BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

つげパロディーの系譜5 『さん式』 

「さん式」 蛭子能収

tp-ebisu01.jpg tp-ebisu02.jpg tp-ebisu03.jpg

 「さん式」は『平凡パンチ』(掲載年月不明、情報求む!)に掲載された。タイトルから分かるように、つげ義春の代表作「ねじ式」のパロディである。「さん式」は「三色」と書き、【麻雀の役なんだそうだが】、私は麻雀をやらないのでよく知らない。では「三色」を知らないとこの作品を楽しめないかというと、もともと「式」しかあっていないパロディである。全くそんなことはない。
tp-ebisu04.jpg73年8月号。水木しげる、永島慎二、勝又進、坂口尚、さらにガロ三羽烏が揃って執筆。蛭子とともに「増村博」も入選している 蛭子が漫画家であることがトリビアだった時代は、いつ頃までだったのだろうか。進学塾「Z会」のイラストが全国新聞のテレビ欄に定期的に掲載されるようになってから、はっきり終わったように思うが、現在も彼のキャラクター並みにその作品が周知されるには至っていない。
 蛭子はれっきとした「ガロ系」漫画家である。『ガロ』1973年8月号に掲載された短編「パチンコ」でデビューし、【80年代を通じて同誌に数多くの作品を発表】した。処女作品集『地獄に落ちた教師ども』(81)をはじめ、10冊以上もの作品集を青林堂から出している。蛭子は80年代
『ガロ』でブレークした粗い描線とナンセンスに満ちたストーリーを特徴とする「ヘタウマ」路線の代表的な作家であった。

 「ねじ式」が発表されたのは1968年だが、蛭子がデビューした当時も、特に『ガロ』においては大きな影響力を持ち続けていた。最も有名な「ねじ式」パロディである赤瀬川源平の「おざ式」が発表されたのは僅か2ヶ月前のことであり、デビューした8月号には、発売されたばかりの『つげ義春作品集』の広告が裏表紙に掲載されたほか、二つのパロディが載っている。
 一つは当時の編集長・南伸坊による「おざ式」のパロディである。嵐山光三郎の人気コーナー「嵐山の人生相談」の挿絵には、お座敷に墜落した黒塗り飛行機の横に「おざ式」くんが座っている。「まさかこんなに問題になるとは思わなかった」というト書きが添えられているが、南伸坊自身、作中に何度も登場している(ちなみに先に触れた豪華本『つげ義春作品集』の装丁も南によるもの。『装丁』(フレーベル館、2001年)参照)。
tp-ebisu05.jpg73年6月号。永島、勝又、坂口、林静一「あめりか生まれのせーるろいど」、仲佳子「たこつぼ」(「実は」「一匹生存しているのです」は影響下?)

tp-ebisu06.jpg
コマごとに絵柄も描き分けてパロディしている
tp-ebisu07.jpg
「ぼくはなんて時期おくれのパロディをかいてしまったのだろう」とあるが・・・
 もう一つは「読者サロン」に寄せられた「おざ式」に関する「予告投書」である。この投書の署名は「天澤退痔瘻(匿名希望)」というふざけたものだが、的確なパロディによって「短評」というべき質を持ったものであった。
 天澤は「おざ式」が77年10月号から編集部によって予告され続けたという経緯を「最近の漫画及び漫画家が課せられている原稿〆切のまさに核心的な受難者・にない手であることを、その過程において示した」と書き、「読者と編集者と作者の三元論的探求がついにたどりついた「おざ式」は、「予告」の根源的逆倒性・逆行主題のまさにエラ先にひっかかっている」という。
 投書に満ちた若々しいアンチ精神の意味の無さは、「おざ式」のスタイルを楽しむことはできるが、そこに作品としての実験的価値を見出すことは出来ないという自明の理の(だからこそつげの近辺から「酷いマンガ」と評された:出典忘却)些か自虐的な確認であり、数多のパロディ作品とは決定的に役割を異にする「ねじ式」の「無意味」を評価するものであった。

 赤瀬川の硬質かつ上質な絵にはつげ・水木ラインに通じる巧さがあって、深読みを誘導する<文学的>魅力を秘めていたが、パロディという反映的な性質はそうした自由奔放な読みの可能性を自ら封じ込め、本来「ねじ式」に仕掛けられた「意味性からの脱却」を機能させなかった。さらに「ねじ式」における過剰な意味の露出とその配列から意図的に逸れてみせたことで、「おざ式」は、つげパロディーにおいては特徴的であったけれども、作品として・パロディとしての実際性を完全に失った。
 しかし、蛭子の「さん式」においては、「おざ式」における絵的な類似さえもなく、他のつげパロディと同じく「思いついたからやってみた」という程度の印象しか受けない。

 蛭子は各所でつげの影響を認めている。

「それまでの旅物とか温泉物は、それ程好きっていう訳ではなくて、『ねじ式』を読んで一変しましたねえ。」
(蛭子能収インタビュー『蛭子能収コレクション ギャンブル編』マガジン・ファイブ)

「映画の世界では、芸術映画ってたくさんありましたけど、漫画の世界では、そんなことありえないって思ってたんですよ。漫画は、普通のストーリーで進んでいくものだって。でも、つげ義春さんの『ねじ式』 っていうのを読んで、ビックリしたんですよ。漫画でもこんな芸術っぽいものが出来るんだ、受け入れられるんだって。強い影響を受けましたね。」
DISCAS INTERVIEW 『TSUTAYA DISCAS』)

 「さん式」を見る限り、パロディは「リスペクト」というよりもほとんど「戯れ」に近いが、扉まできちんとパロディするところなど、ファンのつぼも外していない。蛭子はやはりつげファンであることがわかる。
 しかし、「さん式」は、蛭子作品の中でも特に「つげ的」でない。他の作品では「ねじ式」の「無意味」を自分のものにしようとしているにもかかわらず(その結果が「つげ的」であるとは言わない)、よりによってつげパロディにおいて、もっとも「つげ的」と隔たるのはなぜだろうか。

 無理矢理詰め込んだから、パロディという慣れないスタイルを採ったから、つげの絵柄と合わなかったから、などの技術的な問題も確かに見逃せない理由として挙げられようが、この作品の失敗によって、明確に、蛭子が「意味」というものを何よりも重視していたことがわかるのである。

 蛭子はインタビューでさらに佐々木マキに触れ、「こういう表現でも漫画を描けるんだなあ、っていう。《すごいなあ!》って思いました。」(『蛭子能収コレクション ギャンブル編』)と述べている。ここでも「ねじ式」のときと同じように、表現スタイルそのものよりも「何でもあり」という作家態度の奔放さに共感している。
 これは、マニアから「人でなし」と言われる蛭子のキャラクターを考えればごく自然な感想だと思うが、しかし、蛭子が「つげ義春以後」たりえなかったのは、つげや佐々木の表現スタイルを「何でもあり」と誤解したからではない。蛭子には意味性を脱却して表現における奔放を手に入れようとする方法論が、そもそもなかったのである。

 確かに初期の作品においては、つげへの意識を感じ取ることができなくもない。背景の不条理、ストーリーの不条理、人物の不条理。これらの徹底した断絶が乱暴な描線と相まって立派に作品の体をなすところに、「つげ義春以後」への可能性を見た人もいるのではないだろうか。

 実は連想ゲームのようにイメージの繋がりによって全体が構成され、断絶そのものには作品を超えて訴えかける普遍的な力、すなわち表現の効果が備わっていなかったことを、私は事後的に確認した。しかし、「駄作」と正面切って呼ばれることが漫画家・蛭子最大の芸となる90年代まで(シュールやナンセンスというカテゴリーの隠れ蓑に助けられたとはいえ)どうにかそのことを隠蔽しえたのは、描線が他でもない表現の効果として機能したからであった。
 蛭子の絵は、郷愁や「存在論的不安」を呼び起こす「文学的」な情感も湛えていなければ、「空虚の時代」を強調する無価値に等価な粗さもなかった。では、マンガ史の文脈におけるアンチとして機能したのか?
 ……おそらくそのようなことはなかったと思う。フォロワーが決して多くないうえに、同時期の『ガロ』作家と比べても大人しい印象を受ける蛭子の絵が、それのみで評価されることは考えにくい。しかも、漫画としての特殊性を身につける前の、いわば「作家性の第一段階」にとどまった絵は、多様なマンガの歴史においては「そのようなこともあった」と通過されてしまっただろう(イラストレーターとして成功したのはまた別の問題である。赤瀬川源平も『漫画主義』の表紙でつげをパロディしている)。

(この項つづく)
スポンサーサイト

COMMENT

PLEASE COMMENT

管理者にだけ表示を許可する

TRACKBACK

http://kunimotokanei.blog8.fc2.com/tb.php/209-8bc45383

 HOME 

Calendar

04 « 2017/05 » 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

Administer

Monthly Archive

Categories

Recent Comments

Recent Trackbacks

Recent Entries

Blog Pet


私のブログを盗み見て言葉を覚え、話しかける(クリックする)と返事をするらしい。あまつさえ勝手にエントリーにレスをつけてくるという。名前の由来説明は不要だと思うが、詳細なプロフィールが知りたい方&「なんのこっちゃ」と思った人は上の「ねずみ」という文字をレッツ・クリック。

占い

Catchphrase

Profile

Administer

Others

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。