BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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さらば分校

長い夏が終わった。

結局甲子園には行けなかったけど、ポンちゃんは初めて二塁打を打った。キュー介は、ヒットは打てなかったけれど、飛びついてナイスキャッチ!ナイスガッツ!を見せてくれた。

他のみんなも頑張った。

今年は雨が多くて十分な練習ができなかった。でも、部員が持ち込んだマリオカートのおかげで、ある意味恐るべき量の走りこみができた。みんな、足は確実に遅くなったけど、ラップタイムはぐんぐん伸びた。

筋力トレーニングを後回しにしがちだったイノッチは、高橋名人の連打マシーンだけは率先して利用したよね。

サブローは声出しを嫌がったくせに、FC「ドラえもん」では大声を出してたな。

瑞夫と竹中は連係プレイが下手だった。でも、「タートルズ」では信じられないコンビネーションを見せた。

清水と亮輔と桑原。お前らについて一切言うことはない。


15失策は、私が野分分校にいた4年間で7番目にいい記録だった。今振り返ってみて、もう、後悔しかない。タイムマシンがほしい。






anzai.jpg

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ご愛読ありがとうございました
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最期のアクセス乞食あらわる

一年間、拙ブログに付き合っていただき、ありがとうございました。

9月までは毎日30人くらいしか閲覧者がいなかったのですが、10月に45人を超えると、11月には57人、12月には一気に78人に増えました。年が明けてからは、一月平均4134名、一日138名弱のアクセスがあり、正直ウハウハでしたよ、ええ。

瞬間最高風速は1月21日の262名!
アクセス乞食冥利に尽きる数字です。

いま、アクセス解析を見ながら書いているわけですが、やはり東京都在住の方が圧倒的ですね。全国に分布しているとはいえ、100倍近い開きがある。今後の課題としては、いかに地方ファンと交流していくかですね(←東京ファンとも交流できてない

サーチワードは【六日町シネマ】が圧倒的でした。他にも目を引くワードがあったので紹介します。

「幼稚園の手提げ袋の作り方」
「折り紙忍者ハットリ君のおり方」

何でそれでウチが引っかかるんでしょうかね。てか「折り紙忍者ハットリ君」てすげえ!

「佐々木礼 津田塾」
未だに根強いファンがいるようです。私も画像は大切に保管・・・

「不二家で働いてる」
確かにワードとしては書きましたが】。働いてないですよ!

「小室哲也のおじいさん 福島県」
いるんだ・・・

「本 書く 決してあきらめない」
がんばれ。

「就活 あなたの強み」
人にそういうことを聞けるところだ。

「キュッキュッ トン」
トン キュッキュッ

「醜態 合宿」
取り返しの付かないことをやったんでしょうか・・・

「天花 NHK どんなの?」
きいちゃったよ アンド検索わかってないよ

「藤澤恵麻 演技下手」
ひどいよ!

「林静一 息子」「林静一 名文句」
あまり名文句のイメージはなかったですが。息子さんがいらしたのか。


さて、いずれ、またブログをやる日が来ると思いますが、もう二度と毎日更新はやりませんw 私はおかげですっかり「ブログ脳」になってしまいましたし、サイトよりもアクセスが多くなっため、馬場つげ研は金ゐの未熟な「私」で汚されてしまいました。今後5年、いや10年かけて2005年から2006年の「私」を取り除き、「私」で勝負できるようになったとき、改めて主観全開モードに移ろうと思います。宅八郎でさえ最初はアニメ番組情報の無署名ライターをやっていたこと、肝に銘じます。

【追記】メールで映画『無能の人』ロケ地について質問された方、いつ掲載できるか分かりませんが、本家の方に必ずアップします。お急ぎでしたら、写真だけでも送ります。

Movies2005

今年度(2005/4/16-2006/3/31)は、「『キル・ザ・クソ映画』で何処まで行けるか。」をテーマに、158本の映画を見てきました。本数はとてもシネフィルに及びませんでしたが、旧作から新作、巨匠から新人監督までと幅広く、映画観を広げてくれたラインナップでした。

スタートは1月18日、韓国ホラーの『箪笥』。50本目は7月14日の『ロード・オブ・ザ・リング』、100本目は10月31日の【菊花の香り】、111本目は11月18日の『八月の狂詩曲』、150本目は3月10日の『NANA』、ラスト・158本目は3月31日の『ヒトラー最期の12日間』でした。

・・・なんだかロクな映画を観ていないような気もしますが、最後の最後で【星野真理を再発見できた】のはよかった。大収穫でしょう。本当によかった。収穫は他にもありますが、思いつくままに以下列挙すると、


黒澤明監督作品を観終えた
大林監督の存在に気付かされた
dfシリーズは意外と手が伸びなかった
山下監督に実は期待していた
山本浩史がほとんどブレイクした
ウォン・カーウォイに躊躇した
やはり裕次郎は格好よかった
『電車男』をいい加減消費しつくした
宮崎あおいと決別できた
長澤まさみは手足が長かった
美波に会えた


うーん。時間の無駄だったのかなあw
そうそう、なんで本数が伸びなかったのか思い出した。
『天花』と『北の国から』のせいだ!


04月/12本
05月/29本
06月/07本
07月/11本
08月/08本
09月/14本 
10月/19本 
11月/14本 
12月/16本
01月/08本
02月/05本
03月/13本


神話解体のための「芸術」

¶ 今話題の夏目房之介について、批判めいた文章を考えていた。が、うまくまとまらず、書き上げられそうもないので没にした。没が続くのもオツだろう。いやはや、まったくオツカレじゃない。

・・・私の夏目批判の核は、その眼、審美眼に対する疑問と(これについては既に書いた)、価値判断を避けようとする彼の「客観性」にあるのだが、どうしても夏目個人というより、現在のマンガ論全体に対する不満になってしまう。去年からマンガ論をドバッと読み返していたが、マンガ論全体を相手取るには、再度精読の必要がある。今ここで急いで書くと、大火傷を負いそうだ。大火傷しようと別にかまわないのだが、どうせ火傷するのなら、有益な火傷をしたい。ネット時代の「責任」とは放談の精神である、なんて偉そうに書いたこともあったけれど、それは全人格をかけての放談でなければならない。ただ、少しだけ書いておきたいこともあるので、書いておこうと思う。繰り返しになるだろうが、固まった持論なんだと思って読んでいただきたい。

¶ つげ義春のキャリアの後半は幸福であったと思うが、つげ義春論の現在は不幸である。この現状認識と、それが現在のマンガ論の方法的限界を示しているという考えに変わりは無い。竹内オサムが「ヘタをすると、かつての白土三平やつげ義春の二の舞となるのがおちだろう」(「いま分析批評の確立を」『ふゅーじょんぷろだくと』1982年3月号)と言うとき、その「かつて」と現在とを比較して、私は首を傾げざるを得ないし、「幼年への回帰と不安にむすびついた自己表現的体質、旅や夢のなかでのもう一人の自分の発見、それが人々の深層をゆすぶっていたのだと思う」と言いながらも、「つげ義春の作品が衝撃的だったのは、やはり六〇年代という時代のなかでのことだった」(『戦後マンガ50年史』)と結論付ける流れを見ると、これが当世代表的な論調であるだけに、異議を唱えたい気持ちが強くなる。

¶ 安保の時代、『ガロ』の時代、漫画家も読者も批評家も、今とはかなり異なる状況にあったことは想像に難くない。しかし、状況反映論はとうに破られたはずのマンガ論において、依然つげ作品を強烈に規定しようとするこういった「時代性」は、呪縛のような反動的「文学」意識と絡み合って、つげ作品にまさに「神話化」のプロセスを辿らせてきたのではないだろうか。さらっと言いのけられた「体質」や「発見」とは何ぞや。そこから作品の本質が始まるのではないのか。文学嫌い、芸術嫌いは個人の選択であるだろう。しかし、それが作品との間に障壁を作るのであれば、当の至上主義と何も違わない。神話解体を謳いながら、今まさに新たな神話が創出される状況。それは、マンガ産業の構造、マンガ論の出版形態、執筆者の興味の対象など、様々な要因に左右されることであろうが、それらを差し引いても否定しがたいほどに顕著である。

¶ 例えば、先日古本屋で手に入れた、吉弘幸介の『マンガの現代史』という本がある。新書だから、概史だから、「つげつげ」言っていられない事情は分かる。しかし、吉弘は、つげの『ねじ式』をめぐって勃発した、天沢退二郎と『漫画主義』同人らによる「マンガ芸術論争」を紹介しながら、その直後に「読者によってさまざまな読み方が可能なマンガ表現の試みが、この作品にはあった」と書くのである。その読みの決着点を何に求めるか、という論争を今まさに紹介しているにもかかわらず、おそらく「文学的」方法でしか決着できないという理由で、価値判断を放棄し、結果としてつげ義春の表現を「神話」へと棚上げしているのである。

¶ ・・・夏目が使う「「内面の必然性」のようなナニ」「何つーか鮮烈な「実存」」(『新版 貧困旅行記』解説)という言葉については看過するとしよう。なんだ、逆説的だけど、「ターム先にありき」の典型じゃあないかと言いたくて仕方ないが、文体も個人の選択だから、揚げ足を取らずに黙っていよう。しかし、それが巧妙な「神話化」への手助けとして働くとき、私は黙っていられないのである。

夏目がつげを取り上げた最も新しい著作(おそらく)に『マンガ学への挑戦』がある。「マンガ家と批評家 すれ違う作家と批評」という一節が設けられ、つげと権藤晋の対談集『つげ義春漫画術』が「マンガ家と批評言語のスレ違い方を見事に示して」いる様を見るのであるが、その直前に次のように書いている。

「つげの衝撃が、マンガ家やマンガ青年への、クリエイターズ・クリエイターとしての直接的な創作上の影響力(略)だけでなく、じつは批評的な言説の過熱に拍車をかけたものでもあったことが見て取れる」。

既にマンガ史においては常識のようになっている記述だが、「直接的な創作上の影響力」を認めながらも、それを覆い隠すかのように「批評的な言説の過熱」をクローズアップし、「けれど、多くの「難解」で一人よがりな批評言語に取り巻かれたために、かえってつげ義春は作品が描けなくなっていったのではないかという憶測も生んだ」と結ぶ巧妙さは、内容以前に問題があるように思う(ちなみに、ここで「憶測」と夏目が書いたのは、つげが評論による過剰な意味付けによって「潰された」という神話が、神話に過ぎなかったことが既に証明されているからである。つげは、後退したという熱気のなかでも、なお「多くの「難解」で一人よがりな批評言語に取り巻かれ」つつ、幾度の中断を経て、80年代半ばまで創作を続けた)。

¶ どこかで文学コンプレックスを認めていた(と思う)夏目は、つげを巡っての「マンガ批評言語草創期の混乱が、のちのちマンガ批評における「文学」、「芸術」拒絶症状をもたらしたともいえる」と、一応反省らしきことを書いてはいるが、ここで、なぜ「マンガ批評言語草創期」が(明確にそうあろうとしなかったにもかかわらず)「文学」「芸術」的であったのかについて自問することなく(マンガをマンガとして語ろうとした、それが可能になった第一世代が『漫画主義』だったと思う)、つげに「本トーク」を持ちかける『漫画主義』同人の態度を批判のニュアンスを交えて紹介する。

そこでは、「権藤は主題としては近いところにいっていながら(略)かんじんのところでスレ違ってしまうのである」と繰り返されながらも、どのように「スレ違っている」のかについての根本的な説明はまったく為されない。『沼』における少女の「エロス的な匂い」を「主題近くにあることは感じられる」としながらも、「感情のやり取りを直接感じないように描かれている」ことから、「主題そのものではないのも分かる」と分析する夏目は、結局「主題そのもの」に迫ることをせず、自らにも宿命的に植えつけられた「スレ違い」を解消しようしないのである。これを方法論的限界といわずして、ナニがナニなのだろうか。

¶ 代表的著作『手塚治虫の冒険』でも夏目は同様の態度をとっている。つげや林静一を「隠喩的画像表現」と名付け、「読み取りかたを方向付けるのではなく、画像の解釈範囲を広げ、いかようにも読めそうなイメージの豊かさに重点をおいた画像化」と片付けて立ち止まらない。夏目は、つげの代表作『ねじ式』を例に挙げ、「そこでは狐のお面は何かを寓意しているわけではなく、ただ土俗的なイメージの怖さや豊かさを示すだけなのだ」という。

私が『手塚治虫の冒険』を読んだのは、マンガ評論に興味を持ったかなり最初の時期であるが、まさに「で?」と思い、欲求不満になったことを覚えている。誤解を恐れずに言うならば、私には、夏目が何も読もうとしていないように映った。いや、繰り返しになるが、これは夏目だけではない、現在の「分析的」マンガ論の大きな流れであるのだろう。重要なのは読者の眼前に実体を持ってある作品、つまり作品の思想そのものと、それをどのように表現しえたかが議論されるべきはずであるのに、パターナイズの段階では鮮やかな手法を見せた評論家たちが、さあこれからというときになって途端に沈黙してしまうことに、私は落胆したのである。

「文学」を拒絶する夏目に「隠喩的」という語を与え、それが何の、どのような「隠喩」なのかを一切語らせず、「土俗的なイメージの怖さや豊かさ」が、どういったもので、それが何故「狐のお面」として描かれるのかという作品後背への想像力を阻むマンガ論には、明らかに問題があるし、仮に、マンガにおいては、思想という「文学」的アプローチを必要とする要素が蓄積されないのだと言うのであれば、私はその時点で躊躇なくマンガを捨てるだろう。そして、「土俗的なイメージの怖さや豊かさ」が、それを生み出す「隠喩」が、「いかようにも読めそうなイメージの豊かさに重点をおいた画像化」が、いったい何のために在って、何の価値を持つのかについて踏み込んでいかなければ、漫画が表現として深化していくことはありえないのではないだろうか。

¶ 最後に、蒸し返したい疑問がひとつだけある。夏目は「思想」に立ち入ることを忌避したために、「マンガは面白い」という前提確認へと進んだのではないだろうか。この一週間、よくよく考えてみたのだが、『赤色エレジー』と『最強伝説黒沢』は私の中でどうしても両立しなかったのである。

下書項3 カーナビ都市伝説

先日、茨城に住む後輩を車で送っていったとき、信号待ちでカーナビを見ながら、突然「そういえばカーナビの都市伝説って聞かないな」と思った。後輩も聞いたことがないという。

「中古車を買ったらさ、カーナビの登録ポイントに前の人のが残っててさ、そこに行ってみると墓地だったとか、どう?」
「え?意味わかんないんすけど」
「だから、ほら、カーナビって行きたい地点を登録して、それを記録しとけんじゃん」
「自分免許持ってないんで」
「じゃあほら、中古でカセット買ったらさ、前の人の入れてた曲が消し忘れで入ってたりすることあんじゃん」
「え、先輩カセット中古で買うんすか?貧乏ですねえ」
「そういう時代があったんだよ。まあじゃああれだ、ゲーム。ロープレでいいよ、ドラクエ。ドラクエ中古で買ったら、前の人のデータが残ってたりすることあんじゃん」
「ありますかね?」
「うるせえよ!あんだよ!それで、・・・カーナビにも中古だとそういうデータが残ってたりしたりとかすんのかもしれねえじゃん、わかんねえけど」
「堀江メールか!」
「うるせえよ!つまんねえ時事ネタほど癪に障るもんはねえんだよ!」
「でも、そんなこと実際にあるんですかね」
「俺がベトナム人から中古でパソコン買ったときもしっかり履歴に歴代ガンダムシリーズが刻まれてたよ。なんだよアークエンジェルって!別に残ってなくてもいいよ、自分が登録した覚えのない地点があって、それが幽霊の仕業なんだよ」
「あー」
「で、その登録地点には旗とかクリップとかそういうもんが目印に立っていて、ナビの画面にな。その付近に近づくと、『目的地周辺です』って云うんだよ。でもな、そう言った後も案内が続いてさ、ハッとしてブレーキ踏んだら、崖から落ちる所だったの。事故でガードレールが外れたままになっていたんだよ」
「うんうん」
「『うんうん』ってため口じゃねえか。タテ社会なめんな!オマエどこ中だよ!?学歴を・・・」
「でましたね、先輩の持ちネタ『日本で一番学歴主義なのはヤンキー』。こないだの合コンで使ったんですけどダダ滑りでしたよ、説明長いし」
「ふーんそういうこと言っちゃうんだ」
「えへへ」
「お前死ねや。ホント死ねや」
「今僕が死んじゃったら都市伝説になっちゃうじゃないですか」
「なんでだよ」
「だって今僕んちに向かってるんでしょ、はっはー」
「・・・」
「オマエ今日帰ったら『ヤング島耕作』読み直せ。勉強しろ礼儀を。あれは若い人に人気らしいから」
「あんなもん読んでる人いないっすよ」
「うるせーよ、最高裁がそう言ってんだよ。あんな世の中後追いマンガがマンガ帝国日本で読み継がれるわけねえだろ!読者のほとんどが水島慎二『ドカベン』ファンだよ!」
「『ドカベン』は『野球狂』とコラボしたり、新球団作ったり色々やってますよ。先輩最近読んでないでしょ」
「『あぶさん』見てたらだいたいわかんだよ!じゃあ中根千枝でも読んどけ!ボケ!」
「えへへ」
「で、気付いたらナビの声がその事故で亡くなった人に変わってるんだよ!・・・・どう?」
「いいんじゃないすか」
「なんだよ反応薄いな」
「それから?」
「それから・・・うーん、なんだよ人にばっか喋らせねえで、オマエもなんかねえのかよ、膨らませるネタ」
「そうだなあ。青山墓地には『その他の注意』のビックリマーク標識があるらしいんですけど、一説によると『幽霊注意』って意味らしいですよ」
「アホかオマエ。そんなもんいまどきの小学生だって知ってるわ。てか15年前の小学生だって、50年前の小学生だって知ってるわ。しかも標識が立ってても駄目なんだよ、その先!その先が重要なの!」
「きしくも墓地だったり、事故現場だったりするわけですよねえ」
「『くしくも』な。そうそう、でも合戦は駄目ね。俺『戦場だった』系で怖かったこと一度もないから」
「実はキトラ古墳だったんですよ」
「なんでだよ!」
「恐怖!徐々に消えていく壁画!」
「うるさいよ!」
「どこらへんなんすか?」
「何が」
「その目的地。場所によって話変わってきますよ。それが六本木ヒルズだったらかなりセレブですよ」
「で、出てくんのがホリエモンなんだろ?」
「いや、」
「ああー!いいいいもういい!なんか今やばいこと言おうとしてたからもういいわ。」


ここで文章は途切れている。恐怖だ。

怒るひとを傍らから見るひと

隣席の、五十代後半だろうか、サラリーマンらしき男性が激怒した。風貌は穏やかそのものだったので(事実、今の今まで静かにコーヒーを飲んでいたのだ)、突然大声を張り上げたときは驚いた。

赤ん坊は、この世に生れ落ちた人間の、すべての悲しみを代弁して力の限り泣くのだと、何処かの詩人だかが書いていた。彼はこの世のすべての怒りを代弁するように、と言うと大袈裟だが、この狭い喫茶店に収まりきらない怒りを見事に爆発させていた。顔を真っ赤にして、机をダン、と叩くと、対面に座るオバさんに罵声を浴びせた。

店内には私のほかに3、4組の客しかいなかったが、みなギョッとして男性の方を見た。烈火の如くとはまさにこのことなんだろうなァ、オバさんは今にも泣き出しそうな顔をしている。野次馬心で聞き耳を立てると、どうやらオバさんの何気ない一言が男性を激情させたようだ。

「『わからないことがわかってよかった』とは何だ!『わからないことがわかってよかった』とは何だ!こんな屈辱は初めてだ!」

『わからないことがわかってよかった』とは、青春映画や小説でよく大団円に掲げられるものであるけれど、なるほど、現実世界はそのように美しく終われないもののようだ。ちゃんちゃん、である。

タイトル画像変えました2

2005年7月31日のエントリー】に続いて。

6.ゴーギャンは何処
babamalogo06.jpg

7.雪深く民家
babamalogo08.jpg

8.喜左衛門井戸
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9.捨身飼虎図
babamalogo07.jpg

10.ぼくの青空
babamalogo10.jpg

下書項2 ゲーム!ゲーム!ゲーム!

突然、ゲームで一発当てられるような気がした。

DS】でカーリングゲーム出るよね。
出たら当たるよね。

ds.jpg

上の画面はワッカの部分を、下の画面はそこにいくまでの過程。ペンみたいなので(持ってない)石の前をこすって方向を決めるの。5人同時プレイ可能(うち2人はこする)。

carling02.jpg
もちろん視点を変えることもできる
carling01.jpg

カーリングって大人気らしいから売れそうだ。

ds2.jpg
※画像ははめ込み式です


この文章と画像はトリノ冬季オリンピックのときに作りました。
いったい何やってたんだ、俺は。

2006年3月15日

今日は、私にとって、馬場つげ研にとって、一生涯忘れられない日になりました。

つげ巡礼

今年二回目の「茨城巡礼」に行ってきました。いやあ、えがったえがった。詳細はそのうち本家で報告させていただきます。

「通りすがり」ってお前だろ?

いや違いますよ何言ってんですか。
僕が煽るわけないじゃないですかw

夏目房之介批判1

夏目は小泉首相が主導したイラク侵略戦争加担についてどのような態度をとるのか、という設問から出発したい。

敢えてこういう設問設定をしたところに、権藤氏の計算が見えますね。かくもあからさまな形で書かれたら、夏目氏はいつもの状況反映論批判に持ち込めない。

まあ、私は貸本マンガ、ほとんど読んだことない人間ですから、しかも「対社会的に閉じている偏屈な若気の至り的芸術至上主義者」(昨日飲み会で某氏に言われた)ですから、こんなところで発言するのもおこがましいのですが、コメント欄のすがやみつる氏の発言にズッコケました。以下、だいぶズレますが私見。

権藤氏は、つげ氏の時代マンガにニヒリズムが持ち込まれたことが、さも、意味のあったことかのように書いていますが、その前もその後も貸本劇画には顕著だった「映画や小説の流行を採り入れただけ」という安易な作り方を踏襲しただけではなかったのでしょうか。

何を・・・・?
何を言っているんだ?

「映画や小説の流行を採り入れただけ」の作品と、つげ初期作品のニヒリズムに質的な違いがない、そう思っているのか?

「たしかに、勧善懲悪のストーリー構成から少しも逸脱はしていない。だれもが思いつくストーリーという指摘もできよう。しかし、センスのいいユーモアは、だれもが考えつくものではない。さらに注目していいのは、ユーモアのセンスがきわめて庶民的な感性から出発しているという点である。」(49p)

つげのニヒリズムは、「踏襲」した結果「持ち込まれたもの」ではなく、つげ自身が戦後を生き抜いた結果、拭い去りたくとも拭えない生活者の思想なのであって、もっと言えば、いや、極論すれば、「映画や小説の流行」だとか1958年だとか、そんなことはどうでもよくて、「映画や小説の流行を採り入れただけ」では生み出しえない真実味のあるニヒリズムが結果としてそこにある、ということだけが重要なのである(矛盾するようだけれど、貸本が全体としては粗悪なものばかりにもかかわらず、こうして振り返るべき現在的価値を持つとしたら、生活者の思想と地続きであったからでしょう)。

もう少し日活アクション映画を見たり、大藪春彦作品を読んだりしていたら、貸本劇画の分析も、もう少し深まったのではないかと思います。

もう少しマンガを批判的に見たり、価値判断を前面に押し出していたら、マンガの読みも、もう少し深まったのではないかと思います。以上、「対社会的に閉じている偏屈な若気の至り的芸術至上主義者」でした←根に持ってる

「外部リンク」とインターネット

当会の大人気・超人気・空前の人気爆発企画つげ義春を旅マップする】には、会員による巡礼記のほかに、ネット上の関連ページを紹介する「外部リンク」なるものがある。

人には得て不得手があるというか、情報を一元化したいというか、会員だけではすべてを回りきれるわけがないというか、まあそんな様々な事情があって設置した「外部リンク」だが、こちらの思惑を超えて、嬉しい誤算があった。リンク先のサイト管理人の方が、意外と好意的に受け止めてくれているのである(たぶん)。

今回、新たに「富浦」の外部リンクとして、「庶民の快食を追求」するフリーライター・遠藤哲夫さんの文章を加えた。一応、事前にメールを送っておいたのだが、リンクを拒否されても「ハイパーリンクは?」という持論を振りかざす気満々だったため(笑)、文面は随分「一方的な」ものであった。

母体に設置されたアクセスカウンターをスルーしてしまうためか、直接リンク、通称“直リン”を嫌がるサイト管理人は意外と多い。それがいかに時代錯誤な態度であるかについては多言を要しないだろうが、しかし、氏は、自身のブログ【ザ大衆食つまみぐい】で逆に当会を紹介してくださった。ありがたい。実にありがたい。

しかも、新たに情報が加えられた【ああ福住福住福住】は、専門分野とつげ情報がミックスされて、これ以上にない形の「外部リンク」になっている(ちなみに、現在は対応項目がないため、「全国旅マップ」にはリンクを張っていない。【東京】都心部に遺跡が密集しているため、地図に表記できないのである)。こうした波状効果は、私にとって嬉しいことであるのはもちろんとして、つげファンにとって大変有益なことであると思う。

ネットには、まだろくにつげ情報がない。「大ヒットした」はずの「浅野忠信」の映画『ねじ式』のロケ地さえ、満足に揃っていないのが現状だ。「そんなもん必要ないからだろ」と言われるかもしれない。しかし、だからこそネットに載っていておかしくないのである。ネットにこそ載っていなければならないのである。

先日、文筆家の某氏にメールして、「絵画では、画家に関する論文のデータベースがありますよね、あれはどこから出てくるんですか?雑誌という雑誌を虱潰すんですか?」と聞いてみた。回答はこうである、「美術には学芸員がいるからね。彼らの仕事なんだ」

ネットにはネットならではのネット学芸員が必要だ。しかも、この場合、彼ら/彼女らは、熱烈なつげファンでなければならない。自衛隊に入ろう。

なぜかmazcocoに載せられないので

小学5年生の俺が来ましたよ。オレンジレンジについて

昨日のオレンジレンジで騙された人中2です

ま ん が を め ぐ る 問 題

“押尾語録”98%否定&押尾語録436連発!!


魅惑のフォント

以前、つげ義春直筆フォントを作りたいと書いたことがありました。金ゐ特有の妄言だと思われたかもしれませんが、結構真剣、本気と書いてマジだったのです。

私自身欲しかったというのもありますし、『初茸狩り』の時計に数字がすべて描かれていたのを見つけて、「これは実現可能性が高いぞな、もし」と思ってしまったのですね。平仮名・漢字については、手書き原稿がいくつか発表されているのみで、フォントを作るにはかなり不足していることが分かっていましたが、丁度よく【インタビュー原稿がオークションに出て】、いよいよ作り始めようかというところまできました。

ところが!

競り落とせなかったのですねえ。当然ながら競り落とせなかった(結果を見越して競りに参加もしませんでした)。入手していればフォントの五割は占めていただろう原稿を掻っ攫われ、この状態で作ってしまうと相当完成度の低いものになってしまう、そう思って泣く泣く断念したわけです。まあ、もともとバイマニアーズ・フォーマニアーズな企画だったため、モチベーションも異常には高くなかったんですけどね。

しかし!

異常にモチベーションが高まるようなフォントを見つけてしまったのです。もちろんずっと前からその存在を知っていたのですが、今回、【馬場つげ研でフリーペーパーを作ろう】ということになって、俄然「あのフォントを使いたい!」と盛り上がってきたのです。表紙の文字をすべて埋め尽くしたい。

もうお気付きでしょう。そのフォントとは、『夜行』のロゴでお馴染み【山田勇男】のデザインフォントです。おそらく【『天井桟敷』のロゴ】も同じフォントだと思うんですが、カッコいいですよねえ。

yagyoulogo.jpg

上が本物。下は私が作ってみた山田風『週末から』ロゴ。ちょっと変

ストーカー色の強いつげフォントに対し――つげ義春は文字のための文字をほとんど発表していないからだ・・・つげさんのレタリング写真があれば・・・!一枚だけあるんだが――、そもそもデザイン性に重きを置かれた文字なので、実用性がある。しかも、汎用性と言うんでしょうか、特殊な形状は山田勇男を知らない人も惹きつけるにちがいない。

というわけで、現在山田フォント収集中です。

お持ちの方、ぜひスキャンして送ってください。

【参考リンク:山田勇男フォント
【参考リンク:オリジナルフォントの作り方

くるり 『家出娘』

何が何でも出ていこう 君は家出娘

荒れたくちびる隠して 君は家出娘

秘密の道草 雨宿り 冷たい肌のアノラック

着たままで頬染めた 君は染めた


夢じゃないか 手をつまんでみる

三秒間だけの旅も

終わりそうな曇天模様の下で

背筋 伸ばしていこうよ



映画『リアリズムの宿』の主題歌にして、未だ未収録の音源。大好きで弾き語りしたいんだども、コード、分からないんですねえ・・・(恥)。うーむ。ルート音を残したいんだが・・・

間違い探し粗探し真実探しぼく案山子、あるいはエンドリケリエンドリケリが最高にナウい件について

mago.jpg

なぜだああああ

なぜ「女王の教室」で朗読しているのが手塚治虫の『ぼくはマンガ家』なんだあああああああ

いわゆるマリオ、あるいは逃避行について

aaaagah.jpg

「週末から9」掲載!

こちら】。ご意見・ご感想、どしどしお待ちしております?

PS.40000ヒット、ありがとうございました

藤子不二雄Aとつげ義春

熱狂的藤子ファン『藤子不二雄ファンはここにいる』のエントリーより。【藤子不二雄Aと三回飲んだ】というのも凄いが、興味深い記述が。

つげ義春に関して、「トキワ荘の赤塚を訪ねてきたり、新漫画党のイベントに参加したこともあるが、ぼくは実際に話をしたことがない。でも、『李さん一家』や『ねじ式』や紀行文などは読んでいて、自分が描くものと傾向は異なるが、よい作品だと評価している。とくに『李さん一家』のラストシーンは印象的だった」

読んでるんだなあ、やっぱり。

【参考リンク:目白のつげ義春

グランド・フィナーレ

本シリーズ「『我輩葬送曲』セレクション」は、ブログ『我輩葬送曲』2005年分を私金ゐが著者ユゴーとともに加筆・修正・再構成したものです。【昨年末】、ユゴーが新たに【我輩交響曲】を開設し、「今月からそろそろ本腰を入れて更新し始める」ということなので、セレクションは今回で目出度く終了となります。

しかし、『葬送曲』でユゴーが書き溜めた文章は途方もない量があり(ユゴーは「俺は量ではバルザックに負けてないよ」と豪語していました、この人間喜劇めが)、選別したとはいえ、とても一回でその全てを紹介できるはずがありません。しかも、ユゴーは再掲にあたって毎回ほぼ書き直すかのように大幅な加筆をしていますので(ユゴー曰く「俺は手直しの程度では鈴木翁二に負けてないよ」このなんとなくポストさんめが)、この調子では世紀をまたいでしまいます。

よって、断腸の思いで、ここにダイジェスト版を掲載します。『我輩葬送曲』セレクション・ダイジェスト。



北野、昔のクリスマスは楽しかったよね

職業欄は文化人、モリタツヨイショ!

『ペンギンの憂鬱』は結局タイトル

村上龍は「中途半端」じゃない

中上健次は犬

『楡家の人びと』について三島由紀夫は「この小説の出現によって、日本文学は真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正統性を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる」と書いているが、まったくそのとおりだと思う

『東京タワー』について福田和也は「ナンシー関なき後最強のコラムニスト、文章家と目されている筆者が打ち立てた金字塔。読みやすく、溢れるユーモアを提供しながら、人間性のもっとも深い淵をのぞかせ、五感を震わせながら本質に直面させる。現在の日本文化の、もっとも高い達成というべきです」と書いているが、まったくちがうと思う

猿にはなりたくない?

そ、壮大だ

たくさん遊んで、留年がかかってすこーし泣いて

金ゐが『リバーズ・エッジ』のキーワードを「平坦」「戦場」「僕らが生き延びること」の3つにわけて説明していた、天才的だ

夜に それとも昼に またうすらあかりに?

友人が松本大洋『ピンポン』が「20世紀マンガの最大の駄作」だと言っていたと書いたが、あれ持論

デュラスが不在

素敵なピアスをPARCOで見つけたよジュエリー




特別企画「ユゴー、ブログを振り返る」最終回
20代は生きているだけでいいんだ

――というわけで今回でセレクションは終了となりますが
カトゥーン

――『我輩葬送曲』は2004年12月7日にスタートし、それから2005年9月まで、一年弱の間熱心に更新されました。いま、活動全体を振り返ってどうですか
カトゥーン

――「我輩の葬送曲。物悲しいメロディー。」というサブタイトルはどうやって決定したんですか?
カトゥーン

――どうかされましたか?
いや面白いかなと思って

――「我輩の葬送曲。物悲しいメロディー。」というサブタイトルはどうやって決定したんですか?
カトゥーン

――面白くはないですよ。
いや面白いかなと思って。

下書項1 路面チックな私信

先にも書いたとおり、このブログは今月中で終わりになるので、在庫整理というか、一掃セールというか、下書きとかもバンバン出しちゃいます。はいはい文句言わないの。もう擦り切れちゃいました。ギャグ漫画家が壊れるってこういうことなのかと、100分の1でも体験できただけよかった。脱ブログ、脱更新病。太字部分が出せなかった若しくは書きかけの文章。


18になったらさあ、絶対一緒に海行くからね!

金ゐです。

18になったから海に行ってきます。

ドス黒い



こええー。これかなり怖いですよ。「ドス黒い」の後に、私は何を続けるつもりだったのか・・・

二大情報!?

夢幻堂メルマガ第二回につげ忠男幻の作品「自殺しに来た男」が掲載されるらしい。

『貸本マンガRETURNS』が既に発売中らしい。

どら、買いに行きますかね。

たれパンダ アクティヴ派

NintendoDSで通院系RPGが出るらしいよ。その名も「くすり漬け」。

uhehehe.jpg

頼まれてた高橋マリ子動画】よ

右下に占いを設置。

同級生、あるいは交わらなかった人たちへ

dk2.jpg


欠陥ZAKKI

適度に忙しいと自分のようなものでも社会に適応できているようでうれしいなあ。「そんなんでテンテコ舞じゃ」って友達にも言われたのだけどね。で、空き時間に図書館に行ったでごわす。3時間、雑誌をひたすらコピーする。何のために?資料のために。

本日は「まつり」全号をざっと調べ、コピーの嵐。うーん。いいですねー、手垢のついてない本ってのは。気持ちよくなる。使えるんだか使えないんだか定かではない、しかし興味深いタイトルが踊る。すげえな祭りファン。
つげ関連では、「鳥追い」について調べようと思って、「日本民俗学」のバックナンバーにあたる。こちらは【総目次があった】ので、調べるのが楽。69号に「鳥追い歌の変遷」というビンゴな論文が収録されていた!が、なぜか69号が見当たらない。やる気なさそうな、だるそうな司書に聞くと、「貸し出し中です」なんだと!「嘘だよ!絶対欠号だろ!調べてみろや!いったいどんな人間がこんなもん借りるんだよばか!」そのときの司書の嫌な笑みったら。

現代の眼】を数冊、「現代のエスプリ」からは「鈴木牧之の『遺書』ノート」、あと「ユリイカ」。

帰り際、地元の古本屋に寄る。中野重治、井伏鱒二、ロブグリエを講談社文芸文庫で買って1500円。高ッ。『文藝』の【】特集号、『國文学』の「映像の世界」特集号、つげ忠男・片山健のイラストが載っている『終末から』、『早稲田文学』特集111年の評論を210円で。

早稲田文学】のフリーペーパー「WB」を貰って帰る。・・・・と、いま『耳をすませば』を見ていたら、主人公の雫が、空想の中で吐かれるべき台詞「ちがう、おまえなんかじゃない!」を図書館で絶叫していた。周りで本を読んでいた人たちが驚いて顔を上げ、雫は赤面していた。

で、デジャヴュだ。おれ、このシーン見たことあるよ。ただ、男だったな。年ももっと上か。あ、周りの人たちは顔を上げなかったし、本人は赤面してなかったな。強烈な匂いがして、その後追い出されてたなあ・・・

雑感・マンガは面白かったのか?(その1)

高田馬場つげ義春研究会Web会誌『週末から』の、おそらく第一期終刊号となる第9号が、いよいよ3月15日に掲載される予定です。「最後」とかけてみました。本当は「ついには最後」とかけてみたかったんですが、生きてるか分からんdeath死ね。諦めました。

現在、ネットでは【たけくまメモ】を中心に「萌え」論が盛り上がっておりますが、残念ながら、今回の『週末から』に「萌え」論的要素は一切ありません。というか、論的要素すらあるんだかないんだよ。つい先日「いい加減『つげ義春以後論』を書け」というありえないありがたいメールを頂いたばかりなんですけど、その人の期待には応えられそうもないので、先に謝っておきましょう。ごめんなさい。いつもどおり、旅行記が中心の温い感じになると思います。昨今のマンガ論ブームと遠く隔たったところで閉鎖的に楽しんでいる馬場つげ研の、それでも今後の発展の礎となるべく、ほとんど一人でぐだぐだ書いています。


さて、【夏目房之介のブログ】のブログを読んでいたら、次のような記述がありました。

やっぱりマンガ面白いっす。率直にそう思うですよ。だって、少し前からだと『BJによろしく』『ハガレン』『DEATH NOTE』『のらみみ』『シグルイ』『もやしもん』・・・浦沢直樹にかわぐちかいじ、よしながふみに三宅乱丈、そいで『黒沢』『バガボンド』でしょ。例が青年マンガに偏ってんのは、世代的に勘弁してもらうとして、マンガ、全然つまんなくないじゃん。何で「つまんない、つまんない」ってみんないってんだろう。若い読者は別にそんなふうに思ってないんじゃないのかな。だとしたら「つまんない」って、もし批評家の言葉だったら彼らに失礼だと、僕なんか思うんだよねー。

こういう書き方をされると、オヤオヤこの人は何を考えているのかな・・・・と思うわけで、正直、「正気かよ」と疑ってしまいました。さらにコメント欄では、私が辛うじて共感できた昨今のマンガ研究者・竹内オサムを『テヅカ・イズ・デッド』の伊藤剛が批判しているわけです。

伊藤氏が「とりあえず叩きつけただけの」「論旨ぐちゃぐちゃ」だと言う竹内オサムの文章は短く、まあ議論に向かっていない部分があったので、私も満足できませんでしたが、「マンガは、かつてなく豊かである」と述べる若手研究者・宮本大人に対して「ぼくなどは本気なのかと疑ってしまう」と率直に見解を述べるスタンスは(論理的かは置くとして)常識的であるように思いました。

そう言い切る理由が私と竹内氏とで異なるだろうから(私は宮本論文に「「かつてなく豊か」でこの程度の対社会影響力、対人間影響力しかもたねえのか?それならなんでアンタわざわざ研究してんだ?」などと突っ込んだりしてました)、満足できないのですが、萌え系であったり、ある意味「マンガをめぐる言説が追いつけなくなった」とされる作品群に、どうしても賞賛の言葉を与えることができずにいる私には、「依然面白い」派言説より、よっぽど共感できたのです。

そりゃそうだ、「面白くない」と思ってんだから「面白い」派より「つまらない」派の方がしっくりくるだろう、そういう真っ当な反論も予想されますけど、やっぱり、「つげ義春以後」ってものを期待する人間としては、ここらで言っておきたいのです。


「マンガは面白かったのか?」
(このように無責任に簡略化すると論争の火種をばら蒔くもしくはスルーされることになりますから皆さんは注意してくださいネ)

あるいは、極一部の例外が面白かっただけではないのか?
今まさにマンガは面白くなっていこうとしているのか?


本当にこの手の見解に対する反論マニュアルが用意されてそうなぐらいステレオタイプなことを言いましたが、私はわりと暴論を恐れないタイプの素人ですからね、言っちゃいますと、たとえば『黒沢』が「面白い」っていうときの「面白い」ってのは、本当に「面白い」んでしょうか。私の基準からすると「面白くない」んですよ。「すげー面白い」って言いながら単行本を何冊か買って、すぐブックオフだとか、ブックオフに行くのも面倒だから廃棄されたりしちゃう「面白さ」なんだと思う。

そうじゃないって人もいっぱいいるでしょうから、どうにも弱いんですが、ただ自信を持って言えるのは、『黒沢』には、それに代わる選択肢がいくらでもあるということ、(瑣末な部分はともかく)マンガ表現のパラダイム変換を促す下地作りに何の影響も与えないということです。

おそらく読んだ人間にまったく影響を与えないということはないでしょう、もしかしたら人生を変えられちゃう人もいるかもしれません。しかし、その影響は他の作品からも受けることのできるものなのです。そして「なぜマンガなのか」という根本的な問いへの視座は用意されていませんから、表現の深化とは無縁だと思うのです。

そういう作品、そういう表現が「娯楽」の最良のあり方だと思うのならば、もう仕方がない。ザッツ・オールです。「ひとつになれないからキスをするんだよ」と326も言ってましたよ。

現実世界では、そういう人ともそういうスタンスを理解した上で付き合っていかなければどうしようもないわけですが、でも、私は「マンガ好き」を自称する人がこういうスタンスを貫くことに抵抗を感じます。だって、マンガが本当に好きならば、マンガという表現形態そのものの可能性に期待を抱くと思うのですよ。

『BJによろしく』、面白いですね。実に面白い。私も単行本買ってます。しかし、これってマンガじゃなくていい最たる例です。『ハガレン』、笑えるし、泣けるし。読ませますよね。単行本全部持ってます。しかし、これってアニメでいいですよね。

テーマ至上主義だって誤解を避けるためにこういう書き方をしましたが、内容に限って言えば、どちらも「取るに足らない」と一刀両断できる作品だと思いますよ。もちろん『黒沢』もそうですが、もっと考え抜かれた作品、きちんと機微が描かれた作品、登場人物が魅力的な作品、マンガに限定しなければいくらでもあります。そして、それらが他メディアに移植可能な作風を現実に採っている以上、マンガに限定される必要は全くない。

真の意味でマンガという表現形態の可能性を追求せず、内容も他ジャンルに劣るようなものを、あろうことか「マンガ好き」が褒めるのは、やっぱりおかしいですよ。

思うに、マンガってやっぱり舐められてますよ。比較的新興の文化だから甘やかされているんでしょうかね。だって『NANA』ですよ?本気で『NANA』が「傑作」だとか「名作」だとか思ってる人はおらんでしょう。恐れずに「陳腐だ」と言いましょうよ。作品解釈はつまるところ、作品価値ですよ。まあ、「傑作」だと言っている人もいないかもしれない、なにせマンガの評価は「すごい!」ですからね(皮肉)

論のためのマンガではない、マンガのための論なのだ。マンガのための表現ではない、表現のためのマンガなのだ。そう思う。まとまらないので続きはまたどこかで。

実写版ちびまる子ちゃん

や、やべえ。【クオリティタカス

罵声人語さわやか’06 春

¶ 三宅島に天皇皇后両陛下訪問のニュース。アナウンサー氏曰く「三宅にしか住めないと、老人たちの多くが帰島」。「宮家にしか・・・ぐはッ」

¶ 引き続きテレビを見ていたら、伊右衛門茶のCMが。悪い予感。「映画化するんじゃなかろうな」

¶ 「本棚拝見」というのはもう云十年、云百年?の歴史を持つ雑誌の特集記事。ふと思う、そろそろ「お気に入り(ブックマーク)拝見」に取って代わられるのでは。

¶ 昨日、馬場つげ研の会員が一年ぶりに勢ぞろい。日暮里で飲む。最近沈滞気味のサイト、いよいよ終わりに向かって走り出すか?と思いきや、なぜか四コマ漫画をやろう、ということになった。各ブログも、名前と場所を変えて続行が決定。再び活気が戻ってきた!と思いきや。

¶ 会員から桜玉吉を借りて読む。何かとつげ義春と関連付けて語られることの多い玉吉作品。以前「防衛」を読んだことがあったが、そのときは「どこがつげ義春だ!」と憤慨して途中で投げ出してしまったので、今回はじっくりと。しかし、計8冊を読み終えた今も、どこがつげ義春なのか見当もつかない。桜玉吉がダウナー系であろうとも、私個人の日常を作品にしようとも、ギャグ漫画だからその分を差し引いたとしても、さらにはつげ義春が巻末四コマに登場しようとも、まったくの別物としか言いようがない。つげの「大袈裟な苦悩」が戯画化(おっとマズイか?この書き方)されているところがまた妙味を添えていると思うらしいが、それ自体、開き直りでしかない。桜玉吉が作品において私小説のスタイルをとったところで、それを相対化ととるのでは、表現のそもそもの意味をはきちがえている。

¶ ・・・と、ここまで書いて、やはりこの手の作品が一番語るのに困る。私にはつくづく「苦手」なのだと思う。何かしら防衛本能が働いている。しかし、この防衛本能は何に対しての防衛なのかというと、世間体であったり、それに類似したものでしかない。ネットにおいて責任とは何か。それは放談である。と思いきや。と思いきや。と思いきや。

¶ こんどうあきの「はこにわ虫」を購入。・・・・あれ?

¶ 『週末から9』、3月15日。

Web四コマ

「ヤフーのパクリ」と散々の評価だったポータルサイト【ライブドア】が唯一オリジナリティを見せたWeb四コマで、【センネン画報】の今日マチ子が【ラブ★トレイン】を連載しているではないか!おお!

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私のブログを盗み見て言葉を覚え、話しかける(クリックする)と返事をするらしい。あまつさえ勝手にエントリーにレスをつけてくるという。名前の由来説明は不要だと思うが、詳細なプロフィールが知りたい方&「なんのこっちゃ」と思った人は上の「ねずみ」という文字をレッツ・クリック。

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  • ザオリクだけは真剣だ。(2005/3/20)
  • SOLEIL―仏語で太陽 あるいはひまわりの意。(2005/3/12)
  • 馬場つげ研は閉鎖的で、排他的で、つねに無責任だ。あえて!解脱パロディ宣言。(2005/3/1)
  • さよならだけがグッバイだ。(2005/2/16)
  • 心の中は雪でいっぱい。(2005/2/13)
  • 饒舌なマイノリティでも、寡黙なマジョリティでもなく、理知的な個人に(2005/12/22)
  • つげといた未来のために(2005/12/2)
  • 一緒に生きていくつげ。(2005/11/11)
  • キル・ザ・クソ映画(2005/10/31)
  • Start With BBTK.(2005/8/25)
  • サンプル・イズ・バスト!(2005/6/11)
  • エコよりエゴ(2005/6/2)
  • 質より良(2005/5/7)
  • エブリデイ・ワクワク!(2005/4/16)

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    金ゐ國許 金ゐ國許
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    口癖:「恋しくて」
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    東京は下町・谷中に生まれ、幼少の頃からヒップホップと雅楽漬けの毎日を送る。8歳のと

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