚いたのは、文芸誌の有名どころを全てリアルタイムで押さえていたこと。これには驚愕しました。そんな奴は(誇張でもなんでもなく)私の周囲には全くいませんから。ここだけは調べもせずに自信を持って言えるんですが、彼は完全な少数派。孤高の一匹狼。絶滅危惧種。

だって「ヘラ釣り誌程度の発行部数」とからかわれ、それ単体では完全にお荷物になっている文芸誌ですよ?今までキャンパスで持ってる奴を見たことがないし、街でその話題を聞いたこともほとんどない(例外はいつも神保町)。

で、そんな“ランド君”と(相手の力量をはかるようにw)今年の芥川賞について話した後で、「なんか最近いいのある?」と聞いたところ、

「町田康の『告白』と阿部和重の『シンセミア』は収穫だね」




キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!

言えないその言葉。口が裂けても僕なんかには言えない。トウモロコシにも言えない。(この項つづく)

山下菊二画像まとめ

ヤフーで画像を検索してもわずか4件、小さな画像ばかり。というわけで一応探してみましたが、新潮文庫すら揃わない状況です。画集も絶版。ネットで見れる山下作品は随時追加予定ですが、増えなさそう。

大江健三郎新潮文庫表紙1
大江健三郎新潮文庫表紙2
大江健三郎新潮文庫表紙3
大江健三郎新潮文庫表紙4


tatakauhutari.jpg

で、「山下菊二展」のカタログから大好きな作品をスキャンしました(私的利用です。すいません)。1981年の作品「たたかう二人」です。どこかでリストとか画像をドカッと載せてくれるサイトが登場することを望みます。

新聞切抜

[中央線の詩 沿線の100年]
第2部 60’s 無能の人


 国分寺で古道具店「ニコニコ堂」を営む長嶋康郎さん(56)には、こんな噂がつきまとう。「無能の人」のモデルらしい──。

 「無能の人」は団塊の世代に支持された漫画家つげ義春さんの作品。元手がかからないからと、河原で拾った石に「孤舟」などと名を付けて売る人を描いた。つげさんが明言したわけではないが、ある本でモデルと紹介されて以来、つげファンが訪ねてくる。

 「光栄だが、違いますよ」と本人。が、狭い店内には一見、「河原の石」に近い「商品」が少なくない。

 使い古された鉛筆が数百本も入った箱がそうだ。どれも2、3センチになるまでナイフで削ってある。かつての持ち主はモノを大切にする人だったのか、それとも指先のリハビリのために削り続けたのか。「謎」に引かれ、骨董市に出ていたものを千円で仕入れた。

 牛乳瓶のふたも数百枚ある。こちらは十数年前に半分売れた。買い手は他ならぬ、つげさんである。「市場性はないけれど、面白がって買う人がいるからこの商売は分からない」

 若い頃は学生運動に燃えた。が、脱落。ロック喫茶、土木作業員と職を変え、31歳でこの仕事を始めた。

 学生運動の挫折を味わった人たちの中には、ヒッピーになったり、ロックやジャズ、演劇などの世界に向かった者が少なくない。「気が付いたら、こうなっていた」と長嶋さん。

 そんな「無能の人」を父に持つ次男の有さん(31)は昨年、「猛スピードで母は」で芥川賞を取った。



asahi.comより、2003年11月20日付多摩版。相当今更感がありますが、消されると嫌なので(消費者の論理)無断転載です。天下の朝日よ許しておくれ。アカイアカイ・・・おっと。「古道具ニコニコ堂です」長嶋康郎については、読売にも記事。長嶋有は文庫で読んだが、芥川賞受賞作よりも「サイドカーに犬」の方が良かった。公式サイトはこちらから。神様・手塚と握手したんだって。凄いなあ

古本雑記

 恒例の古本屋めぐりをしていたら、古井由吉の『櫛の火』新潮文庫を100円でゲット。思わず小躍りしてしまった。
 別にファンではない。というより、同じ新潮文庫の芥川賞受賞作『杳子・妻隠』も途中で投げ出してしまったぐらいで、ほとんど読んだことがない。しかし、こちらのページを見ればわかるように、いま古井由吉の過去作を家で読もうとすると、かなり難しいのだ(無論大きな図書館には必ず全集が揃ってはいる。そのレベルの名声を持つ作家なのである)。
 芥川賞の選考委員を務める大御所にも関わらず、代表作は軒並み絶版のままで、何作かは講談社文芸文庫で読むことができるが、これが呆れるほど高い。だから、「セドリ」とまではいかなくても、100円は激安なのである。

 その古本屋には福武文庫版『槿(あさがお)』も100円の棚にあり、久しぶりに幸せな気分になった。2003年に発売された講談社文芸文庫版はなんと1785円(!)神保町の文芸系古本屋ではもちろん絶版文庫プレミア本扱い。

 勝ったぜ!(何にか。言うまでもなく流通システムに、である!)

 ついつい財布の紐が緩み、『田口ランディその「盗作=万引き」の研究』を800円で購入。考えてみれば田口ランディが盗作してようがしてなかろうが、つまらないものはつまらないのだった、とレジで猛烈に後悔する。
 ヤフーで田口ランディを検索すると、登録サイトには本人の公式サイトとともに、「産廃物&盗作屋 田口ランディについて」という盗作疑惑まとめサイトが見える。 本人は嫌だろうなあ・・・・でもどうでもいいですよね

角川ホラー『着信アリ』

 4時20分、うっすらと明かり差し込むビル街の朝。夜中ずっと聞こえていたフィリピーナや酔っ払いの声も消え、変わってゴトンゴトンと山手が走り出した。目を細めても夜明け。伸びをひとつして、DVDの再生ボタンをポチッと押すと、途端、断末魔の叫び声が部屋中に響く。これが私の毎日だ。今日も重苦しい一日が始まる。

 ホラー大好き!金ゐです。たったいま、柴崎コウ主演『着信アリ』見終わりました。朝一のホラー映画って、素敵。身が引き締まるよね。昨日は朝一で黒澤明の『どん底』を見たんだけど、一日の始まりに『どん底』はちょっとまずかったなあ!「ゴローロップゴローロップ」って繰り返してたら鬱になっちゃって、しばらく立ち直れなかったもんね。

 それにしても、怖かったですねえ、『着信アリ』。何が怖いって、映像特典で「パート50まで続けたい」と言う原作・秋元康の目が笑っていないところが一番怖い。既にパート2の段階でキャスト・監督が総とっかえされていて、秋元が「ほら見ろ。実現可能なんだぜ」と言っているかのようで、実におとろしい。

 ある日、友人の携帯に届いた奇妙なメッセージ。そこには、その友人によく似た声で身の毛もよだつような悲鳴が録音されていた。発信者の番号は友人本人の番号。着信時刻は3日後の時刻。その場はいたずらだと軽く片付けたが、数日後その友人は録音とまったく同じ悲鳴をあげて着信時刻の日時に死んだ。同様のことが次々起こる。携帯を通じて伝播する死の予告。そして、とうとう自分の携帯が鳴った…

 自分の携帯から着信があるなんて怖いですねえ。私の携帯はここ4ヶ月着信がないから、電話がかかってきた瞬間、「これは死の予告電話だ」と分ってしまうわけですね!・・・シビアだなあ大都会は。

 内容に関しては、原作が秋元康ということを考えれば大体わかると思いますが、一言で言うと、どこかで見たような話でした。二言で言うと、パッチワーク的もしくは類似品的でした。プロットは『リング』そのものだし、唯一誉めようがある着想の「自分電話」も冷静に考えればアレのアレだし、柴崎コウも『バトロワ』と比べて演技が悪いし、エンディングの主題歌もパッとしないし、ヒットを見込んで次回作用に散りばめられた謎は鼻につくし、透けてるのは幽霊じゃなくて製作者の意図だよというか、化け物も全然怖くないし、というより死に方も『リング』だし『呪怨』だし、「録音とまったく同じ悲鳴をあげて着信時刻の日時に死」なせるために安易なリピートをしすぎて、なんか『タイガー&ドラゴン』状態に陥ってるし。もちろん★★★★★(五つ星)ですよ

 ところで、公式HPによれば、本作は角川ホラーの第6弾らしいんですが、前の5本は何なのでしょうか。超メガヒット作「リング」「らせん」に、コケた「リング2」「リング0 バースデイ」。あと一本は何だ?

 こちらのリストを見ても私には分かりませんでした。鈴木光司だったら「灰暗い水の底から」 があって、まあまあヒットしたし、203歩ぐらい譲ればいい映画だったけど、それじゃあその他の愛すべき小ヒット映画たち(「死国」「狗神」「アナザヘヴン」「弟切草」「黒い家」「ISORA」等)はどうするんだ、という問題が出てくる(出てこない)。
 決め手は何?売れ行きなら「死国」だろうし、内容なら「黒い家」だろうし、逆玉なら「弟切草」だし。それに「呪怨」。角川が「呪怨」を無視するはずがないが、でもあれはノベライズか。ううむ・・・・




キバヤシ「そうだったのか!

ナワヤ「どうしたんだ、キバヤシ」

キ「わかったんだよ、最後の一本が!」


「なんだってーーー!!」


キ「我々は『リング』をスタートにおいていた・・・しかし、それが間違いだったんだよ!」

ナ「それじゃあいったい・・・」

キ「『リング』ブームが沸き起こるよりはるか5年も前、その恐さ故に公開中止にまで追いやられた、忌むべき超大作があっただろう」

ナ「『怖さ』じゃなくて『恐さ』・・・、まさか!?」

キ「ここまで来ると偶然ではない… もはや『必然』―!!そう、」





rex.jpg


あまりに自己啓発的な

 阿呆なことばかり書いていないで、書くのが追いつかないほど充実した生活を送らねばと決意。願わくばセイゴオのような巨人っぷりを味わってみたいものだ。1000夜の良寛さまで終わったと安心(?)していたら、30話以上続いているではないか!まさに馬鹿よ!これぞ知識馬鹿!私も奮起して、連休明けのキャッチフレーズに「質より良」を付け加えておかねばなるまい。
 と、ここまで書いて既に阿呆の芳しき香りが漂っているのは、ぜんたい家柄に依るのか、忍耐の欠けた遺伝子にまで遡るべきなのか。(←単にへたれ

 右列に「鑑賞映画本数」と「現在読んでいる古典的名作」を追加。映画本数は昨年度162本。今年は早5ヶ月が過ぎているにもかかわらず、23本。諸事情とはいえ、怠慢に過ぎる。昨年の本数を超えるためには、7ヶ月弱で最低あと140本。一ヶ月20本、厳しいなあ・・・意味あんのかなあ・・・

「なろうなろう明日なろう」

小学校の時読んだ『あすなろ物語』が骨身に沁みる今日この頃ですつД`)・゚・。・゚゚・*:.。

『僕の彼女を紹介します』は盗作?

 「猟奇的な彼女」の전지현主演映画『僕の彼女を紹介します』を見ました。かなり恥ずかしい内容でした。映画の内容を受けて、公式サイトも恥ずかしさでいっぱいです(メッセージボードを見ればわかります)。そんな映画をゴールデンウィークに見てしまう私も恥ずかしい人間です。生まれてきてすいません。つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

 単に전지현ファンだから見ただけで、映画自体にはこれっぽっちも期待もしてなかったのですが、気になったのがビルの屋上のシーン。
 どう見ても、古谷実『僕といっしょ』4巻(講談社刊)の完コピ。似すぎとかそういう問題じゃない。あんまり似てない。いや、ビビるぐらい似ている。君の目は海に似てるネ。膿じゃないヨ。つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

 韓国映画史上初めて日本語の挿入歌を使ったということで話題になっていたから(XJAPAN「Tears」)、オマージュなのかもしれない。でも、전지현ファンには関係ない話です。ずっと전지현が映っているそれだけで「たまらない」映画なのに、旧作の役者を出してくすぐってくるから、たまらない。

 전지현?
 ・・・ああ、皆さんハングルできないんですよね!すっかり忘れてました(爆)お詫びに僕の彼女を紹介します。チョン・ジヒョンです。


つД`)・゚・。・゚゚・*:.。


 直後に見た『アンダルシアの犬』も手伝って、涙が止まりません。私も登録しているすごいファンサイトを紹介したところで、今日はさよならを。行かなければなるまい、南足柄市へ(意味不明の人はこちらから『古本逆流紀行』をお読みください)。

「今日は子供の日ですね」

「たまに菖蒲湯はどうですか」
「ありがとう」

その夜 久しぶりに 菖蒲湯に入った
子供のときの銭湯以来だった
ふと子供の頃 
義父に 
ひどい仕打ちを うけたことを 
思い出した


 全世界のつげファンが「ある無名作家」を読み返す5月5日がまたやってきました(時差の問題は無視しますHello)。ふとちょうど1年前、掲示板で「菖蒲湯はどうですか」という書き込みがあったことを思い出しました。まるで一編の詩のような、静かなラストシーン。何回読み返しても胸に来ます。

 詩と言えば、正津勉さんのホームページに、つげ作品の思い出が綴られていました。正津さんは、『桃源行』の連載や対談などで、つげファンにも馴染み深い詩人です。最近では『笑いかわせみ』の表紙に「太宰かぶれの伊森さん」を起用してつげ界の話題をさらいました。ただの推測ですが、おそらく彼の家には凍った鯉の絵が描かれたサイン色紙が飾られていると思います。


【メモ:菖蒲湯の由来】

 もともと中国の湯治療法だった菖蒲湯は、「《ショウブ》の語が《尚武》に通ずること」、「5月5日に推古天皇のとき以来《薬日》として山野に薬草を採集することが恒例とな」ったことから、日本中に広まったそうです。

 「端午の節句」の「端午」が「端=初め」「午=五」という意味であることは常識ですが、その由来は、「中国東周時代の政治家『屈原(くつげん)』を供養するために始まり、三国志の時代に日本へ伝わったとされる」んだとか。1948年に祝日法が施行され、同日が「こどもの日」として国民の祝日になりました。

 ところで「こどもの日」の「こども」について、「子供」は差別発言だという流言蜚語が存在するようですね。興味のある人はこちらへどうぞ。この際「コモドの日」にしてしまうのはどうでしょう。

Herpkomodo1.jpg
シャーって。



【引用元】
http://gogen-allguide.com/ta/tangonosekku.html
http://www.1010.or.jp/fix/shobu/shobu.html


勉強会

今日は馬場つげ研の勉強会でした。大塚駅前の喫茶店『葉隠』にて、資料とノートパソコンを持ち寄って話し合いをする。大塚駅には知人の家があるが、雰囲気を重視したいとのことで、小汚い喫茶店をわざわざ探し、不味いコーヒーをすすりながら5時間ねばる。

『つげ義春に会いに行く』調布篇最終回のために、もう一度「調布モノ」を住所ごとに分類、比較検討する。「これは『ひなげし荘』モノ?」「NKプリントが描いてあるでしょ」と、コアなつげ談義に花が咲く。楽しい。が、もう戻れない気がする。

みんなでアックスのロングインタビューを読む。「人類共通の記憶バンク」という単語に一同爆笑。「ホームページのリストをその項目に整理すれば面白いんじゃないか」という声まで出た。インタビューの終わりの方に「クォーク」が登場すると、理系のユゴーが「まずいなあ」とボソリ。オカルトが何よりも嫌いな男なのだ。以前『ムー』を貸したら、2日後に付箋だらけにして返してきて、論理矛盾を指摘しだしたこともあった。つげ忠男の作品にはUFOやネッシーが登場することを教えると、なぜオカルトは存在し得ないかについて熱く語りだした。『葉隠』は店内の怪しげなムードも相まって、まさに『テレビタックル』的空間に。話は「社会科学vs自然科学」から昨今の対決ブームへと横滑りし、「ルバンvsホームズ」「ゴジラvsキング・コング」辺りで地下に潜り、結局ネッシーの捏造写真について、「真偽はともかく・・・あれはいい写真だよね」ということで決着。

「ラストシーン考」についてユゴーが説明すると、「さすがは目玉企画」「自費出版で本にしろ」「死ね」と、好評を博す。

河岸を変えて飲み屋に入ろうとすると、お笑い芸人のアメリカザリガニとドロンズ石本武士が。ウン、殴ってやったね。おじさんがあと10歳若かったらね。

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私のブログを盗み見て言葉を覚え、話しかける(クリックする)と返事をするらしい。あまつさえ勝手にエントリーにレスをつけてくるという。名前の由来説明は不要だと思うが、詳細なプロフィールが知りたい方&「なんのこっちゃ」と思った人は上の「ねずみ」という文字をレッツ・クリック。

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