BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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レス:つりたくにこと『つげ義春以後』

誉められたときは一切疑わずに受けとり、批判されたときは全力でやり返す。金ゐ國許です。

私が千葉へ行っている間に、掲示板にて「つげパロディーの系譜四『それから』」に関する以下のような書き込みをいただきました。掲示板はログを保管していないので、消える前に転載しておきます。

「馬場毎日」の論考は、これまでに発表されたどの「つりたくにこ論」よりも高い水準にあるように思えました。ひとつひとつの指摘が、とても的を射ているように受け止めました。
ただ、作者が、「つげ義春以後」についてそれほど自覚的であったとは思えないのです。作者は、本来、SFマンガから出発しています。小松左京をはじめとする、当時、勃興しはじめたSF小説に多大な影響を受け、「どんでん返し」の妙味に惹かれたのだと思います。つげ義春の「李さん一家」にこだわったのも、いわばSF的な展開としての「どんでん返し」を感じたからではないか、と。それと、つりた作品が「難解」に向うのは、つげ作品の影響というよりも、池上遼一、佐々木マキ、林静一ら後続の作家が次々と問題作を発表していったからにほかならないでしょう。
また、つりた作品を好んだ「政治少女」たちは、『ガロ』作品だからという理由で、深読み=勘違いしていたにすぎないと思います。「ねじ式」を「反戦マンガ」と評したマンガ家たちもいるような時代ですから、彼女たちを責める気はしませんが。
(改行金ゐ)


「馬場毎日」の論考は、これまでに発表されたどの「つりたくにこ論」よりも高い水準にあるように思えました。ひとつひとつの指摘が、とても的を射ているように受け止めました。

お褒めの言葉をいただいて大変嬉しかったのですが(ええ勿論「社交辞令」だなんて露いささかも思いませんでしたとも)、読んでいて危機感のようなものを抱かずにはいられませんでした。かつて『ガロ』黄金時代を支えた漫画家たちが、時の流れの中に埋没しつつあり、近い将来、完全に消えてしまうのではないか、という危惧です。

かなり失礼かつ余計なお世話ではありますが、つりたくにこしかり、この頃の『ガロ』系作品は、たとえばQJシリーズで人気が(奇跡的に)再燃した作品のような「ザ・カルト」的傾向を持たないため、彼ら/彼女らが全く知らないマニア層へ広く浸透することは非常に難しいと思われます。今見るととても「正常」かつ「正統」な「マイナー作品」が、50年後100年後に、きちんと読み継がれているのでしょうか。

そんなときにこそ有効なのが評論や論争による作品価値の決着と研究による漫画史への位置付けだと私は思うのですが、私の小文程度を誉めざるを得ない背景には(だから社交辞令とは思わなかったと言ったでしょう)、やはり当時の『ガロ』系作品への言及がほぼゼロに近い現状と、未来への不安があるんだと思います。

馬場つげ研がリンクしているアベシンのファンサイトを紹介したとき、「あれほどの作家のサイトが一つしかないというところに、現在の漫画事情の貧困が窺えます」と書きました。それでもアベシンは復刻や新刊が出版されているので、一応は「よし」と言えるのかもしれませんが、現在、書店で入手可能なつりた作品はありません。

幸い『つりたくにこ記念文書館』『「つりたくにこ」とその周辺』なるファンサイトがあります。資本による後ろ盾が無い以上、在野精神で盛り上げていくしかないのですから、ぜひファンの方には評論を発表するなどして頑張って欲しいと思います。


【蛇足:ちなみに私がググって見つけたブログには、「つりたのシニカルな目線というのは、当時の社会にはあっていたかもしれないが、私のように完全に世代を異にする者には只管に羞恥を煽るものがあり、まともに読めない。趣の異なる暑苦しさがある。その苦悩にドライを装う視線が重なるのである、耐えられない?!」と、辛辣な言葉が並んでいた。

あまりにも無邪気な世代論は置くとしても(他人のことを言えないので)、同じく夭逝の『ガロ』作家・楠勝平と比較しての発言には疑問を持った。話は逸れるが、言及しておきたい。

「つりたはシニカル・ドライを装いつつ常に「自我」と密着した作品を描いており(その上難解にしよう、という作為が感じられる)、楠も病身故にそこへ執着は見せるものの、漫画としてはきちんと距離を保ち、しかも何処までも真剣で甘えと隙がない。」と著者は言う。

しかし、自我と作品との「距離」は、それだけで作品の優劣に関わるような決定的な要素ではなく、作家の表現上の選択にすぎない。伸縮自在な「距離」の存在が表現に奥行きを与え、その長短こそ各人の個性である。
また、著者は全く取り合わないが、つりた作品に実験精神が根付いていたことは間違いないことであり、それが絵柄や内容の外見的な「難解」に結果としてはとどまるものだったとしても、少なくとも楠と同様、「何処までも真剣で甘え」がなかったように思う。「隙」という点でも、つりたも楠も己の表現姿勢においては無かったと言えるし(仔細に見れば発見できないことはないだろうが)、表現の達成度を考えれば、どちらにもあったと言える。

所詮、漫画体験を「恥ずかしい話」と語る作者の言であるが。】


ただ、作者が、「つげ義春以後」についてそれほど自覚的であったとは思えないのです。

「ただ」が来たときに、私の表情は上人したわけですが(笑)。上人?いや、踊り念仏ですが。

真面目に答えますと、今の段階では、私にはつりたくにこが『つげ義春以後』に対してどの程度自覚的であったのか、断言することはできません。「おそらくつげの影響を受けて、漠然と『つげ義春以後』をイメージしただろう」と考えていますが、具体的な証拠を挙げることはできませんし、そうした欲求もあまり強くは無いので、証拠を挙げるのは「つげ義春に強い影響を受けた女流漫画家」と言い切る『「つりたくにこ」とその周辺』さんに任せたいと思います。

断言をとりたてて目指さない理由は「つりたくにこは『つげ義春以後』に迫り得なかった」と私の中では結論が出ているからです。『つげ義春以後』を「新しい表現」に入れ替えてもらってもかまいません。そして、つりたと同様、まだまだ言及が不足しており、かつ『つげ義春以後』に迫り得たと考えている菅野修ほかの様々な作家に言及していく方が先だと思っているからです。

現時点で断言できない理由を申しますと、まず資料がないことがあります。これは私の手元にということです。つりたの「つげ観」を端的に表す資料がありましたら、教えてください。

次に、『つげ義春以後』とは「いつ以後」なのか、という重要な問題に回答できていないからです。87年の『別離』以後という括りにいささか無理があるのは理解できるとしても、では、初めて『つげ義春以後』を打ち出した『夜行』創刊(72年)以後なのか、キャリアのターニングポイントとも言うべき『沼』(66年)なのか、はたまた『ねじ式』(68年)なのか。

元々「何年何月」というようにかっちり決まる問題でないのは承知の上ですが、ある程度定めておかなければ、今回のつりた作品のように時間的に極めて近い場合、『つげ義春以後』との関係性の判断が微妙になってしまうのも事実です。

私は『つげ義春以後』を「構造の崩壊過程」と見ておりますので、つげ作品の「構造」化が極まった『ねじ式』を区切りに使うことが多いのですが、そうすると例えば「池上作品はどうなるんだ」という問題が出てきます。

つげ義春「以後」ですから、つげ義春を前提に、それを超えた最初の表現者から始めればいいのかもしれませんが、それでは、超えてはいなくとも『つげ義春以後』の影響下にあり、格闘した作家たちの功績を見逃すことになります。『つげ義春以後』は表現形態として技法・思想的に理解されなければならないのと同時に、漫画史の確かな人的系譜、一水脈として記述されるべきであると思うからこそ、そこにはいっそう厳密さが必要とされるのです。


つげ義春の「李さん一家」にこだわったのも、いわばSF的な展開としての「どんでん返し」を感じたからではないか、と。

「李さん一家」のオチを気に入ってのパロディであることは間違いないと思われますが、仰るとおり、確かに、仮につりた作品が『つげ義春以後』を迫り得たのならば、「李さん一家」を「牧歌プラス意外性」とは見なかったはずであり、そうした意味でもパロディした時点でつりたくにこがつげの表現の深層部を見抜いていたと考えるのは不自然です。


つりた作品が「難解」に向うのは、つげ作品の影響というよりも、池上遼一、佐々木マキ、林静一ら後続の作家が次々と問題作を発表していったからにほかならないでしょう。

もはや言い方の問題になってきますが、池上遼一、佐々木マキ、林静一らの作品にはつげ作品の影響はなかったのでしょうか。確実にあったと思います。そして、つりたが彼らの作品に対峙したとき、つげの手法なりを無視することはできないはずです。ただ、繰り返しますと、私は池上遼一や佐々木マキや林静一のように、つりたの作品が『つげ義春以後』に迫れたとは思いませんでした。


つりた作品を好んだ「政治少女」たちは、『ガロ』作品だからという理由で、深読み=勘違いしていたにすぎないと思います。

私が言いたかったのは、つりたくにこがおそらく当時(現在も)『つげ義春以後』を予感させる作家であり、その予感はつげと共通する支持基盤を持ったことからも強まっているのではないか、ということです。ですから、基本的につげを全面的に支持しつつもつりたを完全に肯定することはありえないと思っています。
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COMMENT

ブログを読んで、知人から「つげ義春以後」はいわゆる「脱構築」か、という質問がきました。とりあえず勢いで「違います」と答えておきました。
「脱構築」について説明できないのでどうにも説得力を持たないと思うのですが、ポパーが示したように、「脱構築できるということは構築されたものが論理的に不十分だった」ということが表現において言えるのかどうかが微妙なのでは?という疑問があります。
また、私が「構造」「構造」と小泉ばりに連呼するので、「構造主義」なのか、とも聞かれましたが、私の言う「構造」とは「仕掛け」のメカニズムのことですから、そうなのかもしれません。
いずれにせよ良く分かりません。勉強します。すいません。

「つげ義春以後」にふれて

内容が濃密すぎてなかなか追いつけそうもありませんが、ゆっくりと少しずつでも深められればと思います。
池上遼一の「夏」や「地球儀」、林静一の「赤とんぼ」や「山姥子守唄」「あめりか生れのせーるろいど」、そして佐々木マキの諸作品等々が、つげ義春の「沼」から「ねじ式」へ至るマンガ表現に触発されたものであることは、容易に理解されることと思います。「沼」以後のつげ作品は、色々な意味で実験作、冒険作であったと思われます。旧来のマンガの枠を破砕したともいえるし、無視したともいえるでしょう。簡単にいってしまえば、表現方法・手段の拡大・深化です。ただ、つげ義春は、それを目的としたわけでも、企図したわけでもないと思います。「こんなストーリーを描きたい」という気持が、表現方法・手段を選択したにすぎないと思います。そして、その結果として、旧来のマンガの文法や倫理(!)を越えてしまったのかも知れません。二十歳を過ぎたばかりの若いマンガ家である池上、佐々木、林らが
その表現の拡大と深化に狂喜したにちがいありません。彼らもまた、自らの想像力を全面展開したかったからだと思います。池上、佐々木、林の『ガロ』入選作は、その後の作品と比べれば、まだまだ旧来のマンガの方法・手段から自由ではなかったという気がします。どこまで拡大していいのか、どれだけ深化させていいのか、おぼつかなかったのではないでしょうか。「沼」から「山椒魚」へ、「通夜」から「海辺の叙景」へ、「紅い花」から「ねじ式」へとつげ作品を読み進む過程で、彼らも「何をどう表現してもいい」という認識を持ったかも知れません。そこから試行錯誤が始まったと見えます。
つりた作品に話をもどしますが、つげ作品からの触発は少なかったと思われます。それは、たぶんに作者のというか、作品の方向性が「時流」にそっていたからではないかと思うのです。「時流」を「エンターテインメント」と置き換えてもいいですが。上野昂志もいうように、たしかに、つりた作品は、当時としては先駆的であったかもしれません。が、その先駆性は、「時流」の先きを走る、「エンターテインメント」の先端に位置するという意味性を持っていたのではないかと。しかしこれは、マイナス評価を意味しません。石子順造いうところの「アクチュアリティの問題」です。送り手である作者にとってのそれではなく、受け手である読者にとってのそれです。つまるところ、ある時代のなかの存在ということにつながるかもしれません。
ところが、つげ作品や、いくつかの池上、佐々木、林作品は、「ある時代のなかの存在」である必要がなかったという気がします。いや、それを否定していたかもしれません。
昭和の初めの龍澹寺雄の小説は、「ある時代のなかでの存在」という気がしますが、つりた作品がそれと同位であるのかどうかが問題でしょうか。

濃密というより、自分に酔い過ぎました。

しぶさんとのやりとりが「議論」になっているのかどうか、非常に曖昧ですが、繰り返しますと、私がつりたを取り上げたのは、つりたが(迫りえなかったとは言え)「『つげ義春以後』の影響下にあり、格闘した作家」だと考えるからです。

しかし、「つりたと同様、まだまだ言及が不足しており、かつ『つげ義春以後』に迫り得たと考えている菅野修ほかの様々な作家に言及していく方が先だと思っているから」その論証を目指していないと書きました。

>「つげ作品からの触発は少なかったと思われます。それは、たぶんに作者のというか、作品の方向性が「時流」にそっていたからではないかと思うのです」

つりた作品が「「エンターテインメント」の先端に位置」していたということは、それ自体で批判の材料にはなりようもありませんが(エンタの神様たることは私にとって「それはよかったね」程度のことです・・・言い過ぎか)、同様につげとの関係を否定する材料にもならないと思います。

つりたの作品の「難解」さが多数の読者に受け入れられようと受け入れられまいと、つりたはつりたなりの経路を通って己の「難解」もしくは表現を深めようとした痕跡がある以上、そして仮に「読者の受けを狙って」のみ描かれたとしても、受けていた「難解」がつげとの関係抜きに語れないものである以上、『つげ義春以後』の観点からつりたを語ることは有益です。つりた作品はなぜ『以後』足りえなかったのか。そこから、『つげ義春以後』が見えてくるからです。

これは勿論読者の側の問題ではないし、私は同時代性を強調してつりたを取り上げているわけでもありません。

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