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視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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ホラーだけ2

ジャパニーズホラー、ハリウッドリメイクの先駆け『THE RING』の場合、監督が『ザ・メキシカン』だったせいか(ホラーだけ2)、とても酷いものになってしまいました。完全に改悪。

「父ちゃん、台無しってどんな台?」
「ハハハ台無しというのはね つまり二つの説があって、『台』は仏像の『台座』のことをさし、どんなに素晴らしい仏像も台が無かったら威厳が無くなるという意味だという説と、『台』は『題』であり、江戸時代に流行した頓知即興において、駄目なお題は盛り上がりに欠けて全然駄目だという意味だよ うん?何の話だ?」

そんな感じでした。

ちょっと見ただけでわかるように、『リング』シリーズの核である「呪いのビデオ」が恐ろしいCGの化物(ホラーだけ2)にすりかえられていて、カウントダウン映画の最重要要素であるはずの「謎解き」がごっそりと抜け落ちていました。緊迫感はゼロ。「ビデオ逆流紀行」という面白企画を捨ててまで超大国アメリカ及びハリウッドが目指したものは何だったのでしょうか。

もちろん技術的に日本版を遥かに超えていたのは間違いないし、CMあがりらしい映像感覚は確かにあった(かもしれない)のですが、そのことで日本版『リング』の持ち味である「ちゃちさ」が失われてしまったのは真に残念でした。そして、大変遺憾であります。

基本的には福田和也が頭を抱えてしまうような与太話にすぎない『リング』が、

(『作家の値打ち』によると、鈴木光司の原作は35点。「紋切り型に満ちたレトリック。目新しくはあるのだろうが、それがどうしたと突っ込みたくなるような種明かし。」「新奇であるにしても、それが何ほどかの感興を呼ぶのだろうか。教えてもらいたいほどだ。」「彼の人気こそが「ミステリー」であり、「ホラー」でもあると云うべきか」・・・・ってそれ本稿の落ちですよ!新奇な落とし方を教えてもらいたいほどだ)

それでもリアリティを持ちえたのは、「呪いのビデオ」をはじめとする作品内の要素が見事に「ちゃちさ」を備えていたからであって、その「ちゃちさ」が親近感を生み、「あ・りィ・う・るゥ!」という幻想を観客に抱かせたのです。

ホラー映画の怖さが制作費に反比例するのはもはや常識ですが、観客がむしろチープな作りにこそ興奮するのは、その「ちゃちさ」に感情移入できるからなんですね。隙間から誰かが覗いている恐怖。「あれ?主人公の性格、いつのまにか変わってない?こんなにアグレッシブだったっけ」
・・・・論理の隙間から覗かれる恐怖!

「制作費に反比例」と言いましたが、もちろん「かっちり」した印象を与えるぐらいにはお金をかけなければいけないわけで、素人ビデオの方が怖いというわけではありません(ホームビデオのその後を想像する恐怖はありますが)。しかも、必ずしも金のかかり具合と「ちゃちさ」加減がきれいに整合するとは限りません。ホーンテッドマンションよりも普通の集団住宅の方が、『スタブ3』の撮影所よりも「にっかつ撮影所」が怖いのは、現実にどちらが金のかかった建築物かというよりも、どちらがよりチープなイメージを醸し出しているかという点から見て納得すべきなのです。

つまり、「ちゃちさ」が生む「ホラー土俗」こそが恐怖の根源なのであります。「ちゃちさ」と「土俗性」の融合による「ホラー土俗」は、人生のやるせなさや、心地よい退廃のかほりとともに、追憶さえ恐怖の対象にしてしまうのです。これが失われたら、もしくはこうした深読みや言葉遊びが許されなくなったら、ホラー映画の魅力は半減どころかゼロになってしまう。

補足しておきますと、私はホラー映画における「土俗性」というものを、意図的にかなり狭く設定しており、概ね好意的に解釈します。例えばあの『狗神』ですら、「ど・ぞ・く!ど・ぞ・く!」と楽しめてしまいます。他ジャンルの作品で土俗性を問題にするときは、「なんて野暮な土俗性アピールだ!甘ったるいオリエンタリズムだ!赤茶色の暴力だ!」と手厳しく糾弾するのですが、ホラー映画は別。稲川淳二?あれはまぎれもなく土俗そのものですよ(ヒゲが)。

これは私が「知的に未熟」(by呉智英)だから、というのもあるんですが、むしろこんな私に「差別」を強いることこそが、ホラー映画というジャンルの特殊性を示しているのではないでしょうか。そういうことにしときましょうよ。ミニ情報あげるから。【「オーメン」リメイク、06年6月6日公開!】・・・地球には時差があるって言うのに。どうせなら6666年6月6日6時66分にやればいいのに(ぉ

さて、そろそろ『THE RING』の話に戻りますが、この米国版は導入部を見ただけで「ナシだな」と確信できるぐらい、日本版の良さを支えていたベクトルがなくなっていました。

物語は、主人公の姪が突然死するところから始まります。その後、彼女がちょうど一週間前に山小屋で呪いのビデオを見ていたことが判明し、話が進んでいくんですが、この突然死のシーン(冒頭も冒頭ですよ)。ここがもう全然日本版と違う。見た人はわかると思うんですが、確かにカメラアングルから何から日本版とほぼ同一なんですが、これが「土俗性」という観点から見ると、全くの別物なんです。

消したはずのテレビがつくシーン。怖いですね。どこから何が飛んでくるか分からない不安。もしかしたらもう怪物が登場するかもしれない!生物としての人間の、暗闇への偏愛がありますね。重要なシーンです。

しかし!
しかしですよ!

米国版ではテレビに「野球中継」が映っていないのです!なんということでしょう(『ビフォーアフター』風に)。日本版では、確かカープ対ヤクルト戦だったと記憶していますが(そのうち何日の何戦かわりだします)、せっかく日本人向けに舞台をシアトルにしたのに、米国版では野球中継はやっていなかった。ほんとにもう、制作者は日本の野球中継が持つ象徴的な意味を教えてあげなかったんでしょうか。

まだあります。主人公は日本版同様、新聞記者なんですが、もうこれが大違い。米国版では、なんと松嶋奈々子じゃないんですよ。ナオミ・ワッツなんて元チアガールみたいな軽快な名前の微妙女優が演じていて、その名も「レイチェル」。うわもうなにこれ。「霊散る」とかけてんの?ダサッ。ブレイク前の竹内結子が演じた姪も、ケセランパサランみたいなリトルマフィアになっていたし。名前も変わってました。つまり、マクダァナル・アメリカは「ともちゃん、のろいのビデオみたんだよ」という決め台詞まで奪ってしまった!

日本版では、女子高生の変死に対する反応は、「もしかしたらカレシが関係するのかもしれないわよ・・・・きゃ☆」といった、実にドメスティックな、いわば「野暮と下世話の狭間」的なものでした。対する米国版はというと、「ヘイメーン、プシーキャッツはノンドラッグでラリってなかったようだぜカマーンソニックブーン」なんて大味なこと抜かしやがって。それじゃあ駄目なんだよ!「ちゃちさ」には繊細さが必要不可欠なんだよ!誰が決めたんだよ!映倫だよ!(つづく)
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かなり笑った。応援してますブーン。

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