BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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罵声人語さわやか10

¶ 最近、色々アップしてアップアップですわ。師走は忙しいものだと初めて気付いた2005年の暮れ、有名動画サイト【誰が為に鈴は鳴る】から画像を拾ってきて(すいません)、ページトップのbackgroundを飾る。

¶ 恵那春夫の言うところの「第?期」後半から「第?期」前半のつげ忠男作品を読み返している。何と言うべきか、今のところ何とも私には言えないのだが、語る言葉が熟すのを漫然と待つことが罪悪であるようにさえ感じられる。いや、大袈裟でなく、読み手をそんな感じに焦らせる作品なのである。

……つくづく、つげ忠男という人は凄い作家だなあと思う。<不幸にも>軽佻浮薄に慣れ親しんできた私だが、あの斜線に取り囲まれたら「それでいいのだ」とは口が裂けても言えない。どうしても「それでいいのか」になる。「暗い」としか形容できない読後感が、読者の生き様まで厳しく追求する。

もっとも、外野の私よりもずっと追求に苦しめられているのは、つげ忠男自身なのだろう。実際に作品評にも苦しめられただろうし(とはいっても、『夜行』に掲載された二本の酷評しか思い出せないが。「本当に「ダラシナクナッテシマッタ」のですか?」と問いただす宮岡蓮二『つげ忠男氏への手紙』、「つげ忠男はもう画かなくてもいい」と書き始める恵那春夫『つげ忠男論 その「甘さ」について』)、長いキャリアには奮闘の証がはっきりと見える。

年月を重ねるうちにすっかり駄目になった作家などいくらでもいる。彼らは記憶の中に埋もれ、忘れられていったが、つげ忠男はそうはなっていない。これはマイナー故の強みなのだろうか。いや、本物の証であろう。一読あれ。

¶ 【北冬名鑑】製作にあたり、梶井純『現代漫画の発掘』を読みかえした。【水木しげる】について触れたくだり(P30-32)は、やはり、まったくその通りだと思った。

「主観的には、水木にはいまもなお、非命の兵士たちへ寄せる、かつてと同じ心情があるにちがいない。しかし、いまの水木は外なる視座によって意識的に戦争の悲劇を描こうと試みたようにみえる。みずからがそこで意識できる、ということの余裕が、いま表現者としての水木の位置を決定的に変えてしまった。(中略)
生きる、あるいは生活することが「必死」ではなくなったそのときこそ、かれの「戦中・戦後」もまた終わったのだろう。」


水木しげる本人がキャラクター化したせいか、多作すぎて追えないせいか、今まできちんと作品<批判>を展開する評論家がいなかったように思う。あるいは私の耳に入ってこなかっただけかもしれないが、友人に水木原理主義者が多かったことも手伝って、私の中には「水木しげるは批判しない」という暗黙のルールができていた。『放送禁止歌』じゃないが、自然と出来上がった「ミズキ・タブー」は意外と強力で、若干批判的な記述が目立つ足立倫行の評伝『妖怪と歩く』でさえ、「こんなこと書いて大丈夫なのか?」と不安になったりした。

しかし、私が物心つくころには既に【鬼太郎シリーズ】は全て終了しており、猫娘もねずみ男も、完全にアニメのキャラクターであった。その時代の水木を「水木ロード」の入り口とした人間にとっては、「水木しげる」は漫画家というよりもキャラクター・デザイナーである。私は鬼太郎アニメが好きではなかったし、遡って読んだKC版鬼太郎は呆れるほど退屈で、途中で投げ出してしまった。

冷静に考えれば、絵ひとつとっても改悪としか思えないようなリライトが面白いわけがない。本人が描いているかどうかも怪しい作品に作家性が発揮されるわけがない。そういえば、私が特に感銘を受けたつげ忠男作品は、彼の「もはや戦後ではない」時代のものではなくて、まさに「戦中・戦後」にあたる作品だった。……改めて読むと、ここで梶井は特別難しいことを言っているわけではない。だが、この文章は1973年9月のものである。この後に水木が傑作をものにすることはなかったから、慧眼であるし、悲しくもある。


¶ つげ義春『蒸発』に描かれた漂泊の俳人・井上井月(いのうえせいげつ)について、考察を深めるために簡単な評伝を書こうと思い立った。仮タイトルは「井月へ 評伝・井上井月」、ブログで15回ぐらいの分量になるか。

と思い立ったまではいいとして、評伝の書き方がわからない。手元にある『井上井月伝説』(江宮隆之、2001、河出書房新社)、これぞまさしく評伝なのだと思うが、エピソードは過不足なく、この本があれば十分のような気もする。収録されている句の数が少ないのが残念だが、『井月全集』『井上井月全句集』が伊那毎日新聞社から刊行されている。これらはとうに絶版であるが、需要も少ないのだから、どうしても知りたい人はどうにかしてそれを手に入れるものなのだろう。


「井上井月の絶筆公開?30年間非公開」

漂泊の俳人井上井月(1822?87)の絶筆とされ、およそ30年間にわたり非公開だった「何処やらに 鶴の声聞く 霞かな」の軸が27日夜、高遠町の河南中央公民館で開いた第1回河南学級(町公民館河南分館主催、長野日報社後援)で一般公開された。(中略)

絶筆は、霞松が臨終の床で井月に筆を持たせて書かせたとされる。霞松がそれを記した添え書きとともに河南地区の旧家が所有。伊那市、長谷村との合併を控え、改めて井月について考える機会に?と分館側に申し出て、今回限りという条件で公開した。

句はB4判ほどの大きさの唐紙(とうし)に書かれている。春日さんは「霞松が酒を勧めて書かせ、井月がそれに応じた。臨場感があり、伊那谷の宝」と絶賛。また「辞世の句はほかにあるが、これを辞世と言ってもいい」と述べ、井月の死に様がうかがえる?とした。

春日さんはこうした二人を「肝胆相照らす仲」と呼び、「23歳も年が離れていたが、井月は霞松に絶対の信頼を置いていた」と説明。その理由について、戊辰戦争で捕らえられて高遠藩に預けられた霞松と、自らについて語らなかった井月とが同じ武士の出身だったためでは?と推測した。
(【長野日報2005年7月29日】、改行:金ゐ)


「霞松」とは井月の弟子、六波羅霞松のこと。春日さんは遺墨集「井月真蹟集」(80、伊那毎日新聞社)の著者で、井月研究家。他に井上井月に関する本は、春日愚良子『井上井月』(92、蝸牛俳句文庫)『何処やらに』(ほおずき書籍)、清水昭三『俳人・石牙井月の客死』(新読書社)、宮脇昌三『井月の俳境』(踏青社)。
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COMMENT

アハハ。ただいま、本!取り寄せ中。

井月の本、ネットで買えばイイものを知り合いの本屋に頼んだらマダ来ない・・・。どうなっているんだ・・・。
絶筆公開の記事。ワタクシも読みました。
コレを機に井月が・・・・。と、思いましたが盛り上がったのは地元と少数のファンだけのようですネ。
山折哲雄の宗教本にも井月のことは何度も取り上げていますがコメント程度のものです。
イヤ~。
金ゐさんの評論楽しみにしています。
参考にさせて頂きます。
って、こんな事でイイのか・・・。勉強します。

とりあえずは

本を手に入れるところから始めなければ(汗)
ミクシィのコミュも盛り上がると楽しいですね

てか、15位って。井月効果?

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