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視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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ノンフィクションはフィクションよりも「つおい」のか1

岩波書店から出ている読書情報誌『図書』2005年9月号を読んでいたら、疑問に思う文章があった。その文章とは、『こぼればなし』と題された無記名の編集後記である。

各所で話題を呼んだ映画『ヒトラー』にふれて、「六百万人のユダヤ人を虐殺した悪魔的存在のヒトラーが、意外と人間的に描かれているのに軽いショックをおぼえました。(中略)そもそもホロコーストという想像を絶する出来事を、想像力の産物である芸術に翻訳すること自体に無理があるのかもしれません。」と感想が述べられている。

さらに『ドン・キホーテの独り言』という本に書かれた実話を紹介して(「絶滅収容所を奇跡的に生き延びて、『ヴェニスの商人』さながらに、したたかに生きるユダヤの老人――」)、「想像を絶する出来事を描写するには、やはりフィクションでは無理のようです」と繰り返している。

私はこの文章を何回も読み直してみたが、結局、書いた人間の真意が理解できなかった。ヒトラーを「悪魔」(!)と位置づけて、ひたすらその「人間」性を拒絶する、わざとらしいほど短絡的で粗雑な正義感。芸術を現実の「翻訳」と記す無神経。

何よりも、このような考え方をする人間が、出版業界の良心的存在であるはずの岩波の、それも『図書』という名の雑誌を編集していることに驚いた。(「想像を絶する出来事を描写するには」「無理がある」はずのシェイクスピアを比喩に用いて「想像を絶する出来事」を語るのは滑稽としか言いようがない。)

もちろん、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というアドルノの言葉を引くまでもなく、こういった見解がとりたてて奇異なものでないことぐらい分かっている。まさか出版業界の人間から聞こうとは夢にも思わなかったが、何しろ私はつげ義春と平穏な生活の間にさえ隔たりを感じ、未だにその溝に橋渡しできていないぐらいである。ホロコーストと芸術行為の間に橋渡しに苦しむ絶望的な溝があると想像することはできる。

さらに、「想像を絶するものは想像もできない」というキューブリックの例も知ってはいる。しかし、『図書』を読む人間はもちろんのこと、作る人間は当然「芸術」の力を信じているものだと思っていた。

以前、ヤフー文学賞について、小説家のありえない選評に過剰に反応してみせたが、あの文章を書いた時点では「プロのくせに情けないこと書いてんじゃないよ」くらいに軽く考えていた。が、ここまでくるともう、自分の読者としてのスタンスについて真剣に悩んでしまう。

編集者がこういった文章を公開できるということは、編集はおろか、雑誌の書き手も(掲載文のほとんどが評論だとしても)ある程度こういった考えに慣れているということだ。

「芸術は余暇である」との考えに一切の疑いを挟まず読者は作品を受容し、あるいは作者は作品を書いているのだろうか。「生き死に」なんてものは古いのだろうか。間違いなのだろうか。(つづく)
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