BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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怖ッ

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罵声人語さわやか6

◆ようやく、本日朝方に西野空男作品解説終了。速達で送る。「何様」と言われるぐらい偉そうな内容になったが、西野さんは真意を汲んでくれる・・・・・はず。

◆そのままバイトに行き、一日を過ごす。ふと壁を見ると、新宿高層ビル群には相応しくない力強い書が飾られていた。

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おや?


これは・・・・覚えがあるぞ!?






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写メの粗い画像では見難いというかほぼ見えないと思うが、確かに「弘史」の上には「平田弘史」の捺印が。

書と平田弘史といえば、一人しかいないというのがこの世の鉄則。




己らに告ぐッ・・・・


これは血だるまの平田弘史の作品だッ
たぶん

もしかして未発表作?新作?ウヒョ


◆11時過ぎに帰宅、これから『週末から』のレイアウトに入る。本日
9月30日中には掲載するので(確約)、どうぞお楽しzzz

劇画オバQではない

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ロマンティック・ゴミ

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確かに「いいとも」を荒らしたのは僕ですよ

アクセス解析を久しぶりに開いて

「見てる人いんのかなー」

なんて思ってたら

150アクセスを超えた日が

月に5回もあるじゃないですか

つげ研のアクセスを考えると

明らかにこっちに直接来てくれてる人が

相当数いるじゃないですか

「旅がしてえ」とか

ぬるいネタ

やってる場合じゃないですよ

きっちり繋ぎ止められるネタをやらないと

年内終了」とか、

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こういう体制(ミスチル)批判しないとね

自分、「殺人現場に暇潰しで群がる、携帯片手にカメラに向かってピースサインを送る中高生」の画像探そうとして失敗しましたから!

3時間どぶに捨てましたから!

ま、

それはともヵく、

これは上昇気流ですよ

うまくのってけば有名サイトですよ

有名サイトになりたいですよ

書籍化したいですよ

札束風呂で反感買いたいですよ

高ければ高い壁の方がのぼったとき気持ちいいですよ

いいかげん僕も

ケパブー売るの卒業したいですよ

僕以外みんなトルコ人ですよ

苗字みんなムスタフですよ

会話のオチ全部「アタテュルクじゃあるまいし」ですよ

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トルコ建国の父

料亭行ってみたいですよ

てか外出たいですよ

向こう側にいる内面とむしろメッセですよ

自動販売機の比喩は別にうまくないですよ

やりすぎですよ

「ピアノ叩いても音しか出ない」

ってそれを自縄自縛って言わないで何と言うの

音さえ出ないクラリネットのことを

少しは考えなさい

って

これすげえ


アタテュルクじゃあるまいし

旅がしたい旅がしたい旅がしたい

日本のつきあたり」。ハチクロこと「ハチミツとクローバー」に登場する宗谷岬を画像入りで紹介しています。

宗谷岬灯台は木下恵介の『喜びも悲しみも幾歳月』の灯台らしい。そうだっけか?

ここらへん(稚内とか)は、交通標識がロシア語だとか聞いたことがある。

名物防波堤ドームに行きたいんですよね


旅がしてえ


旅がしてえ










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セカチュー詐欺

かないもしない夢を見るのはもう/止めにすることにしたんだから/今度はこのさえない現実を夢みたいに塗り替えればいいじゃん」(mr.children『蘇生』)


だからその方法を教えてくれって
きっとできねえよ



金ゐです。

ブログを書いている暇がないので(忙しいアピール)、gooブログの過去作を再掲します。題材は『セカチュー』。「お前何年遅れてんだ」と言われてしまうかもしれないですが、4年半だよ。悪いか(原作は2001年4月、その後04年にブレイク)。

でも、期せずしてドラマ版のロケ地となった伊豆松崎を訪ねたのが今年に入ってからですから(このときの模様は『つげ義春に会いに行く』特別篇3「長八の宿」に詳しく書きます)、自分的にはギリギリOKです。

近々テレビで映画が放映されるらしいので、なんともグッドタイミングですよね。

正直私はセカチューに亜紀ちゃったですけどね(死



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



大ヒット映画『世界の中心で愛を叫ぶ』がやっとレンタル開始された。早速借りてきて観賞。最近はプロジェクトでかなり忙しく、映画一本見るのも睡眠時間を削って、ようやくだ。既に日付が変わっている。十分癒されて、ぐっすり寝よう。


が、案の定ミモフタモない内容。丸きり泥仕合。

何処で泣くの?何がいいの?
こっちが「助けてください」だよコラ

泣いた奴らは多分、恋人が死んだばっかりで、それだったら泣くしかないよな。しょうがないしょうがない、それはしょうがないでしょー、そんなことを自分に言い聞かせながら床に就くが、イライラして眠れない。実は一週間以上貸出し中で、結構期待が高まっていたのだ。



くそっ、裏切られた。
この悔しさ何処にぶつけようか!




あいつだ。






「せいぎょう」の馬鹿だ。




深夜3時50分。
私は友人をたたき起こして、「セカチュー詐欺」を決行した。




「もしもし、いま『セカチュー』見たんだけどさ、凄すぎたから電話した。悪い、寝てた?」

「うーん、まあウツラウツラしてたとこだけど。」

「ごめんね、でも、本当にやば良くてさ『セカチュー』」

「本当に?嘘だろ(笑)」

「いやマジなんだって。俺も馬鹿にしてたんだよ。でもさ、恥ずかしながらも号泣しちゃったよ」

「疲れてたんだろ?」

「そうかもしれないけど、あれは凄いよ。トルストイ超えたかもわかんない」

「言いすぎだろ(笑)」

「まあ、ちょっといいすぎたけどさ、でも近時の日本映画の中では出色の出来だ。『ジョゼ虎』なんて目じゃないね」

「ホントに?そんな凄いのかよ。見てみようかな」



 よし。もう一押しだ。



「うん。なんかね、完成度自体は高いとはいえないんだよ。泣かせるために作ってあるっていうのも見え見えだし。役者の演技も大したことは無い」

「じゃあどこがいいんだよ」

「そうだね、とにかく泣けたんだよ。その『泣ける』っていうのも、芸術的達成度によって胸が満たされて、自然と出てきてしまうような感じなの。」

「言うねえ!」

「画面全体に揺ぎ無き悲しみが張り巡らされていて、それがちょっとやそっとの駄目な所を完全に覆っているんだよね。こういう言い方は好きじゃないけど、駄目だから凄いとも言えちゃうよ、あの出来だったら。」

「ベタボメじゃん」

「原作は全然駄目なんだ。でも、映画はいいんだよ。これは、理屈で説明してしまって台無しになってしまった究極の『悲しみ』が、映像では生かされているからだと思う。大衆向け映画がここまでやるとはねえ・・・。ほとんど腰を抜かしたね。僕は。特に大沢たかおがさ、」

「言わないで!見るから」



 
釣り上げた。

安堵と嫉妬で胸が切なくなる。

週刊新潮9月22日号に、早稲田大学生物学教授の池田清彦さんが新潮文庫『無能の人・日の戯れ』の書評を書いています。タイトルは「安堵と嫉妬で胸が切なくなる」。

名作『海辺の叙景』のラストシーンに触れて、「男と女の関係をこれほど見事に描いたシーンを私は他に知らない」と絶賛。

最も好きだという「鳥師」の水門ダイブのシーンについては、「そう[ただ落ちて野垂れ死ぬ鳥師のように]ならなかった自分に安堵し、そこまでやる作中人物に嫉妬するというアンビバレントな感情で胸が切なくなる」と述べています。

せっかく生物学の教授なんだから、「蛇師の手」のメカニズムに言及して欲しかった気もします。・・・・「飛べ」と叫んだ「暗原小鳥店」の旦那が自殺幇助にあたるのかを法学教授に論じてもらっても面白いナ(ぉ


名著『つげ義春の温泉』から2年、カタログハウスが満を持して贈る究極のつげ研究本シリーズ!


「山井書店はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」



すいませんすいませんもうしません

精神安定エントリーにクレーム

ドンキホーテってなんであんなに安いの???
って言ってる奴らみんな死ね!


何だか情緒不安定なので、個人情報を漏洩して安定させたいと思います。頑張れ自分。



■【故意の】(空耳歌詞)

●●●●ー ●●●●ー シンドウー サブカルッフー
●●●●ー ●●●●ー シンドウー サブカルッフー(カモン!)
●●●●ー ●●●●ー シンドウー サブカルッフー
●●●●ー ●●●●ー シンドウー サブカルッフー


■についての公開質問状■

「●●●●」という●●●●の神童を考えており、商標登録とサブカル展開にあたり何も問題がないことを確認致したくご連絡差し上げました。勝手ではございますが、7日以内でお返事が頂けない場合は黙認されたと解釈させて頂きます。それでは、宜しく御願い致します。

■説明文

「●●●●」は、●●●●的な神童につけるサブカルのにインスパイヤされて化され、金ゐが今回のにあたって新たな神童を加えて化したものですが、●●●●様において「●●●●」の、サブカルを用いたをされることを何らするものではございません。

わたしたちは●●●●を行っておりますから、●●●●の結果生じたの神童にしてさらにその●●●●の場を広げていきたいと常に考えております。

今回カマクラするにつきましては、あくまでサブカルとしてされる●●●●の「●●●●」のみであり、当然のことではありますが、わたしたちが、「●●●●」の神童に対してサブカルを●●●●することはありません。

今後、わたくしたちは、いわゆる神童業界の●●●●ともより一層深いサブカルをとらせていただきながら 、多くの人々に楽しんでいただける●●●●な●●●●を世の中に出して参りますので、よろしくお願いいたします。【参考リンク





やりすぎました。

炎上と気になること

はあちゅう」と「さきっちょ」が揃ってブログ界から姿を消した今日この頃、お元気ですか?

つーかこんな短い期間で連邦とか探偵とか切込隊長とかおはら汁とか超有名サイトを巻き込んだ(?)大騒動を立続けに起こすなんてすげえ
2ちゃん登場だけで盛り上がれるのに


まさにネットの黒い面がブワッと出ましたですな

普通の人だったらこんなに叩かれただけでだいぶ凹んで、ネットにカムバックできなくなる。かつてのJOY騒動を見ているかのようで





いいなー

炎上してみたいなー

漫画系は炎上しねーんだよなー




なんて思いながら巡回してたら、

炎上してるじゃないですか。

わ 漫棚さん、大変だ。


いっても「差別問題」は炎上しやすい話題かもしれない





ウチはアレだなー

ネタもネタだけど、やっぱ見てる人の数が違うんだろうな



岩波批判もおすぎ批判も反応無かったしなー

おすぎはともかく、岩波のは編集者の目に留まって反論して欲しかったなあ ほんとに



もしかしたら鷹の団に入ったときから夢だったんじゃないかなー
ってそれじゃ今「」かよ!(意味は無い



アクセスはともかくね、

今度こそ「清水正批判」をやらなければいけないと思うのですよ(サンボマスター)
誰もが素通りしてきたシミーに一言言わなければ。

これは使命です

でも、今回の『週末から』に載る「つげ会い」もトンデモっぽいんだよなあ
説得力下がっちゃうなあ



語りかける口調で金ゐのサブカル度が急激にアップした!


やや忙しいんで、こんなもんで今日はサヨナラ。




【参考リンク:有名サイトがブログにしない理由
【参考リンク:かつてMDアルバムというものがあった
【参考リンク:見事にコケたHi-MD

帰れッッッ

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日々是平安也

帯の言葉

おすぎが正しいとは思わない。
おすぎの評論は正しい。



確かこんな感じの文句が「おすぎのいい映画見なさい」の帯に載っていました。永六輔による推薦のことば。

私だけかもしれませんが、永六輔と聞いてもイメージがわきません。岩波新書『大往生』がBOOKOFFの永久欠番に指定されたという噂を聞きましたが(根も葉もなくはないらしい)、どうやら過去に著作が馬鹿売れした経歴を持つのは間違いないようです。無邪気なオリエンタリズムで共通項を捏造し、犯罪的に風呂敷を広げまくった挙句、事態を収拾するために「職人」という言葉を乱用して精神論一辺倒になった勘違い成金タレントとは全然違うんだとか(出典不明)。

永さんがどういう人かはわかりませんが、永さんの推薦のことばが間違っているのはわかります。これが

おすぎは正しい。
おすぎの評論は正しい。


なら、永さんがおすぎにカルトな信頼を寄せているのだな、とか、相当弱みを握られているんだな、とか、何となく理解できそうですが、上のままだとまるきり意味不明です。

つまり、評論と人格は明らかに並列的に語られるものではないですから、「おすぎが正しいとは思わない。」という一文の主語は「おすぎの人と柄」にはなり得ず、おそらく「おすぎの審美眼」とか、あるいは「おすぎの薦める映画がいい映画かどうか」になります(正直適当に書いてます)。おすぎの審美眼に惚れこんでないということは、その評論の「正しさ」は、おすぎが薦めた映画によって示されるわけにはいかず、おすぎの評論プロセスの妥当性によって証明されるはずです。

しかし、おすぎの評論には「正しい」と評価されるべき方法論がありません。「いい映画」に迫る理論的手続きが明らかに為されていないのです(私が見た限りでは、です)。私事から書き始めるのはおすぎの勝手でしょうが、論証を完全に放棄したように読める評論にプロセスの妥当性などありません。これではもちろん「正しい」わけがありません。また、単行本は余白が多すぎます。これでは評論本ではなくてタレント本です。

「正しい」を「楽しい」に変えれば、一応意味は通ると思いますが、ただ、楽しくは決してない。

Road Of MajorとSomething ELse

Road Of Majorのニューアルバム「Road Of Major?」をレンタルしてきたら、なんとコピーコントロールCD!!!!

MP3プレイヤー全盛のこの時代にMDで聞けってか!こっちは「マハラジャ」時代からのファンだぞ!ジャケに名前載ってんだぞ!これも「偶然という名の必然」かよ(怒)

とかなんとか言ってみたりして、別にアレですわ。そこまで興味ないですわ。9月23日のサムエル・ノブ君のストリートの方が重要なわけで。

サインくれるかな。すっごい嫌な人だったらどうしよう。告訴しよう。ためらわずに法廷で会いましょう。

罵声人語さわやか5

「大学図書館の本をBOOKOFFに売ったらいくらになるか」という議論を10時間ぐらいして「やっぱりいくらにもならない」という予想通りの結論にたどり着きました。人生迂回中の金ゐです。

◆朝の5時に会員からの電話で目が覚める。「金ゐ、凄い情報手に入れたぞ。メール送るから見て。」メールに記載されたurlから飛んだ『あやしいわーるど』(ずっと下の2月19日)には、「例えば鬼太郎夜話の猫子さんなんだけど」「そのへん間違いなくつげ義春(´ー`)目のタッチとかが同じ」とあるのみ。それ以上の情報はない。「そんくらいは知ってるんだよ、『幻燈』の対談読めよ!」まあ、朝一からつげ先生のことを考える思春期真っ只中的熱意は買うが。

◆今年いっぱいフルに続けていこうと思っているこのブログ。BOOKOFFではハードカバーの買取限度額が150円だとか、BOOKOFFの有線は店長の趣味で番組が決まっているだとか、BOOKOFFでの「いらっしゃいませー」「こんにちはー」の輪唱はマニュアルに載っているだとか、そんな生活に密着した情報をわんさか載せていこうと思っている。

◆建築科に進み、何だかとても偉い先生についてアート系の建築を実際に作っている友人に会って、まったく話がわからなかったよーとユゴーが電話口で泣きついてくる。「話が分からないのはぜんたいお前の方だよド畜生」と言うと、馬鹿のくせしてユゴー、反撥して曰く「じゃあお前は建築に詳しいのかよ」。何しろ電話口である。目の前のパソコンに「建築家 歴史的」と打ち込み、即座に検索する。余裕たっぷりに「詳しくはないけどね、ル・コルビュジエとか、ヴォーリズ、ガーディナーあたり、フランク・ロイド・ライトにレヒネル・エデンなんかの有名どころは押さえたかな。特に好きなのはレーモンドとフンデルトヴァッサー。むしろ僕の家は遠藤新が立てたんだよ。」と言ってみる。尊敬の声で講釈を求めるユゴー。慌てる私。「僕は茅葺が一番好きな男だからね。茅葺は生活が作る可変型アートだからね。キャンパスライクなアートはわからんよ」最後は引越しセンターの歌を大合唱だ。

◆今更だけど僕の比例の順位は何位なんだろう。低すぎて復活できない位置なのかな。「いやー彼女が風邪引いちゃって暇でさー遊ぼうと思って大学の友達に電話したら三人ともバイトでさー高校時代の友達は皆で旅行行っちゃってるしさーお前しかいないんだよ遊ぼうぜ」

『週末からvol.8』〆切迫る

9月20日〆切ですよ!
これでも当初の予定から相当ずれ込んでいるわけで、「やることないから『北の国から』でも見返すか」なんてザ・ニートなこと言ってる場合じゃないですよ。

現在掲載が決まっているのが、

『つげ義春に会いに行く』
『つげ義春ラストシーン考』
『作品評「夢の散歩」』
『観光地にピアス』
『漫画とジェンダー(下)』


計5本。
いつもに比べると少ない感じ。

他の人はともかく、私の場合、完全にブログに吸い取られた感があります。「つげ義春パロディーの系譜」なんかは明らかにサイトでやれたような気がする。単にだらだらし過ぎなだけか?

ま、それはともかく『季節のことば』もよろしくね。

あと、メールで送ったものについては、〆切が一週間となっています。メール到着から一週間以内にメールで送ってください。添付じゃない方がいいです。終わらなかった人は、書いたところまでをメールで送ってください。一行も書いていないということはありえません。この文章を読む暇があったら書き始めてください。

ちなみに今回の『週末から』が無事掲載され、私が作品解説を完成させた後、つまり10月上旬、ついに伝説の「南青山会」が催されるそうです。先ほど主宰者から電話いただきました。

つげ兄弟の新作DVDを鑑賞しながら、ウン万円の酒をマジ飲みするらしい(最低でナポレオン)。ハムメロンやキャビアクラッカーはもちろん、自宅でクリームソーダ等々(育ちがばれる)、クソセレブな飲み会だそうです。いえーい。みんな頑張って書け!

iPod non

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常識を超えた、脅威のハードディスク内蔵携帯MP3プレーヤーが米アツプル社から誕生した。その名も「iPod non」。プレイヤー(実体)を持たないプレイヤーという、まさに「逆転の発想」で、競争が激化する携帯プレイヤー市場を席巻することは間違いなさそうだ。来日中のスティーブン・ジョブズCEOに話を聞いた。

――――厚さ0mm、重量0gの達成は、革命的な薄型・軽量化を謳った「iPod nano」の衝撃を遥かに上回る。従来製品の体積を100%カットした結果生まれたのは、宙に浮くという信じられない軽さだ。

「確かに俄かには信じられないだろう。厚さや重量だけでなく、このnonは性能のすべてにおいて、他を圧倒している。たとえば、世界で初めて、我々は『肉眼で見ることのできない』携帯プレイヤーを作り上げた。これによって多数のデザインを用意したり、著名なアーティストに高額なギャラを払ってコラボレーションする必要がなくなった。」

――――「nano」から僅かな期間で、これほどの進化を遂げることができたのはなぜか。

「アツプルには、常に新しいことにチャレンジできる、ユニークな体制が整っている。具体的には以下の3点があげられる。

まず、徹底した製品主導型のメーカーであり、世界最高のものを世の中に出そうという気持ちを強く持っている点。世界最高のものを出そうと思っている企業はほかにもあるかもしれないが、この徹底ぶりは、他社とは明確に異なる点だといえる。特に、今回のような、長年の業界における競争に終止符を打つ決定打を生み出すには会社全体に曇りなき信念がなければいけない。

2つめは、優秀な才能を持ったタレントが社内にいるという点。デザインにおいても、エレクトロニクス技術においても、そして、ソフト、サービスでも優秀なタレントがいる。これらのタレントたちが、垂直統合の形で結集され、ハードとソフト、サービスの組み合わせによって、新たな価値を提供している。

そして、3つめが、マネジメントチームがそれぞれのカテゴリーに対して十分な熱意を持って取り組んできた点。例えば、音楽。音楽を楽しむためには、どうしたらいいのか。それを徹底的に考えた結果、誕生したのがこの『non』だ。本当に音楽を愛するならば、騒音だらけの屋外で音楽など聞かなければいい。耳に栓をしてまで愚にもつかない歌謡曲を聞くぐらいなら、自由な発想で音楽を楽しんだほうがずっと健全だ。街には音楽が溢れいている。携帯プレイヤーなどリアルサウンドを前にnonsenseだ。」

――――「nano」から「non」に至る大幅な方向転換に不安はなかったのか。

「『non』と言いたいところだが(笑)、本当はたくさんあった。まず、ユーザーがついてきてくれるのか、という重要な問題があった。外見的には空気にも等しい『non』に金を払ってくれるのか。社内には『箱を開けたとき何も入っていなかった』と苦情が出るのでは、と懸念する声もあったよ(笑)
次に、ユーザーがついてこれるのか、という問題だ。nonはユーザーの世界観までひっくり返してしまうほど、人類が体験したことの無い新しい発明だ。それを使いこなして実際に音が聞こえてくるまでには相応のトレーニングが必要になる。これに関しては、アフターケアサービスとして格安のZAZENトレーニングやYOGAトレーニングを提供することで解決できると考えている。」

――――「non」は顧客ひとりひとりに対応できるフレキシブル性も売りのひとつだが。

「連続再生時間はユーザーの脳死までの全時間であり、使い始める時期やそれぞれの寿命によって自ずと異なってくる。また、プレイヤーの大きさやデザイン、使い方さえも個人個人の想像力によって違いが出てくるだろうね。従来のipodシリーズのように、音楽プレイヤーとして使ってくれてもいいし、莫大なデータを収納することも可能だ。機密文書も、暗号化して持ち運ぶことができる。このとき暗号化の方法はユーザーオリジナルだから、決して破られることはない。ただ、データ破損に関してアツプルが保障するということは基本的にない。」


【冒頭の画像】

レス:つりたくにこと『つげ義春以後』

誉められたときは一切疑わずに受けとり、批判されたときは全力でやり返す。金ゐ國許です。

私が千葉へ行っている間に、掲示板にて「つげパロディーの系譜四『それから』」に関する以下のような書き込みをいただきました。掲示板はログを保管していないので、消える前に転載しておきます。

「馬場毎日」の論考は、これまでに発表されたどの「つりたくにこ論」よりも高い水準にあるように思えました。ひとつひとつの指摘が、とても的を射ているように受け止めました。
ただ、作者が、「つげ義春以後」についてそれほど自覚的であったとは思えないのです。作者は、本来、SFマンガから出発しています。小松左京をはじめとする、当時、勃興しはじめたSF小説に多大な影響を受け、「どんでん返し」の妙味に惹かれたのだと思います。つげ義春の「李さん一家」にこだわったのも、いわばSF的な展開としての「どんでん返し」を感じたからではないか、と。それと、つりた作品が「難解」に向うのは、つげ作品の影響というよりも、池上遼一、佐々木マキ、林静一ら後続の作家が次々と問題作を発表していったからにほかならないでしょう。
また、つりた作品を好んだ「政治少女」たちは、『ガロ』作品だからという理由で、深読み=勘違いしていたにすぎないと思います。「ねじ式」を「反戦マンガ」と評したマンガ家たちもいるような時代ですから、彼女たちを責める気はしませんが。
(改行金ゐ)


「馬場毎日」の論考は、これまでに発表されたどの「つりたくにこ論」よりも高い水準にあるように思えました。ひとつひとつの指摘が、とても的を射ているように受け止めました。

お褒めの言葉をいただいて大変嬉しかったのですが(ええ勿論「社交辞令」だなんて露いささかも思いませんでしたとも)、読んでいて危機感のようなものを抱かずにはいられませんでした。かつて『ガロ』黄金時代を支えた漫画家たちが、時の流れの中に埋没しつつあり、近い将来、完全に消えてしまうのではないか、という危惧です。

かなり失礼かつ余計なお世話ではありますが、つりたくにこしかり、この頃の『ガロ』系作品は、たとえばQJシリーズで人気が(奇跡的に)再燃した作品のような「ザ・カルト」的傾向を持たないため、彼ら/彼女らが全く知らないマニア層へ広く浸透することは非常に難しいと思われます。今見るととても「正常」かつ「正統」な「マイナー作品」が、50年後100年後に、きちんと読み継がれているのでしょうか。

そんなときにこそ有効なのが評論や論争による作品価値の決着と研究による漫画史への位置付けだと私は思うのですが、私の小文程度を誉めざるを得ない背景には(だから社交辞令とは思わなかったと言ったでしょう)、やはり当時の『ガロ』系作品への言及がほぼゼロに近い現状と、未来への不安があるんだと思います。

馬場つげ研がリンクしているアベシンのファンサイトを紹介したとき、「あれほどの作家のサイトが一つしかないというところに、現在の漫画事情の貧困が窺えます」と書きました。それでもアベシンは復刻や新刊が出版されているので、一応は「よし」と言えるのかもしれませんが、現在、書店で入手可能なつりた作品はありません。

幸い『つりたくにこ記念文書館』『「つりたくにこ」とその周辺』なるファンサイトがあります。資本による後ろ盾が無い以上、在野精神で盛り上げていくしかないのですから、ぜひファンの方には評論を発表するなどして頑張って欲しいと思います。


【蛇足:ちなみに私がググって見つけたブログには、「つりたのシニカルな目線というのは、当時の社会にはあっていたかもしれないが、私のように完全に世代を異にする者には只管に羞恥を煽るものがあり、まともに読めない。趣の異なる暑苦しさがある。その苦悩にドライを装う視線が重なるのである、耐えられない?!」と、辛辣な言葉が並んでいた。

あまりにも無邪気な世代論は置くとしても(他人のことを言えないので)、同じく夭逝の『ガロ』作家・楠勝平と比較しての発言には疑問を持った。話は逸れるが、言及しておきたい。

「つりたはシニカル・ドライを装いつつ常に「自我」と密着した作品を描いており(その上難解にしよう、という作為が感じられる)、楠も病身故にそこへ執着は見せるものの、漫画としてはきちんと距離を保ち、しかも何処までも真剣で甘えと隙がない。」と著者は言う。

しかし、自我と作品との「距離」は、それだけで作品の優劣に関わるような決定的な要素ではなく、作家の表現上の選択にすぎない。伸縮自在な「距離」の存在が表現に奥行きを与え、その長短こそ各人の個性である。
また、著者は全く取り合わないが、つりた作品に実験精神が根付いていたことは間違いないことであり、それが絵柄や内容の外見的な「難解」に結果としてはとどまるものだったとしても、少なくとも楠と同様、「何処までも真剣で甘え」がなかったように思う。「隙」という点でも、つりたも楠も己の表現姿勢においては無かったと言えるし(仔細に見れば発見できないことはないだろうが)、表現の達成度を考えれば、どちらにもあったと言える。

所詮、漫画体験を「恥ずかしい話」と語る作者の言であるが。】


ただ、作者が、「つげ義春以後」についてそれほど自覚的であったとは思えないのです。

「ただ」が来たときに、私の表情は上人したわけですが(笑)。上人?いや、踊り念仏ですが。

真面目に答えますと、今の段階では、私にはつりたくにこが『つげ義春以後』に対してどの程度自覚的であったのか、断言することはできません。「おそらくつげの影響を受けて、漠然と『つげ義春以後』をイメージしただろう」と考えていますが、具体的な証拠を挙げることはできませんし、そうした欲求もあまり強くは無いので、証拠を挙げるのは「つげ義春に強い影響を受けた女流漫画家」と言い切る『「つりたくにこ」とその周辺』さんに任せたいと思います。

断言をとりたてて目指さない理由は「つりたくにこは『つげ義春以後』に迫り得なかった」と私の中では結論が出ているからです。『つげ義春以後』を「新しい表現」に入れ替えてもらってもかまいません。そして、つりたと同様、まだまだ言及が不足しており、かつ『つげ義春以後』に迫り得たと考えている菅野修ほかの様々な作家に言及していく方が先だと思っているからです。

現時点で断言できない理由を申しますと、まず資料がないことがあります。これは私の手元にということです。つりたの「つげ観」を端的に表す資料がありましたら、教えてください。

次に、『つげ義春以後』とは「いつ以後」なのか、という重要な問題に回答できていないからです。87年の『別離』以後という括りにいささか無理があるのは理解できるとしても、では、初めて『つげ義春以後』を打ち出した『夜行』創刊(72年)以後なのか、キャリアのターニングポイントとも言うべき『沼』(66年)なのか、はたまた『ねじ式』(68年)なのか。

元々「何年何月」というようにかっちり決まる問題でないのは承知の上ですが、ある程度定めておかなければ、今回のつりた作品のように時間的に極めて近い場合、『つげ義春以後』との関係性の判断が微妙になってしまうのも事実です。

私は『つげ義春以後』を「構造の崩壊過程」と見ておりますので、つげ作品の「構造」化が極まった『ねじ式』を区切りに使うことが多いのですが、そうすると例えば「池上作品はどうなるんだ」という問題が出てきます。

つげ義春「以後」ですから、つげ義春を前提に、それを超えた最初の表現者から始めればいいのかもしれませんが、それでは、超えてはいなくとも『つげ義春以後』の影響下にあり、格闘した作家たちの功績を見逃すことになります。『つげ義春以後』は表現形態として技法・思想的に理解されなければならないのと同時に、漫画史の確かな人的系譜、一水脈として記述されるべきであると思うからこそ、そこにはいっそう厳密さが必要とされるのです。


つげ義春の「李さん一家」にこだわったのも、いわばSF的な展開としての「どんでん返し」を感じたからではないか、と。

「李さん一家」のオチを気に入ってのパロディであることは間違いないと思われますが、仰るとおり、確かに、仮につりた作品が『つげ義春以後』を迫り得たのならば、「李さん一家」を「牧歌プラス意外性」とは見なかったはずであり、そうした意味でもパロディした時点でつりたくにこがつげの表現の深層部を見抜いていたと考えるのは不自然です。


つりた作品が「難解」に向うのは、つげ作品の影響というよりも、池上遼一、佐々木マキ、林静一ら後続の作家が次々と問題作を発表していったからにほかならないでしょう。

もはや言い方の問題になってきますが、池上遼一、佐々木マキ、林静一らの作品にはつげ作品の影響はなかったのでしょうか。確実にあったと思います。そして、つりたが彼らの作品に対峙したとき、つげの手法なりを無視することはできないはずです。ただ、繰り返しますと、私は池上遼一や佐々木マキや林静一のように、つりたの作品が『つげ義春以後』に迫れたとは思いませんでした。


つりた作品を好んだ「政治少女」たちは、『ガロ』作品だからという理由で、深読み=勘違いしていたにすぎないと思います。

私が言いたかったのは、つりたくにこがおそらく当時(現在も)『つげ義春以後』を予感させる作家であり、その予感はつげと共通する支持基盤を持ったことからも強まっているのではないか、ということです。ですから、基本的につげを全面的に支持しつつもつりたを完全に肯定することはありえないと思っています。

11?13の間、

千葉に行ってまいります。その間の更新は済ませておきました。ご覧ください。なお、「つりたくにこ」に関するエントリは、我ながら粗雑過ぎると思います。思いますが、ここで出しとかないと、次に進めないのです。手抜きはしてませんが、完結もしてません。批判・アドバイス、どしどしお待ちしております(レスは三日後になりますが)。

とにかく、今回も選挙にいけませんのです。
先に言っとくけど、

違うよ!
公認のネタがダダ滑りしたからじゃないよ!
綿貫が・・・よしましょう、選挙ネタは。
滑るから


今回は予定をずらすわけには行かないんです。
巡礼がメインじゃないんですよ(大原には行きますが)。
遊びじゃないんだよ。
自己啓発なんだよ。
主がー!主がー! 砂糖菓子
マジでごめん宗教


なんて書いといてアレなんですが、選挙に行ってきました
ちゃんと×いっぱい書けたよ
NEW党パイオニア


で、「つりたくにこ」の文章書いてて思いついたんですけど、
つげ義春囲碁って出したら売れるんじゃないかな
囲碁盤に傷に強い薄いフィルタでカバーされた菅野修の直筆イラストが描かれて、碁石にはプリントの絵が。
限定50台、50万円。

以前も書きましたが、キューブリックはこんだけ色々出すなら、いい加減つげバージョンを作って欲しい。

あと、私を守銭奴だと思うのはやめてくださいね



つげパロディーの系譜4『それから』

「(続・李さん一家)それから」 つぎ宛春(あてはる)

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目次には「つりたくにこ」と表記されている
1967年9月号の『ガロ』に発表された短編。「つぎ宛春」とは60年代後半から80年代前半にかけて『ガロ』で活躍した夭逝の女流漫画家「つりたくにこ」のことで、タイトルからも分かるように本作は傑作「李さん一家」のパロディになっている。本家と比べると絵の巧さに格段の開きがあるものの、タイトルのみの扉ページもそのままという凝り様で、つげへの深い心酔が窺える。粗筋は以下の通り。

放浪癖がでてボロ屋をとび出してから3ヶ月。李さん一家は一階へと移り住み、二階は名前も知らない女の子に占拠されていた。女の子は高級ステレオで大音量のジャズを楽しみ、ぼくは廊下で寝起きする。ある日食中毒で女の子が死んでいるのを発見すると、悪臭とハエを処理するため、李さんは死体を裏庭の土中深くに埋めた。その日から僕は二階でゆっくり眠ることができたのです・・・・
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元ネタであるつげの作品が発表されたのは67年6月号の『ガロ』。驚くことに、つりたがパロディを発表する僅か三ヶ月前のことである。この事実だけでもつげからの影響を結論付けてしまいたくなるが、ついでに記せば、つりたは1968年7月から一ヶ月間、つげと共に水木プロで働いている。
「永遠への飛翔 つりたくにこ編」(斧田小、『アックス』第5号収録)に書かれているように、この時期の二人は特別深い間柄ではなかったようだが、この後、つりたの作風はまさに「つげ的」とも言える「難解」なものへと変化していく。

つげに憧れ、つげファンでもある「政治少女」たちに愛され、次第に抽象度を高めていった「天才少女」の未来に、多くの読者が『つげ義春以後』を見たことは想像に難くない。少なくとも本作が、つりたがつげに連なるべき作家だったと信じさせるのに十分なインパクトをもっていたことは確かであろう。

しかし、残された諸作品を見ると、つりたが『つげ義春以後』に迫り得たかどうかについては疑問が残る。むしろ両者は「難解」であるそのことにおいてのみ辛うじて共通し、私にとってのつりた作品は、ときに観念が先行した頭でっかちな存在で、青臭く映ることすらあった。

このことは『つげ義春以後』をはっきりと感じさせる菅野修の作品に見られるような「画による画のための表現」が見られなかったこと、すなわちつりたの絵が、観念を描くには技量的に足りないところがあったことに由来するのかもしれない。

技量的に足りないと言っても、つりたの絵には独特の味があって、それがいいと言うファンも多いはずだ。個性派揃いの『ガロ』作家陣の中でも十分「個性的」なその絵は、当時の読者の目にオシャレに映ったからこそ支持を集めたのだと思う。基本的に表情に乏しい人物造形も、配置の妙によって永島慎二的「嘘臭さ」(『漫画家残酷物語』シリーズなどの持つ非社会性)が薄められ、一層「文学的」であった。「文学的」すなわち「難解」に適していたと言えなくもない。

しかし、そうした描線も、作品の主題のためのいわば「小道具」的存在に留まり、描線と作品が呼応するような有機的な構造は終ぞ見られなかったように思う。抽象的な絵はどこまで行ってもモチーフの象徴にすぎず、不条理が抗わねばならない意味性からの脱却は為されなかった。

ここで私がことさら描線にこだわるのは、全体と部分の連関が「有無を言わさず」重要だからということだけではなくて、「漫画だから絵が重視される」という、当たり前の理由からでもある。

『つげ義春以後』という表現形態は、つげ義春が達成した表現の地平を超克する、少なくともその方向性を持たなければならないはずであり、それはつまり、つげが確立したと私が看做している「構造としての作品によるリアリティの提示」という手法に前提を置きながらも、さらに漫画というメディアをフル活用することでそれを超える方法を模索しているべき、ということである(超え方は色々あるだろう)。

いま、描線がそれ自体の価値を軽視してテーマの代替物に成り下がった結果、読者は作品内の象徴を追うだけの「絵解き」に従事することになる。まずはタイトルを見、セリフを追い、最後に絵を見る。そして絵においても、漫符などの記号表現の慣習法的理解に依存した(させられた)散文的な作品解釈に限定されることになる。ここにおいてベタや斜線などの細部は意味を持たなくなり、作品は物理的な広がりを失って要約される存在となる。

読者との間に「騙しと気付きの仕掛け」を築き上げたつげ作品は、漫画表現を目一杯使用して、要約を拒む構造を成り立たせていた。というより、要約されようがない「構造」の確立に成功していた。そして、我々が『つげ義春以後』というとき、そこで(進化するにせよ壊されるにせよ)前提となる構造の存在は揺るがず、その構造とは、つりた作品に見られる、作品内で自己完結する作品の「構造」とは全く異なるものなのである。


ところで、当時の『ガロ』は、毎号雑誌の半分以上を占める白土三平の長期連載「カムイ伝」を柱としつつ、脇を固める短編作家陣にも実力派が揃っていた。「創刊3周年記念特大号」と銘打たれたこの号においても、「カムイ伝」のほかに、水木しげる(連載「鬼太郎夜話」)、つげ義春(「海辺の叙景」)、滝田ゆう(「風法師」)、楠勝平(「茎」)、池上遼一(「地球儀」)、勝又進など、今では考えられない豪華メンバーが執筆しており、実に読み応えがある。

長井勝一『「ガロ」編集長』によれば、66年から売れ出した『ガロ』の部数は、この年の暮れに8万部(返品率7%)に達し、67年の春頃には小学館による買収話が出たという。

tp-turita03.jpgつりたによるつげパロディーには、他にも「(続・それから)李さん一族」がある。李さんの兄一家(6人の大家族)が引っ越してきたことで、ついに主人公はボロ屋から追い出されてしまい、雪空の下立ち尽くす。こんな内容の、わずか8ページの短編である。2001年に青林工藝社から限定千部で出版された『つりたくにこ未発表作品集 彼方へ』に収録された。

妄想満月

女子高生たちが駅の階段でグリコをやっていました。
微笑ましい光景を見て一言。

森ッ永ッ(死

金ゐです。本当は君に伝えたかった。


昨日の夜、横浜で飲み会(合コン)があったんですが、歯科助手をやっているという女の子が、友達にブログをやれと誘われているが、その友達たちがみんなキモくて始める気が起こらないと言ってきました。

彼女は興奮気味に続けて、日常生活の細々したことまで公開するのは意図的な個人情報の開示であって、「ぼくを見つけて!」と必死で叫んでいる痛い人みたいだとバッサリ。おまえは不思議の国のアリスかと突っ込みたくなるらしい。

どこが「不思議の国のアリス」なのかちっとも分からない・・・・まてよ?この子は「アリス」が言葉遊びや高度な教養に裏打ちされた作品だと知っているのか?だとしたら、この返しは重要だぞ。試されてる。


「不思議の国」よりも「鏡の国」にした方がネットっぽい表現になるよ、ミラーサイトって知らない?あるいは「地下の国」ねwアングラ!


あ、そこはスルーなんだ。

場を盛り上げるために「じゃあ僕はシャム猫なのだ!」と言ったら、「金ゐくんは権力の犬でしょ」と返されてしまった。違うよ!ぜったいシャム猫だよ!仕事以外は思考停止の社務猫だよ!

どうしようもない僕に天使がおりてきた



T?1グランプリの結果が発表されていました。「まるでキャバクラ」とネットに賛否両論を巻き起こしたこの企画ですが、終わってみるとちょっぴり寂しいですね。

結局、鬼のようにブログを更新しまくった慶應生が優勝ですか(原爆ドームの写真を載せておきながら受験のことしか語らないブログは多分有史初)。私が応援していた佐々木先生はランクインせず。一時は5位くらいまでいったんですけどね。なぜかTBにレスが来ませんでしたよ(ぉ

「FREEMAN」の情報求む

唐突ですが、どなたか「フリーマン」の情報ください。
7、8年前、千葉のローカルな祭り『南柏祭り』で演奏していた四人組バンドです。アコギボーカルがかっこよくて、その場でCDを買いました。誰か情報ください。

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1.Movin
2.そばにいるから
3.宝の地図
4.hometown
5.大人の事情
6.宇宙一お前を好きな男の歌

宝の地図が名曲。音楽的に言うと「入りがいい」。

公認

うう、ネタの賞味期限切れが迫ってきたよ!
というわけで、急いで選挙ネタをどうぞ。


9月11日に衆院総選挙が行われます。神田系無党派層ニート科の私はもちろん選挙に行きますけれども(当日は千葉は大原にいますけれども今年二度目ですけれども)、この選挙で注目を集めたのが、造反組に対する自民党の「公認」問題でした。

政党の公認が得られないと、


一、比例代表重複立候補ができない
ニ、政見放送できない
三、選挙用はがきが二万枚少ない
四、ポスターが掲示場にしか張れない
五、選挙カーが一台のみ
六、マニフェストを配れない
七、公認料貰えない(自民の場合500万)
八、選挙資金が集まりにくい(公認候補は党の支部長として資金集めできる)
九、街頭演説で「有名人」である党首が来ない



など、様々なデメリットがあるようです。これを見て私金ゐはつくづく思いました。「公認って、大事だなあ!」

馬場つげ研も公認が欲しいところですが、今のところ政党はおろか一般の方でさえくれる気配がないので、こちらから差し上げることにしました。なんとなく優位に立った気分でよろしいウハ。

サイトにとって「リンク」というものが「公認」なのかもしれないですが、やはり公認は公認。まったくの別物です。すなわち公認することによって、リンクにはない公認特有のメリットが生まれなければならないわけです。上のデメリットを参考に、いつものように面白可笑しくウイットに富んだメリットを考えてみましょう。



一、比例代表重複立候補

させてあげましょう。


ニ、政見放送
四、ポスター


これは「広告」ということになるのでしょうか。
広告ならいくらでも張らしてあげますよ。


三、選挙用はがき

は勿論ありませんから、馬場つげ研特製はがき(暑中見舞い、年賀状など)をあげましょう。公認を貰えば、毎年必ず直筆年賀状がもらえる嬉しいサービス!


八、支部

馬場つげ研の支部設立を許可し、支部長に就任させてあげる。馬場つげ研の名前で資金集めするのはやめてネ!


九、党首の街頭演説

ストーカー金ゐが出張りますよ



かけらも面白くない特典ができあがりましたが、せっかく書いてあったので、許してください。ゴミネタをアップしたことよりも気になるのが、以前似たような企画をしていたような・・・・(tys!!)

具体的な「公認」先の発表は選挙の後で(自民大敗なら没)。この続きはすごい面白くなりますよ。あー、それは駄作なんだよーその次が面白いんだよー

ノンフィクションはフィクションよりも「つおい」のか1

岩波書店から出ている読書情報誌『図書』2005年9月号を読んでいたら、疑問に思う文章があった。その文章とは、『こぼればなし』と題された無記名の編集後記である。

各所で話題を呼んだ映画『ヒトラー』にふれて、「六百万人のユダヤ人を虐殺した悪魔的存在のヒトラーが、意外と人間的に描かれているのに軽いショックをおぼえました。(中略)そもそもホロコーストという想像を絶する出来事を、想像力の産物である芸術に翻訳すること自体に無理があるのかもしれません。」と感想が述べられている。

さらに『ドン・キホーテの独り言』という本に書かれた実話を紹介して(「絶滅収容所を奇跡的に生き延びて、『ヴェニスの商人』さながらに、したたかに生きるユダヤの老人――」)、「想像を絶する出来事を描写するには、やはりフィクションでは無理のようです」と繰り返している。

私はこの文章を何回も読み直してみたが、結局、書いた人間の真意が理解できなかった。ヒトラーを「悪魔」(!)と位置づけて、ひたすらその「人間」性を拒絶する、わざとらしいほど短絡的で粗雑な正義感。芸術を現実の「翻訳」と記す無神経。

何よりも、このような考え方をする人間が、出版業界の良心的存在であるはずの岩波の、それも『図書』という名の雑誌を編集していることに驚いた。(「想像を絶する出来事を描写するには」「無理がある」はずのシェイクスピアを比喩に用いて「想像を絶する出来事」を語るのは滑稽としか言いようがない。)

もちろん、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というアドルノの言葉を引くまでもなく、こういった見解がとりたてて奇異なものでないことぐらい分かっている。まさか出版業界の人間から聞こうとは夢にも思わなかったが、何しろ私はつげ義春と平穏な生活の間にさえ隔たりを感じ、未だにその溝に橋渡しできていないぐらいである。ホロコーストと芸術行為の間に橋渡しに苦しむ絶望的な溝があると想像することはできる。

さらに、「想像を絶するものは想像もできない」というキューブリックの例も知ってはいる。しかし、『図書』を読む人間はもちろんのこと、作る人間は当然「芸術」の力を信じているものだと思っていた。

以前、ヤフー文学賞について、小説家のありえない選評に過剰に反応してみせたが、あの文章を書いた時点では「プロのくせに情けないこと書いてんじゃないよ」くらいに軽く考えていた。が、ここまでくるともう、自分の読者としてのスタンスについて真剣に悩んでしまう。

編集者がこういった文章を公開できるということは、編集はおろか、雑誌の書き手も(掲載文のほとんどが評論だとしても)ある程度こういった考えに慣れているということだ。

「芸術は余暇である」との考えに一切の疑いを挟まず読者は作品を受容し、あるいは作者は作品を書いているのだろうか。「生き死に」なんてものは古いのだろうか。間違いなのだろうか。(つづく)

西野空男さん、連絡求む

先読みの件です。

bbtugeken@hotmail.co.jp

までメールください。

祝・藤澤恵麻ドラマ出演決定!!

10月10日『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』

映画初出演作『奇談』は11月19日公開のようです。「ハリウッド進出も視野に全国ロードショーする」はずだったのが、公開が遅れに遅れ、単館になり、ワオ公式サイト「カミングスーン」!ぐほっ!

続きそうもないノンノの連載「幸せ気分のおしゃれLesson」を除いて、現在『組曲』『小岩井』でしか拝顔の栄に浴することができませんが(握手会とかはあるかもしれませんが知りません。イグネに行けば保育してるんじゃないですか)、いよいよブーム再燃の予感がします!

すごいサイトもできてたし。

まだまだカテゴリーは『天花バニシュ・デス』のままですよ。過去のわりと最悪気味なイメージをどう払拭していくか。今後に大注目です。

罵声人語さわやか4

◆ソ○ー損保のCMで、小学生の女の子だけ終始難しい顔をしていたのが引っかかっております。言うほど良い商品ではないということなのか?金ゐです。

◆何だか旅行から帰ってきてからのブログは、アホさに磨きがかかっている気がする。旅行前はもっと深遠な人生の問題を扱っていたはずなのに、一転、愚にも付かぬ内容になってしまった。・・・・そうでもないか。変わってないか。とにかく「馬場つげ研」の本来の主旨と遠く隔たった感慨がある。実際本家の方はろくに更新もしていないし。アイドルのネタをやりすぎると明らかにアクセスが落ちるのは、閲覧者の平均年齢が高いということか。

◆アホっぽくなっている原因は分かっている。アホな生活しかしていないからだ。本を読まず、思考停止し、ネットサーフィンばかりしているからだ。貯蓄のない人間は、考えることを少しの間放棄しただけで、如実にそれが出る。いかんいかんいかん。

◆朝から人生初の「あとがき」を書く。初めてのせいか、悩むところ多し。中でも困ったのは『つげ義春以後』をどの程度まで説明するか、ということ。北冬ファンにはすっかり御馴染みの表現だが、明確に文章化されていない(もちろん私もしていない)以上、安易に使うと酷い結果になるのが目に見えている。しかし、それでは厳密に使おうとすると、ユゴーじゃないが「表現形態としてのつげ義春」をつげ以前の作家たちとの対比で浮き彫りにしなければならない。とてもじゃないが、それでは紙面が足りない。というか、それが(内容的にも分量的にも)きちんと書けていたら、自分で本を出版している。さあ困った。

◆サイトを見てくれている知人から久しぶりに電話がかかってきて、「もっとバリバリ更新しなよ」と言われる。「まあ、10年計画だからね」とかわしておいたが、人生で最も暇な時期に更新できないようじゃ、先が怖い。「つげ色薄まってきてない?」とも言われた。つげ義春や北冬系については(情報は別として)こういった雑文と違って適当に書けないから、どんどん書きかけのまま溜まっていく。そして書けなくなっていく。

◆昼間、窓を閉め切って、ずっとギターをかき鳴らす(暇人だなあ)。おお、愛しのマーチンよ。今日はいい音響かせてくれるじゃねえか。いわゆる鈴なりだね。そういえば、フォークルに『ライカはローリングストーン』という曲があった。

神田あたりをうろつけば/すごいギターが眼にとまる/45だの42だの28だの/ついに今日こそ僕のもの/ああ、あのあこがれのほんとのギターだぜ/いつまでも苔むさず/マーチンは僕のローリングストーン」。

45だの42だの28だのは持っていないけれど、この曲、いいなあ!よく分かる。フォークル再結成にアルフィーの坂崎幸之助が参加したのも驚いたが、これが収録されたアルバム『戦争と平和』にダライラマからのメッセージがついていたのも驚いたなあ。ジョージブッシュの演説をラップにするようなもんだ。意味不明ですけど、なにか?

◆レンタルビデオで借りてきた映画を数本鑑賞。何を為すでもなく、一日が終わる。いま偉人の伝記を読んだら間違いなく死にたくなる。だから読まない。ダラダラして寝る。明日になったら全て忘れてる。

憂鬱日和

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友失い蜻蛉  國許



尾道と大林映画2

緊急情報!日テレ『うたスタ』でサムエルの「残像」が「隠れた名バラード」としてカバーされていた!本人出せ!もっと良くなるぞ!カムバック僕らのSomethingELse


「ちゃお」ってアイタタタタ

5日分のネタが昨日の雷のせいで吹き飛んだので、今日は書くことがな?んもない。ホント何もない。友達もいない_| ̄|○

だから、お寿司握ったりしてました(うま
【参考リンク:スシの握り方


載せることないから、穴埋め的に載せましょう、偶然にも写真に写りこんだ尾道大林作品ロケ地。繰り返しますが、ロケ地めぐりとつげ巡礼は次元が違います。

今回は尾道シリーズ最終章にして最大の怪作『あの、夏の日?とんでろじいちゃん』。何を隠そう、宮崎あおいの映画デビュー作ですね。「宮崎あおい?・・・ああ、セカチュウのアキね」あなたマニアックですね

宮崎あおいが幼少時から高い演技力を持ち、かつそれがいまいち進歩していないことがよく分かるという意味でもとても重要な作品なのですが、なぜか平田オフィスの公式サイトにはこの映画が記載されていないんです(当サイトは2004年のブレイク後に開設された)。登場時間こそ短いものの、重要な役どころだったし、何より大林宣彦と言えば巨匠だろうに。

セミヌードになったのが児ポ法的にまずかったのだろうか。それとも載せる必要が無いと判断されるような作品だったのか。謎は深まるばかり。


まずはホラタコの多吉のアホっぷりが爆発した天寧寺

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写真がずれていて、見ていると吐きそうです

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ヤクザ弥勒は写真のみ(セット?実在?)

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襖の絵がいいですねえー、一瞬【つげ忠男「曼陀羅華奇譚」】を思い出しました

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玉ちゃんの部屋は創作のようですが、寺の裏には確かに墓地が


そして、千光寺山の鼓岩。ポンポン岩ですわ!質問があった「ふたり」で別れたのは不動明王岩というところらしいです。ポンポン岩の後ろにはなぜか手形があって、若貴兄弟のものもありました。

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(写真右)おお、尾道大橋!


大林作品のロケ地の中で最も行きたかったのが「マキマキ」で御馴染み土堂突堤ッッッ

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マキマキマキマキ巻きましょう。マキマキ巻いたら夢の中

ウハ向島丸見え。天気良くてよかったなァ





あれ?行きたかった?

偶然ですよぐ・う・ぜ・ん

雷通信vol.1

ちゃお!

下町が誇る大胸筋男、金ゐ國許です。朝原か僕かということで、「絶対ありがとう」。NOMOクラブに惜敗したゴールデンゴールズの監督、欽ちゃんの言語感覚に驚いています。

さて、この『BLOG馬場毎日sawayaka』も安定期(倦怠期)に入り、文章にもハリやツヤがなくなってきました。自分で言うのもなんですけど、始めた頃の緊張感が薄れて、どうも完全にルーティーン化しているようです。総選挙で言うところのアレですね。特に思いつきませんけど、たぶんヒロシマロックがらみのソレです。

つまりそろそろ動きが必要かな、ということで、雷が鳴った日はぜひ『馬場毎日』を見てください。メルマガならぬブロマガ「雷通信」を掲載します。このブロマガはいつもなら更新にカウントしてしまう小ネタを最低でも3個同時収録した超お得版です(ただし私の家付近で雷が発生した日限定)。基本的に「ネタ」なので、非つげファンの方もこの機会にブックマークしちゃってください!


そんなにネタがあるの?

ご心配なく。時間がありますから。ネタはなくても作ります。ネタの為なら何でもします。嘘すらつきます。むしろ嘘しかつきません。というより嘘もつきません。気分的には分かり合えた友の愛した人でさえも欲しがります。

この段階で「意味不明だよこいつは」と思った人も安心して閲覧をお続けください。ブロマガ「雷通信」には


■ネタ1:雷ってなに?
へえー、そうなんだ!読んでないけど。


このようなデアゴスティーニもビックリな「真面目で面白い情報」も含まれております(適当に書いてます)。他にも、


■ネタ2:映画情報
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小学校から宮中晩餐会まで使えるほのぼのパーティジョークあり、


■ネタ3:絵馬突っ込み2
癖になると怖いので、画像使用は今回限り。微笑ましいものを一枚。

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もうひとつ、シャレにならない絵馬もありました。息子思いのお母さんによる愛情たっぷりの絵馬。怖すぎて文章にすら起こせません。人間の業って深いなあ

tokimairi-1.jpg
こんな感じ


もちろん既存の連続企画もあって、


■ネタ4:尾道と大林映画1
まずは大林宣彦監督の尾道シリーズに馴染みのない我々や我々より後の世代に向けて。

三部作
「転校生」(82年)小林聡美初主演 尾美としのり
「時をかける少女」(83年)原田知世初主演 尾美としのり
「さびしんぼう」(85年)冨田靖子 尾美としのり
新三部作
「ふたり」(91年)石田ひかり映画デビュー 中島朋子
「あした」(95年)宝生舞出演
「あの、夏の日」(99年)宮崎あおい出演

映画の解説は後々やるとして、この間のつげ巡礼では尾道に立ち寄ったのですが、偶然写真の中に「ふたり」で中島朋子が事故死した場所が写っていました。ホント偶然

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トラックが突っ込んできたのは寺からの道

え・・・?
やだなあ、ただの偶然ですよ。つげ巡礼はロケ地巡りとは違うって言ってるじゃないですか。だいたいつげファンと大林ファンは両立しないですよ。

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まさかここが長谷部真子が住んでいた旅館だなんて知りませんて

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まさかピアノの音なんて聞こえませんて
まさか国宝を前に「中が見えないんじゃただの寺じゃん、クソ面白くない、次行こ」なんて言いませんでしたよ。

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「転校生」の階段(御袖天満宮)です。ちなみにネットでこんなものを発見。イヒヒヒヒヒ!

って違いますって!ファンじゃないですって!御袖天満宮はつげが訪れた尾道のシンボル的な存在ですから、資料的に訪問・撮影しただけですよ、失礼な。それは邪推というものです。あたし猫だからね。いろんな抜け道知ってるよ(死

116_1688.jpg vip726403.jpg
名物歩道橋



というような旅のこぼれ話もあって、



■ネタ5:種田山頭火に馴染む
青空文庫」や「つれづれの文庫」を参照、引用(いんだよね?)して「まっすぐな道でさみしい」
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」

で御馴染みの種田山頭火にもっと馴染みましょう。


あの雲がおとした雨にぬれてゐる

雨だれの音も年とつた

飲みたい水が音たててゐた

墓場あたたかうしててふてふ

しづけさ、竹の子みんな竹になつた

うーん、次回からはテーマを決めて句を選ばなければいけないな。句というものは順番でだいぶ変わってくるものだなあ。何だか台無しにしている感が・・・・



とまあ、こんな感じで歴史上の人物も参加しての充実の内容です。
問題は「続くか」、その一点のみ。まず無理でしょう。さよなら

蒸発旅日記DVD発売イベント

つげ義春の隠れ掲示板より

9/17土 午後5時から7時 下北沢ラカメラにて
『蒸発旅日記』
原作つげ義春 監督 山田勇男 助監督 森崎偏陸
美術 木村威夫 スチール 首藤幹夫 他
DVD発売を記念したささやかな宴があります。

会費5000円(DVD代4000円含む)

この作品の、スタッフ、キャストが一同に揃う?おそらく最後のチャンスです。興味あるかたはよろしければぜひこの機会にいらしてください。特に関係者でなくても、この映画を愛して下さる方なら、どなたでも歓迎との事です。まだ見ていない方、8/26に既に発売、レンタルもされておりますので、ご覧頂ければ幸いです。また、秋にはシネマアートン下北沢でスクリーンに再登場する予定となっております。お楽しみに。それでは皆様のお越しを、関係者一同お待ちしております。

世田谷区代沢4―44―12 茶沢通り沿いビル二階
下北沢徒歩12分 バス(渋谷―梅ヶ丘)(三軒茶屋―北沢タウンホール)「代沢小学校」下車 03―3413―9422
問い合わせ ワイズ出版 03―3396―9218



こ、これは?
つげ先生もいらっしゃるということか・・・・?

高・・・・・くない。

というかまだ見てないんだよー

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