BLOG馬場毎日 sawayaka

視界不良の馬場より金ゐ國許が綴る、満願成就三千里手前の幸福雑記

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神話解体のための「芸術」

¶ 今話題の夏目房之介について、批判めいた文章を考えていた。が、うまくまとまらず、書き上げられそうもないので没にした。没が続くのもオツだろう。いやはや、まったくオツカレじゃない。

・・・私の夏目批判の核は、その眼、審美眼に対する疑問と(これについては既に書いた)、価値判断を避けようとする彼の「客観性」にあるのだが、どうしても夏目個人というより、現在のマンガ論全体に対する不満になってしまう。去年からマンガ論をドバッと読み返していたが、マンガ論全体を相手取るには、再度精読の必要がある。今ここで急いで書くと、大火傷を負いそうだ。大火傷しようと別にかまわないのだが、どうせ火傷するのなら、有益な火傷をしたい。ネット時代の「責任」とは放談の精神である、なんて偉そうに書いたこともあったけれど、それは全人格をかけての放談でなければならない。ただ、少しだけ書いておきたいこともあるので、書いておこうと思う。繰り返しになるだろうが、固まった持論なんだと思って読んでいただきたい。

¶ つげ義春のキャリアの後半は幸福であったと思うが、つげ義春論の現在は不幸である。この現状認識と、それが現在のマンガ論の方法的限界を示しているという考えに変わりは無い。竹内オサムが「ヘタをすると、かつての白土三平やつげ義春の二の舞となるのがおちだろう」(「いま分析批評の確立を」『ふゅーじょんぷろだくと』1982年3月号)と言うとき、その「かつて」と現在とを比較して、私は首を傾げざるを得ないし、「幼年への回帰と不安にむすびついた自己表現的体質、旅や夢のなかでのもう一人の自分の発見、それが人々の深層をゆすぶっていたのだと思う」と言いながらも、「つげ義春の作品が衝撃的だったのは、やはり六〇年代という時代のなかでのことだった」(『戦後マンガ50年史』)と結論付ける流れを見ると、これが当世代表的な論調であるだけに、異議を唱えたい気持ちが強くなる。

¶ 安保の時代、『ガロ』の時代、漫画家も読者も批評家も、今とはかなり異なる状況にあったことは想像に難くない。しかし、状況反映論はとうに破られたはずのマンガ論において、依然つげ作品を強烈に規定しようとするこういった「時代性」は、呪縛のような反動的「文学」意識と絡み合って、つげ作品にまさに「神話化」のプロセスを辿らせてきたのではないだろうか。さらっと言いのけられた「体質」や「発見」とは何ぞや。そこから作品の本質が始まるのではないのか。文学嫌い、芸術嫌いは個人の選択であるだろう。しかし、それが作品との間に障壁を作るのであれば、当の至上主義と何も違わない。神話解体を謳いながら、今まさに新たな神話が創出される状況。それは、マンガ産業の構造、マンガ論の出版形態、執筆者の興味の対象など、様々な要因に左右されることであろうが、それらを差し引いても否定しがたいほどに顕著である。

¶ 例えば、先日古本屋で手に入れた、吉弘幸介の『マンガの現代史』という本がある。新書だから、概史だから、「つげつげ」言っていられない事情は分かる。しかし、吉弘は、つげの『ねじ式』をめぐって勃発した、天沢退二郎と『漫画主義』同人らによる「マンガ芸術論争」を紹介しながら、その直後に「読者によってさまざまな読み方が可能なマンガ表現の試みが、この作品にはあった」と書くのである。その読みの決着点を何に求めるか、という論争を今まさに紹介しているにもかかわらず、おそらく「文学的」方法でしか決着できないという理由で、価値判断を放棄し、結果としてつげ義春の表現を「神話」へと棚上げしているのである。

¶ ・・・夏目が使う「「内面の必然性」のようなナニ」「何つーか鮮烈な「実存」」(『新版 貧困旅行記』解説)という言葉については看過するとしよう。なんだ、逆説的だけど、「ターム先にありき」の典型じゃあないかと言いたくて仕方ないが、文体も個人の選択だから、揚げ足を取らずに黙っていよう。しかし、それが巧妙な「神話化」への手助けとして働くとき、私は黙っていられないのである。

夏目がつげを取り上げた最も新しい著作(おそらく)に『マンガ学への挑戦』がある。「マンガ家と批評家 すれ違う作家と批評」という一節が設けられ、つげと権藤晋の対談集『つげ義春漫画術』が「マンガ家と批評言語のスレ違い方を見事に示して」いる様を見るのであるが、その直前に次のように書いている。

「つげの衝撃が、マンガ家やマンガ青年への、クリエイターズ・クリエイターとしての直接的な創作上の影響力(略)だけでなく、じつは批評的な言説の過熱に拍車をかけたものでもあったことが見て取れる」。

既にマンガ史においては常識のようになっている記述だが、「直接的な創作上の影響力」を認めながらも、それを覆い隠すかのように「批評的な言説の過熱」をクローズアップし、「けれど、多くの「難解」で一人よがりな批評言語に取り巻かれたために、かえってつげ義春は作品が描けなくなっていったのではないかという憶測も生んだ」と結ぶ巧妙さは、内容以前に問題があるように思う(ちなみに、ここで「憶測」と夏目が書いたのは、つげが評論による過剰な意味付けによって「潰された」という神話が、神話に過ぎなかったことが既に証明されているからである。つげは、後退したという熱気のなかでも、なお「多くの「難解」で一人よがりな批評言語に取り巻かれ」つつ、幾度の中断を経て、80年代半ばまで創作を続けた)。

¶ どこかで文学コンプレックスを認めていた(と思う)夏目は、つげを巡っての「マンガ批評言語草創期の混乱が、のちのちマンガ批評における「文学」、「芸術」拒絶症状をもたらしたともいえる」と、一応反省らしきことを書いてはいるが、ここで、なぜ「マンガ批評言語草創期」が(明確にそうあろうとしなかったにもかかわらず)「文学」「芸術」的であったのかについて自問することなく(マンガをマンガとして語ろうとした、それが可能になった第一世代が『漫画主義』だったと思う)、つげに「本トーク」を持ちかける『漫画主義』同人の態度を批判のニュアンスを交えて紹介する。

そこでは、「権藤は主題としては近いところにいっていながら(略)かんじんのところでスレ違ってしまうのである」と繰り返されながらも、どのように「スレ違っている」のかについての根本的な説明はまったく為されない。『沼』における少女の「エロス的な匂い」を「主題近くにあることは感じられる」としながらも、「感情のやり取りを直接感じないように描かれている」ことから、「主題そのものではないのも分かる」と分析する夏目は、結局「主題そのもの」に迫ることをせず、自らにも宿命的に植えつけられた「スレ違い」を解消しようしないのである。これを方法論的限界といわずして、ナニがナニなのだろうか。

¶ 代表的著作『手塚治虫の冒険』でも夏目は同様の態度をとっている。つげや林静一を「隠喩的画像表現」と名付け、「読み取りかたを方向付けるのではなく、画像の解釈範囲を広げ、いかようにも読めそうなイメージの豊かさに重点をおいた画像化」と片付けて立ち止まらない。夏目は、つげの代表作『ねじ式』を例に挙げ、「そこでは狐のお面は何かを寓意しているわけではなく、ただ土俗的なイメージの怖さや豊かさを示すだけなのだ」という。

私が『手塚治虫の冒険』を読んだのは、マンガ評論に興味を持ったかなり最初の時期であるが、まさに「で?」と思い、欲求不満になったことを覚えている。誤解を恐れずに言うならば、私には、夏目が何も読もうとしていないように映った。いや、繰り返しになるが、これは夏目だけではない、現在の「分析的」マンガ論の大きな流れであるのだろう。重要なのは読者の眼前に実体を持ってある作品、つまり作品の思想そのものと、それをどのように表現しえたかが議論されるべきはずであるのに、パターナイズの段階では鮮やかな手法を見せた評論家たちが、さあこれからというときになって途端に沈黙してしまうことに、私は落胆したのである。

「文学」を拒絶する夏目に「隠喩的」という語を与え、それが何の、どのような「隠喩」なのかを一切語らせず、「土俗的なイメージの怖さや豊かさ」が、どういったもので、それが何故「狐のお面」として描かれるのかという作品後背への想像力を阻むマンガ論には、明らかに問題があるし、仮に、マンガにおいては、思想という「文学」的アプローチを必要とする要素が蓄積されないのだと言うのであれば、私はその時点で躊躇なくマンガを捨てるだろう。そして、「土俗的なイメージの怖さや豊かさ」が、それを生み出す「隠喩」が、「いかようにも読めそうなイメージの豊かさに重点をおいた画像化」が、いったい何のために在って、何の価値を持つのかについて踏み込んでいかなければ、漫画が表現として深化していくことはありえないのではないだろうか。

¶ 最後に、蒸し返したい疑問がひとつだけある。夏目は「思想」に立ち入ることを忌避したために、「マンガは面白い」という前提確認へと進んだのではないだろうか。この一週間、よくよく考えてみたのだが、『赤色エレジー』と『最強伝説黒沢』は私の中でどうしても両立しなかったのである。
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ねずみが、無い隠喩とかを勃発したかった。


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