BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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順調に順調にダメな方へ

(※この文章はブログ『我輩葬送曲』2005年2月分に著者ユゴーが加筆・修正・再構成したものです。文章に意味不明な箇所がありますが、著者の意向によりそのままにしてあります。)


 会う人会う人に卑屈な態度で「みてよーみてよー」としつこく頼んだ。携帯メールも一杯送った。誰からも返信は来なかったし、僕に遊びの誘いが来ることもなくなったが、アクセスは一時的にアップした。
 
 そんな涙ぐましい努力のおかげか、『我輩葬送曲』を毎日読んでくれている知人ができた。で、知り合いと顔も知らない人双方に発信していく今後、どういう文章を載せていくべきなのか。ブログの方向性について迷っている。

 ネタ系は恥ずかしいじゃない。つまらないと痛いじゃない。身辺雑記も、暇なのがばれてしまうじゃない。「○月×日のブログに『素敵な女性と飲んだ』って書いてあったけど、お前あの日俺たちといたじゃん」とか言われるじゃない_| ̄|○
 
 一切の雑念を排して書くのだ。つげ義春を理解すべく日々邁進するのだ。私は決してあきらめない。

 というわけで、あきらめない事をあきらめない事をあきらめないぞ、と思いました。関係ないけど、今高田渡の「蓮」を聞いています。ぐっときますね。イェイ。

 以下、最近読んだ本のまとめ。


 森功『黒い看護婦』について。福岡で起きた看護婦4人組による保険金連続殺人を題材にしたノンフィクション。扱っている事件は「これでつまらなかったらライター辞めちまえ」というぐらい面白いネタなのだが(だから私も新刊ハードカバーを購入した)、どうも今ひとつだった。つまらなかったわけではないが、はっきり言ってネタ負けしていると思った。

 事件の内容を大雑把にまとめると、主犯の元看護婦・吉田純子は3人の看護婦仲間から金を巻き上げ、彼女らを言い含めて下僕にしてしまう。身の回りの世話からレズ行為までを強要し、2人の夫に保険金をかけて殺害させる。結局、吉田の横暴に耐え切れなくなった共犯者1人が通報し、4人は逮捕された。

 ありきたりな手口に面白いように騙されていく女たちの心理に興味を抱かざるを得ない事件だが、『黒い看護婦』を読んでもこの謎は全く解けないと言ってよい。「なぜ3人はこれほどまでに弱みにつけこまれたのか」という考察において、結局のところ、吉田純子には「人間の弱みを瞬時にかぎ分ける才能」があったから、としか書いていないのである。これではほとんど同語反復である。機微に至る描写・推測はなく、事件のリアリティ、実在する人間としての四人の姿を感じ取ることはできなかった。 

 何しろこれだけの「大ネタ」なのだから、出来事の羅列に意味が無いとは言わないし、無駄なものを省いたことで、かえってリアリティーが増すケースもないわけではないと思う。しかし、重要なのは考察と確証の繰り返しであり、どちらかが欠けたらそれまでなのである。

 この本を読んで、「ノンフィクション=石を石のまま描くこと」ではないと、改めて強く認識させられた。「ノン」と主張することで、むしろフィクションよりも真実から遠ざかってしまうのかもしれない。言うまでもなく、事実は真実ではない。字が違うではないか。 


 山本直樹『あさってDANCE』について。機微が略されても傑作たりうるということは、数多の文芸作品によって完全に実証済みの事実だと思うが、クールだからという「都会的な理由」から機微を排除した『あさってDANCE』も、やはり傑作であると思う。

 『あさってDANCE』を成功に導いたのは「日常」「非日常」間の絶妙なやりとりであり、「日常」対「非日常」という「ゴジラ対メガバンク」ばりに使い古された表現であっても、その行き来に何とも言えぬ感じ(「sふぁsldpjヵ感」)が加わると、十二分に珠玉の要素として作品を後押しするのがわかる。
 
 「・・・・いきなり何かの主人公になったような気分だった。」という作品冒頭は「非日常」である。そこからデフォルトされた(「非日常」の中の)「日常」を描き、やがては「希望=あさってDANCE=非日常」を手に入れるべく話は進んでいく。しかし、「非日常」と「日常」とのフィードバックの果てに、主人公は疲弊し、希望を「日常」化するのを放棄して田舎に帰ってしまう。ここでの主人公の姿は「日常」の我々に他ならない。 

 そして最終話で唐突に、今まで手に入れようとして手に入れられなかったものが戻ってくる。ここで、主人公は「非日常」なるものを「日常」に置き換えているのだが、この姿がいささか「非日常」的であるのが面白い。ラストシーンで「子供=これからのどっしりとした日常」が「じいさんのリンカネーション=非日常の始まりだったもの」と混在しているのを見て、読者は作品の「日常」すなわち「締め」を感じとるべきなのだ。(「sふぁsldpjヵ感」については後日)


 そうそう、この文章を書き終わらないうちに、もう「蓮」に聞き飽きました。



特別企画「ユゴー、ブログを振り返る」第二回
翻訳調が俺の文章には合ってるんだ

――この時期はノンフィクションに凝っていたようですが
なんだって?

――ノンフィクションを集中的に読んでいたとか
ああ、「fiction of non」のことか。確かに2005年のはじめに、俺はそういったジャンルの大量の本に手を出した。そのうちの大半は愚にも付かない駄作だったが、何冊かには大いに興味を持ったよ。For example,『光クラブ事件』なんかがそうだ。天才東大生の闇金融屋がにっちもさっちも行かなくなって自殺した、しかも交流があった三島由紀夫と同じ日に。話題性、劇性から、「アプレ・ゲール(戦後)犯罪」だとか言われてるけど、犯罪に戦前も戦後もないよね。

――それが感想ですか
いやそんなことない。うん。でもこの本で、「戦争の闇」が確証されていたのか、「戦後」が描けていたのか、については大いに疑問を感じたよね。俺は『青の時代』を全文暗記していたぐらいだから、別に目新しくもなかったし、こいつの生き方や理論に共感できちまったから、笑い飛ばすこともできなかった。ベネッセが「光クラブ」を出したら大笑いだけどね(爆笑)

――もういいですか
午後十一時四八分五五秒呑む。午後十一時四九分 ジ・エン

――この頃名曲喫茶『クラシック』が閉店しました。ユゴーさんは2月22日のエントリーにて、「悲しくも中野クラシック閉店の話は本当のようです。3年位前からちょくちょく通ったり、待ち合わせ場所にしていたのでショックでした。最後にいったのはいつだろうかと考えますと1月5日であったと記憶しています。大体いつもお客さんがぽつぽついてどこかうらぶれた感じが気に入ってました。」と書いていますね
そうね。今だから言うけど、『クラシック』には「ちょくちょく」どころか、毎日通っていたんだ。たまたまロスに行っていて、1ヶ月ほど日本を空けてたら、その間に「閉店した」って言うじゃないか。驚いて店員の「mixi」を見たよ。でもね、ここ10年の『クラシック』は酷かった。カップルやサブカル好きな大学生が大量に来て騒いでさ、古参には悲しい光景だったな。

――本稿に登場する高田渡については、タナダユキ監督のドキュメンタリー映画『タカダワタル的』についても言及しています。

「4月に逝去した高田渡晩年のドキュメンタリー『タカダワタル的』を吉祥寺のバウスシアターで見てきました。以前、高田渡はラジオ番組で『自分は若い頃極貧の生活の中にいて、そこで貧乏な人に対する同情とかではなくて一緒に生活することで見えてくる駄目なところ含めてずっと見てきた。それが私の歌のベースにまずある。私は明治演歌の流れをくむ、大衆に根付いたフォークを歌い続けてきた』と語っていました。

今の若者の路上パフォーマーは「受ける」ことが主体になっていて「主張する」という姿勢が見えないとも言ってたので、映画を見る前はどことなく厳しさや凄みのある人物を思い描いていましたが、いやー、全然違いましたね。人当たりがいいとかそういうことではなくて、本当に生活者なのです。安い居酒屋や自宅で酒飲んで管巻いて寝てしまうし、ライブで歌は間違えてしまうし、(おそらく)大体いつも同じ歌を歌っているっぽいし、ギターは決してうまくないし・・。

 「大衆に根付いたフォークを歌う人」を体現しているのです。晩年の自宅もかなり貧乏さがでています。だからこそ、歌の歌詞にあれだけの説得を込められるし、ライブで曲をやり直しても気まずいどころか逆に魅力的に感じられるのでしょう。高田渡が「主張する」ということをどう捉えていたかが伝わってきます。

  どうも どうも いやどうも
  いつぞやいろいろこのたびはまた
  まぁまぁひとつまぁひとつ
  そんなわけでなにぶんよろしく
  なにのほうはいずれなにして
  そのせつゆっくり いやどうも (『ごあいさつ』より)」


今回の記事では「聞き飽きた」なんて生意気なこと書いているけど、本当は大好きでね。今年の4月、訃報を聞いて愕然としたよ。28日のお別れ会に行ったけど、井上揚水、中川五郎、なぎら健壱、坂崎幸之助、小室等、鈴木慶一、千葉和臣、笑福亭鶴瓶、柄本明、加川良、エンケン、中川イサト、中川五郎、大杉漣。錚々たるメンバーだった。愛されてたんだね。

――中川五郎さんが二回出ましたが
うるせえな、コピペだよコピー&ペースト。行ってねえよ

――その日は何をしてたんですか
ガチャポンの蓋閉めるバイトだよ。一個5銭だよ馬鹿野郎

――ところで、先ほどから「fiction of non」と仰ってますが、これは?
あちらさんではそう呼ぶらしい。尊敬する親父が教えてくれたんだ。親父は証券マンでね。ブラックマンデーまでは羽振りが良くて、何回も向こうに行ってた。今でも10月19日になるとたくさんの(a lot of)線香を炊くよ。「悪夢のような月曜日に死んだ株と、火曜日以降に俺が殺るはずだった女たちに」ってね(爆笑)

――「fiction of non」なんて言いませんよ。僕、去年までアメリカで暮らしてたから分かるんです
そう・・・・
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